282話・小夜ちゃん無双
スキル結晶量産ラボの落成式当日に、あろうことか堤防が決壊した。
原因はまだ分からないが、このままでは大変な被害を被る。
エルマの空間転移魔法と魚面のサポートによって、どうにか人々の避難は完了した。
転移先の小高い丘の上で、手を振っている姿が見える。
「はい。直行さま。こちらは問題ありません」
レモリーの状況報告を風の精霊が伝えにきた。
「直行さん、工場は頼みますわね!」
最後に残ったエルマがそう言って転移するのを確認した俺は、小夜子の手を取った。
「小夜子さん、お願いします」
「任せなさーい。工場まで飛ばすよ!」
「お、おう?」
下着姿の小夜子が、俺をお姫様抱っこのような恰好で抱え込んだ。
男子としてはちょっと情けない姿ではある。
が、彼女の大きな胸が俺の大胸筋と触れて、心臓の鼓動が伝わってくる。
……!
驚いたことに、ドクドクと脈打っていたのは俺の心臓の方だった。
小夜子はこの事態に少しも動じてはいない。
「ネリー君は、わたしの背中におぶさって。しっかりつかまってね!」
「承知……」
ネリーは小夜子の背中に覆いかぶさった。
信じられない光景だが、女の子が大の男2人を抱えている。
厳密には小夜子の闘気と、スキル『乙女の恥じらい』の障壁の反発効果を利用して、俺たち2人を浮かせているようなのだが……。
何にしたって、やってることは普通の人間の領域を外れている。
そしてさらに小夜子は、超人技を畳みかけた。
「グレン式健脚術・縮地!」
軽い衝撃とともに、景色が早送りのように飛んでいく。
体験したことのない超スピードで、周りの空気が流れていく。
気がつくと、工場の入り口に立っていた。
落成式後のお披露目を控えて、シャッターが開いている。
どこまで耐えられるかは分からないが、浸水を防がねばならない。
土嚢を積み上げている時間はない。
防水パネルとアルミフレームで組み立てる簡易止水壁を取り付けた。
これは、勇者自治区の建築技術者が念のために用意してくれたものだ。
被召喚者の技術チームは平成末期の水害を知っていたので、河口にある立地を心配してくれていた。
まさか落成式当日に止水壁を使うことになるとは思いもしなかったが……。
それにしても、小夜子の動きは凄まじい。
まるで漫画のような超スピードと怪力で、シャッターの前に止水壁を取り付けた。
あっという間に浸水対策は完了した。
「直行くん、アンナの工房は?」
「こっちだ!」
「吾輩が案内する」
俺たちが回り込もうとすると、彼女はまたも2人を抱え上げて超スピードで地下工房の入り口へ向かった。
地下工房の入り口は何てことのない床をめくって入る。
関係者以外はまず気づかない。
急な階段を降りると、そこは真新しい実験施設となる。
「給気と排気用のシャッターを閉めて、あと入り口のところを守れば……」
「じゃあ、わたしは入り口のところで障壁を張ってるわ。障壁は最大半径2メートルだから守れると思う」
「吾輩は地下室の入り口に止水板を貼ろう。万が一ここが浸水しても、アンナ先生の工房は守らなければならない」
「じゃあ俺は工場の屋根に上がって状況を確認する。丘の上のレモリーたちと連絡を取りたい」
各自、やれる事をする。
「直行くん。もしレモリーさんと連絡がついたら、役場の更衣室にわたしの装備一式があるわ。水害に巻き込まれていなかったら持ってきてほしいの」
…………。
改めて考えてみると、小夜子は下着姿だった。
「分かった!」
俺は返事をして鉄製の階段を上がっていった。
2階の窓から出て、工場の屋根をよじ登る。
眼下はすでに一面水浸しだ。
だいたい50センチくらいか。
間一髪、工場への浸水は防げた。
水の勢いから工場が押し流されることはなさそうだが、けっこうな勢いで水が押し寄せている。
簡易止水壁と小夜子の障壁がいつまで持つかは分からない。
「とりあえず、丘の上のレモリーとコンタクトを取らないと」
ちょうど屋根の一段高くなっている部分の、目立つところに勇者自治区の旗が立っていた。
屋根伝いに歩き、勇者トシヒコの冠を模した旗を引き抜く。
俺が一生懸命旗を振っていると、上空を巨大な影が覆った。
……え?
それは、生まれて初めて見る竜だった。




