26話・いぶきとアイカ
◇ ◆ ◇
1週間が経った。
エルマは俺とレモリーの関係を勘ぐっているようだが……。
気にしないことにする。
俺たちは手分けして生産・売り込み・実演販売を続けている。
その甲斐もあってか、少しずつだけれども、状況は好転しつつあった。
公衆浴場のサンプルは好評で、1日で1瓶が空になる時もある。
「はい。こちらをご覧くださいませ。スキンケアという新発想」
レモリーの実演販売が実に効果的だった。
お風呂上がりのクール&ビューティーがスキンケアの実演販売をするのだ。
インパクトも強く、市井のうわさになっている。
下町などで実演販売を行えば人だかりができて、ちょっとした公演のようだった。
ただ、この1週間での販売数は50個ほど。
どうにか動き出したけれども、今のペースでは借金返済まで35週くらいかかる。
道のりは、遠すぎる。
「いっそのこと債権者に俺たちのスキンケア事業を報告し、借金を小分けに返済して猶予期限を延ばしてもらうのはどうかな?」
打ち合わせの席で、俺はそう切り出した。
「いいえ。それは難しいでしょう」
レモリーがすぐに否定する。
打ち合わせと言えば聞こえがいいが、皆、それぞれが仕事をした後でBAR異界風に集まり、売り上げの報告がてら、めいめいの好きな物を飲み食いするのが俺たちの日課になっていた。
「どうして?」
「債権者のディンドラッド商会は体面を重んじる貴族御用達の豪商です」
さすが従者レモリーはワンオペでロンレア伯爵家の様々なことを取り仕切っているだけはある。
すっかり参謀役が似合ってきている。
「彼らのメンツをつぶすことになると?」
「はい。ですから貴族の側から新しい事業を持ちかけるわけにはいきません」
「そんなもんか……」
「はい。それに百戦錬磨の商人に対して、安易に私たちの手の内を明かすのは得策ではありません」
「確かにな。まあ、仕方ないか。とりあえず麦酒でも飲もう」
「あたくしはいつものタピで♪」
エルマはタピオカ風ミルクティーと日替わりケーキを夕食代わりにしている。
……太っても知らんぞ、お嬢様。
レモリーはマー茶と日替わりサラダ。たまに鶏肉。
俺は獣肉バルと、ドライ風ビールという、3人ともいつもとほぼ同じメニューだ。
いつも通りと言えば、この店の客も変わり映えはしない。
奥の席でほとんど毎日、ゴシック趣味の前髪ぱっつん女が、頬杖をついてデカンタから赤ワインを注いで、がぶ飲みしていた。
彼女とは初めて会った日以来、話すことはなかったけれど、何となく常連同士お互いに「今日もいるんだな……」みたいな暗黙の了解が出来上がっていた。
「直行さま。店主がお呼びです」
そんないつもの様子とは打って変わって、改まった様子で店員が俺をカウンターまで案内する。
「直行さん、どうかしました?」
「いや、分からない。ちょっと行ってくる」
「あたくしもお供しますわ!」
「いいえ、お嬢様。呼ばれたのは直行さまお一人ですから」
何かを察したレモリーがエルマを引き留めたので、俺は1人でカウンターに向かった。
ひげ面の店主は、小さな木片に書いたメモを確認しながら、俺に言った。
「伝言を預かっております。『件の取引について。明後日・日没までに銀時計まで来られたし』……だそうです。よござんすか?」
俺だけに用事とは、例の古物商の件か。
売れたのか……?
「別の日時をご希望でしたら、その旨を伝えてほしいとのこと。それで、よござんすか?」
「大丈夫です。〝了承した〟と、伝えてください」
とりあえず、この件はまず俺一人で話を進めてみることにしよう。
エルマの母親のネックレスの件もあるし、話がこじれないとも限らないからな。
◇ ◆ ◇
約束の日没時に、俺は例の古物商に足を運んだ。
扉は固く閉ざされ、各窓は全てカーテンで閉ざされている。
ガードマンの表情も心なしか険しく、物々しい雰囲気に包まれていた。
「入れ」
彼に従って店に入ると、先日の鼻眼鏡の老紳士と若い男女が合い向かいに座っていた。
「先日は失礼いたしました。お待ちしておりましたよ」
「こちらが俺のお客様……ですか?」
若い女は初めて見る顔だが、一見して被召喚者だと分かる。
ピアスだらけの耳と、緑色のメッシュの入った髪。
タンクトップから見える肩にはハイビスカスの刺青が入っている。
いわゆる「ヤンキー」なのだろうか。
男の方はツーブロマッシュの髪型にセルフレームのメガネ。タイトなシルエットのシャツとパンツ。まあ一見して「意識高い系」大学生に見える。
「どうも。あなたが〝スキンケア〟の人ですね?」
彼は席を立って軽くお辞儀をした。
「ああ、はい。お買い上げ、ありがとうございます」
俺はぎこちなく一礼した。
元の世界で客商売していたわけではないので、対面でのやりとりはどうも慣れない。
そんな俺とは対照的に、快活に握手を求めてきたのはメガネの男子だ。
「はじめまして、僕は神田治いぶきと申します」
「九重直行です」
「ウチは木乃葉愛夏。でも、転生者っぽくアイカって呼んで」
「?」
ハイビスカス女の自己紹介が少し引っかかって、俺は固まってしまった。
転生者っぽいって、何だ?
「……皆さま立ち話も何ですので、どうぞ、おかけください」
老紳士に言われるままに俺たちはテーブルを囲んで着席した。
「直行さんもやはり『人間のアカシックレコード』で、この世界に召喚されたクチですか?」
「そう……ですね」
「召喚されてどれくらい過ぎました?」
メガネの男=神田治いぶきが、俺に尋ねた。
この男の言い方はいろいろと気になる。
『人間のアカシックレコード』も知っているし。
「二カ月は経っていない……ですかね。……って、その前にこっちも質問いいっすか? どうして俺が被召喚者だって分かるんです?」
「名乗ったとき、頭の中に漢字が浮かんだら、被召喚者です。転生者はこちらで名前を授かる場合もありますが、元の名前を名乗るときはカタカナで浮かぶはずです」
「なるほど。じゃあ外国人の被召喚者とか、原語になるわけですか?」
「それは分かんない。ウチ会ったことないし。でも、ウチが転生者っぽくって言ったのは、元の世界、日本に帰るつもりがないから。以上」
ハイビスカス女=アイカは、腕を組んでいぶきの方を見た。




