278話・3カ月後
――3カ月後。
ついに『スキル結晶』量産ラボが完成した。
建設地は領内を流れる大河の河口付近。
中央湖のほとりだ。
表向き(地上部分)は段ボール工場。
とはいえ原紙から生産しなければならないので、規模は大きい。
この河口を建設地に選んだのは、山から切り出した紙の原材料である樹木を川で運ぶために便利だからだが、それだけではない。
貿易港としての役割もある。
ここで生産した段ボールに果物や野菜を詰め、そのまま湖上列車に乗せて勇者自治区へと運ぶのだ。
その裏で、列車の下に隠したステルス潜水艦で、スキル結晶を密輸する。
大がかりな段ボール工場建設の陰で、地下にはスキル結晶の量産を担う錬金術師アンナの研究施設が造られた。
意外だったのが、エルマがこの新アンナ・ハイム研究室に積極的に口を出したことだ。
「アンナさん! いかなる場合であっても、研究室は清潔でなくてはいけませんわ!」
もはやアンナのトレードマークであり、誰も文句が言えなかった臭うほど乱雑で不衛生な状態に、こともあろうにエルマが切り込んだのだ。
俺は傍で聞いていて顔が青ざめた。
「小娘がッ! 知った風な口を叩くなッ!」
アンナの激昂ぶりも凄かったが、エルマは負けなかった。
「研究室は衛生的に! フラスコもビーカーも、汚い布で拭いたら汚れや繊維カスが残って実験結果に影響しますのよ! ……そうですわ、工業用ワイパーを差し上げましょう♪」
「…………くっッ、うるさいうるさいッ!」
エルマは前世で自分が愛用していたという工業用ワイパー(ポリプロピレン不織布)を召喚して、アンナに手渡した。
何でも理系の人たちの間で広く使われていて、ティッシュの代わりに実験器具や薬品のふき取りなど様々な用途に使えるモノらしい。
「不衛生な環境は、スキル結晶の純度にも影響しますわ♪ 助手のネリーさんも、魂に刻みつけるのです♪」
予想外のエルマの干渉に、アンナとネリーはとてもやりにくそうだ。
しかし、勇者自治区から出向してきた技術官僚たちがエルマに賛同したため、アンナたちはしぶしぶ折れた。
◇ ◆ ◇
一方、測量の結果、ディンドラッド商会側の登記簿の改ざんが証明された。
実際の収穫高よりも利益をかなり低く見積もっていたことが明らかになったのだ。
隠された収益はディンドラッドの懐に入っていることは言うまでもないだろう。
「直行どの。ディンドラッド商会と手を切って、ドン・パッティを取引先にしたらどうです?」
測量士の中にはそう息巻く者もいた。
だが、俺はあえてディンドラッド商会を咎めず、不正などなかったかのように現状維持を続けた。
「なぜ見て見ぬふりをするんですか?」
確かに誤魔化しを見過ごすのはいい気がしないが、俺たちが静観している間は、ディンドラッドも不穏な行動を起こさないだろう。
そのころになると工場の建設に伴い、勇者自治区の工事車両や技術官僚、建築術師たちの往来が盛んになっていた。
ほとんどのロンレア領民にとっては、初めてとなる異界人との接触。
俺は彼らの間に入って、なるべく摩擦が起きないように注意した。
具体的に何をしたかといえば、酒や料理による交流イベントだ。
たんに酒宴と言ってもいい。
まず、ロンレア領民から食材となる野菜や肉を買い付けた。
市場よりも少しだけ割高な価格で色をつける。
炊き出しのディナー版のような要領で、レモリーや小夜子、魚面が大鍋などで調理する。
楽師や踊り子を雇って歌舞音曲で楽しませ、参加無料、会場となったロンレア邸の庭は開放した。
当初は勇者自治区の作業員が中心だったが、次第に地元住民も集まって来た。
現代日本からの転生者が多い勇者自治区の技術者たちと、ロンレア領の住民。
口論などのトラブルもあったが、思いのほか摩擦は少なく、仲良くやってくれた。
わがロンレアの財政的には赤字だけど、いずれ元はとれるだろう。
◇ ◆ ◇
エルマは13歳ながら女領主として、工場建設や研究室の現場にいつも立ち会っていた。
勇者自治区の建築術師たちの高度な魔法応用力に、驚きの表情も見せていた。
だがエルマは、夜の交流イベントに関してはほとんど手伝いもしないし、参加もしなかった。
あいつが夜、独り部屋に籠って何をしているのかは、誰も知らない。
そんな中、いよいよ明日は工場の落成式となった。




