287話・ディンドラッドの謀
「どうせご存じでしょうが、命を助けて頂いたお礼にハッキリ申し上げます」
「……聞こう」
助役のギッドは、険しい表情のまま打ち明けた。
彼はディンドラッド商会の出向組リーダーで、ロンレア領の統治を委託されている。
茶色いベストがよく似合う官僚系のイケメンだ。
「ロンレア伯爵家への嫌がらせは、ディンドラッド本家、フィンフ様からの指示でした」
「……そうか」
俺が少しばかり驚いているのを見て、ギッドは首を傾げた。
「……直行どのも、とうに調べがついていると思いますが?」
実際のところ、俺は知らなかった。
間者を放ってはいたが、スライシャーはそこまでの仕事はしていない。
ギッドのオウンゴールである。
俺のことを買い被ってくれているのか。
そこはありがたいと思っておこう。
「まあ、嫌がらせされても仕方ないよな」
ディンドラッド商会は、ロンレア領の税収管理、領内のトラブル解決などを代行してきた。
エルマの父親からほぼ全権を委任されていたからだ。
そこを俺たちが直接統治しようというのだから、面白いはずがない。
俺たちが〝お気楽な三男さま〟と呼んでいる男……。
フィンフことディルバラッド・フィンフ・ディンドラッド。
表向きは「ギッドたちの雇用」を維持しさえすれば、快く領内の統治権を返してくれる約束だった。
しかし実際には、嫌がらせを仕掛けて、俺たちと領民、農業ギルドとの関係を、ぎくしゃくさせようとしてきたことになる。
収穫高を誤魔化して利益の一部を懐に入れていたから、都合が悪かったのだろう。
「……ってことは、今回の水びたしの件も、フィンフの嫌がらせの一環ってことなのか?」
「決壊の件は知らされておりませんでした」
「でもギッドは、フィンフが今回の決壊を起こしたと思ってるんだろう? フィンフはなぜ工場を狙ったんだよ?」
ギッドは、再び考え込んでしまった。
ディンドラッド商会に義理立てしているのかどうかは分からないが、難しい顔をしている。
商会側の魂胆について、俺は何ひとつ知らない。
3カ月前、盗賊スライシャーに情報収集を頼んだのだが、すっかり忘れてるのか報告が上がってこないのだ。
しかし……。
こっちが間者を放っていたことがバレていたのだったら、ギッドもこちら側に探りを入れていたとしてもおかしくはない。
こっちの最重要機密、スキル結晶密貿易の情報は、まさかディンドラッド側に漏れてはいないだろうな……?
ディンドラッド側からの間者に関しては、まったく見当もつかない。
なら、ダメ元で探りを入れてみるか。
「……なあ、ギッド。ウチで働かないか? ディンドラッド商会がお前たちもろとも工場を流そうとしたのだったら、断る理由もないはずだ。出向組全員、給料と身の安全は保証するが、どうだ?」
俺は、そう提案してみた。
ギッドは意外そうに眉を上げたが、すぐに首を振った。
「先日まで商会から借金をしていたご身分で、よくそんなことが言えますね」
「お、おう……」
「それに水浸しになった工場建設の費用だって、現段階では回収するアテはないのでしょう。農産品もしかり。拙速に勇者自治区と関係を深めたせいで、周辺の領主たちからロンレアは白い目で見られていますよ?」
ギッドは矢継ぎ早にまくし立てた。
「……ロンレアは周辺貴族を敵に回しているのか?」
「まだ、そこまででは。エルマお嬢様の御父上がご健在なうちは、ご心配には及びませんがね」
「ふむ……」
もし勇者自治区との密貿易がバレていれば、即座に保守貴族すべてを敵に回しているはず。
どうやらバレている訳ではなさそうか……。
でもバレていないのならどうして、今回の事件が起きたのだろう?
カギを握っているのは、ギッド以外にないと思うのだが。
「ギッド。ウチに来てくれれば、命の保証はする。相手は堤防を決壊させ、お前たちもろとも命を奪おうとしたディンドラッド商会だぞ?」
「……まだ、ディンドラッド商会、フィンフ様の仕業という証拠はありませんよ。ですので、このお話は保留とさせていただきます」
ギッドは率直に言った。
証拠はない、か。
「保留か。わかった」
俺は頷いた。
フィンフがやったという決め手を、ギッドは掴んでいない。
密貿易の件、ギッドは知らないということでいいだろう。
「保留でいい。ともかく今後は協力して真相を解明したい。手を貸してくれるか、ギッド」
「もちろんです。まずは堤防を決壊させた犯人と、その背後関係を徹底的に洗いましょう」
「いま、魚面が猿の仮面を被ったヤツを追っている。詳しい事は分からないが、彼女が何かつかんだようだ」
「すでに手を打っておいででしたか」
もっとも、魚面が何かに感づいただけで、俺が気付いたわけではないんだけど。
「……この一件に関して、俺たちは命を狙われたもの同士だ。クバラさんは〝雨降って地固まる〟と言っていた。これを機にお前たちとも信頼関係を築ければ、ロンレアのためにも有難いんだが」
俺は、ギッドに手を差し出した。
彼は少し笑って首を振り、両手を挙げて拒むように俺を制した。
「保留しておきましょう」
この3カ月で、初めてギッドと心が通じ合ったと感じた。
いまはそれで十分だ。
俺も笑ってその場を後にした。
その様子を木陰から見ていたのは、仕立て屋ティティだった。
「あの~。直行……さん? さっき、ギッドさまに握手を断られてましたよね?」
ティティは最近、いつも物陰からギッドを見詰めている。
彼女はおそるおそる、俺に尋ねた。
「ギッドさまと、何をお話しになられたのですか?」
「ああ、さっき? フラれたんだよ。思い切ってウチに誘ったんだが。でも脈ナシってわけでもなさそうだ」
「……ひえっ」
ティティはまた、なぜかドン引きしている。
「でも、ま、長年のモヤモヤが解消できたので、今はそれで十分かな」
「……男性もいけるんですかァァァ!!!」
ティティは絶叫して、まるで怪物にでも遭ったように逃げ出してしまった。
彼女はいつも、何だか俺のことを誤解しているようだ……。




