243話・薄氷を渡り抜け
「お前の領地に研究施設を建設しないか? ……だとォ?」
錬金術師アンナ・ハイムは値踏みをするように片方の眉を吊り上げた。
「願ってもないご提案ではあるがッ! 一体何のつもりだッ?」
アンナは警戒している。
すっぱい茶のせいで微妙に腹が痛いが、俺は虚勢を張って不敵に笑った。
「アンナ、どうしてこんな辺鄙な場所に住んでいるんだ? 錬金術師とも名乗らず、世捨て人みたいに」
「なんだとォ?」
「普通に考えたら、錬金術師の住まいは実験施設の整った新王都なんだろう? しかも高給取りなんだって、さっき自分で言ったじゃないか」
俺はアンナが言った台詞を、そっくりそのまま返した。
「……ああ。新王都の錬金術師どもは、好待遇で囲われているッ。王族もあいつらを頼っているし、金は使い放題、研究もし放題、まさに特権階級だッ」
「どうしてそこへ行かないんだ?」
「研究はし放題だが、自由にできる訳じゃないッ。世論が望まない研究は、させてもらえないんだッ」
「というと?」
「王国の社会通念を覆したり、聖龍教の教義と矛盾するような、新しい発見や発明は、絶対にしてはならないッ! そういう共通認識があるッ」
権力者も錬金術師も、世の中がひっくり返って特権を失うのを恐れている、とアンナは言う。
「そんなことじゃ、錬金術の発展なんて、ありはしないじゃないか?」
「発展など、誰も望んでいないッ。既得権益というぬるま湯に浸かっているから、頭がふやけてしまっているッ」
「……なるほど、それを見越して現法王もクロノ国王も錬金術師を優遇しているのかもな。飼い殺し、のような……」
「それに学会の派閥もあるッ。薄氷を踏むような人間関係、足の引っ張り合いッ。わたしはそれが嫌で、野良で研究をしているのだがなッ」
しかし本当に、そんな錬金術師たちばかりなのか?
俺はそうは思わない。
「……研究者だったら、知識欲に歯止めがきかない者だっているだろう。錬金術師は世襲なのか? たとえば偶然、転生者が献金術師の家系に生まれるってこともあるだろう。そうすれば異世界の科学的な知識が、否が応でも流入せざるを得ないと思うがな」
エルマが貴族の家に生まれたのだから、錬金術師の家系にだって転生者がいてもおかしくはない。
そのあたりの事情、どうなっているんだ。
「フン、錬金術師の家系に生まれた転生者など、真っ先に根絶やしにされているッ」
「……前の、法王のせいか?」
「それ以前もそうだったッ。転生者がいつ前世の記憶を取り戻すのか、そのカラクリは知らないが、錬金術の習得過程で我々は審査されるのだ。そして転生者は間引かれるッ……」
アンナは少しだけ寂しそうに笑った。
そういう表情を見せるのは、初めてだった。
「間引かれる……か」
王国の、この世界の常識、秩序の安定のためとはいえ……。
「親としてはたまったものではないだろう。抗う者はいないのか?」
アンナは小さく肩をすくめて見せた。
「特権がなければ、そうする奴もいるだろうがッ……。恵まれた立場にいたら、それを失う怖さもひとしおだ。自分で勝ち取っていないのなら、尚更だ……」
彼女が何を思ってそんな話をしたか、俺には分かる由もない。
ただ、ここは勝負所だ。
錬金術師アンナ・ハイムの心に切り込むしかない。
……俺は、大きく息を吸った。
「だったら、俺と仕事をするのに何の問題もないじゃないか。アンナ、好きな研究をさせてやる。金もある程度使っていい。ロンレア領へ来い!」




