263話・アンナのカメオ
「わたしを勇者自治区へ連れていくだとォ?」
アンナは眉を吊り上げて激昂した。
俺はミウラサキをかばって会話に割り込んだ。
「アンナ、スキル結晶の工場建設について、一度ヒナちゃんさん本人と打ち合わせをしないか? 具体的な規模とか、費用とか」
「……」
「嫌なら俺が間に入って交渉するけど?」
「待てッ……! そこの、自動車とかいうやつ。どんな乗り物なんだ?」
アンナは自動車に興味を持っているようだ。
タイヤや内部のハンドルなどをマジマジと眺めている。
「これに乗って自治区へ行く。馬車で半日の距離が、たった1時間だ。アンナも乗っていくか?」
「そんなに早く移動できるのか? 興味深いなッ!」
そう言うや否や、アンナは車のドアを開けようと手を伸ばす。
しかし、忘れ物をしたようで庭に戻った。
「ん? 忘れ物か」
「コレを持って行くわけにはいかないからなッ」
アンナは錬金術師の身分証も兼ねているカメオ付き懐中時計を、庭に埋めようとしている。
俺は慌てて彼女を制した。
「アンナよせよ」
「コイツを持ったまま自治区になぞ行けないッ」
「なぜだ?」
「コイツに逆探知の術式がかけられているかもしれないッ。法王庁から帰ってきた途端にこの隠れ家がバレたのは、コイツのせいだとしか考えられない。嫌がらせも、おそらく新王都の錬金術師協会が絡んでいるに違いないッ」
「発信機みたいなヤツか? 錬金術師の身分証に、そんな仕掛けがあったとは……」
「勇者自治区へ立ち入ったことがバレれば、錬金術師の資格を剥奪されかねないッ」
「だからって、そのへんの庭に埋めちゃマズいだろ。呼び鈴のオウムも壊されたんだし、不審者に掘り返されて奪われたら問題だぞ?」
俺のせいなんだけどな。
被召喚者の俺を、錬金術師の特権で法王庁に招き入れたアンナ・ハイム。
その行為によって、彼女は一部の聖龍教徒から、蛇蝎のごとく嫌われてしまった。
いま研究所の壁は、罵詈雑言の落書きでいっぱいだ。
そうした状況で、錬金術師の身分証を庭に埋めるのは危険すぎる。
「信頼できる奴に預けるか……」
とはいえ、レモリーはロンレア領だし、小夜子はよりによって勇者自治区だ。
「もしよかったら、実家のドン・パッティ商会の金庫に保管しますよ」
「おお、ミウラサキ君ナイス!」
この上なく安全な場所だ。
選択肢はそれ以外ない。
だがアンナは、ミウラサキをまじまじと見た後、首を振った。
「……勇者の仲間とはいえ、会ったばかりの奴だッ。馬の骨に肉片がこびりついたようなものだッ。そんな奴の実家? お断りだッ! だいたい豪商など信用ならんッ! 埋めた方がましだッ!」
旧王都でも指折りの豪商ドン・パッティ商会の御曹司ジルヴァンこと、カレム・ミウラサキ。
元勇者パーティの主力で、現在は英雄として一代侯爵の称号を得た彼を馬の骨呼ばわりするなんて、アンナは相当な世捨て人に違いない。
「弱ったな……」
信頼できる預け先のアテがない。
ほかに知り合いを思い浮かべてみる。
カーチャについては悪い人じゃないが、炊き出し事業と身内の宴会との区別がついていないので、とても重要なものは預けられない。
ロンレア家の執事キャメルについては、レモリーは信頼できると言っていたが、恐ろしく情報通なので俺にはまだ油断ならない。
頼れるのは、アンナも信頼している知里しかいないが……。
「アンナ、知里さんはいつ戻る予定だろう」
「出発してもう10日だ。ホバーボードによる移動だから、早ければそろそろだろう」
「そうか……」
「だが、挑んだのは『時空の宮殿』だ。そう簡単には帰れないだろうなッ」
「……なるほど」
俺は、少し考えた末に、ミウラサキに声をかけた。
「ミウラサキ君、ちょっと冒険者の店に寄ってもらってもいいかな?」
「冒険者の店、ですか?」
彼はきょとんとしている。
俺は、続いてアンナに言った。
「アンナ、もし知里さんが帰ってきていたら、彼女に預けておくのはどうだろう?」
「……そうだなッ。帰ってきてるかは分からないが、遺跡の調査を頼んだ依頼人として、彼女の消息は気になるところだからなッ」
「ああ、知里ちゃんに会いに行くんですね!」
ミウラサキも納得したようで、俺たちは車ですぐに冒険者の店へと向かった。
◇ ◆ ◇
「頬杖さん? まだ戻りませんよ」
「いつごろ戻るか見当はつきませんか」
「いかんせん前人未到ですからねぇ。まぁ潜った連中は特級の凄腕揃いですから、死ぬようなことはないでしょうけど……冒険に危険はつきものですからね」
がっしりとした体格の店主にそう言われ、カウンターで挨拶代わりに頼んだ麦酒を飲みながら、俺たちは肩を落とした。
運転手のミウラサキは果物を絞ったジュースを飲んでいる。
「あー! 大将じゃねぇですかい?」
「直行さんだお。1週間ぶりくらいだお」
「吾輩を覚えているか? いまひとつ影の薄い術師のネリーだ」
ちょうど、奥の席で食事をしていた3人組が、声をかけてきた。
「おー、お前らか! ……って、また1杯のシチューを分け合ってるのか。報酬はけっこう弾んだはずだけど、貯金でもしてるのか?」
「それが、愚かにもスライシャーめが全部博打ですってしまったのだ。吾輩たちの分まで」
「30倍にしてやるって言うから、預けたんだお。すっからかんだお。お腹すいたお」
「勝負の世界っすから、敗けることもありますわな」
一瞬、アンナの懐中時計を3人組に預けようかという考えが頭をよぎったが、すぐに霧散していってしまった。
「……お前ら何やってるんだよ」




