234話・かえり道にて
「……直行さまは、元の世界に戻られるのですね」
俺は、レモリーの言葉に何と返したらいいか、迷っていた。
ホバーボードに眠ったエルマを乗せて、その両側を支えるように、俺たちは立っている。
イルミネーションの並木道を行き交う人には、家族連れのように見えるかもしれない。
「ああ。でも、正直言うと迷ってる。気持ちが揺らいでいる……」
俺は、左手でエルマの身体を抑えながら、右手でレモリーの肩を抱いた。
彼女は、嬉しいような、困ったような複雑な表情をした。
そして肩に置いた俺の手に、自身の手を添える。
「いいえ。淡い期待など抱かせないでください。直行さまは元の世界に帰るのでしょう。それまでの時間、いまこの瞬間は束の間の夢。私はそう思っています……」
……。
俺は何も言えなくなってしまって、ゆっくりと歩き出した。
「…………」
たぶん恋愛巧者なら、ここでキスをするなり、キザな台詞を言うなり何かするのだろうが……。
レモリーも歩調を合わせて歩き出す。
しばらく何も言わずに俺たちは歩いた。
華やかなイルミネーションが胸を締め付ける。
「……はい。そういえば、勇者自治区に入ってから、エルマ様の変化に気づかれましたか?」
先に沈黙を破ったのはレモリーだった。
俺は思い出したように、ホバーボードの上で眠っているエルマを見た。
「ああ。調子悪そうだったな」
「はい。おそらくですが、エルマ様は新しい世界に圧倒されたのだと思われます」
確かに勇者自治区の繁栄は凄まじい。
しかしレモリーたちにとっては斬新でも、エルマにしてみれば既知の文化だろう。
「新しい世界といったって、あいつにとっては馴染みがある前世を再現したものに過ぎないが……」
「いいえ。ずっとお屋敷に引きこもって暮らしていたエルマ様にとって、何もかもが大そう刺激が強かったのだと思います」
エルマが生まれた時から世話をしているレモリーが言うのだから、そうなのだろう。
「……そっか。あいつにとっては、この景色は、おぞましい異物に映ったのかな」
「はい。それに加え、ヒナさまとの力の差を見せつけられ、打ちのめされたのだと思います。そこに直行さまの帰還の話が出てきたので、耐えられなくなってしまったのでしょう」
心の許容範囲を越えてしまったという事か……。
「エルマ様は天才です。おそらく、数十万人に1人の魔法の才能を有しています。でなければ召喚術を、あの年で使うことなど不可能です」
この世界の魔法について、俺は未だによく知らないが、どうも才能によるところが大きそうだ。
使える者は使えるし、使えない者は使えない。
ズッコケ冒険者(失礼)の1人、ネリーは術が使えるが、他の者は使えない。
魔王を倒した勇者パーティの一員だった小夜子も、魔法は使えないと言っていた。
転生者や被召喚者でも、使える者と使えない者がいて、両極端だ。
「エルマ様は特殊スキル『複製』を持ち、ほぼ独学で召喚魔法までも使えるようになりました。そのことが、お嬢様の矜持だったのだと思われます。実際、言っていました。いつか外の世界に出た時、あたくしは他者を圧倒できる能力を持っていると」
「しかし、上には上がいたと」
「はい。ヒナ様は、まず世界でも5本の指に入る魔術師でしょう。本来、比較になるような対象ではありません。ですがエルマ様はご自身と比べてしまったのではないでしょうか」
エルマがどんな思いで引きこもっていたかは、彼女にしか分からない。
厳密には引きこもっていたわけではなく、転生者であることを隠していただけだが。
彼女はいつも自信たっぷりで堂々としていた。
それは、裏を返せば自身の才能に寄りかかっていたとも言える。
「……さっきから黙って聞いていれば、随分と好き勝手に言っていますわね、レモリー♪」
「いいえ。お嬢様、起きていらしたのですか?」
レモリーはぎょっとして、ホバーボードから手を離した。
もっともエルマは目を覚ましているので、バランスを崩して落ちる事はなかったが。
「エルマ。海老の試食はキャンセルしてしまった。俺が勝手に判断したことだ、謝る」
「その必要はありませんわ。例の取引に比べたら、特産品売買の利益なんて、雀の涙でしょうから」
表立ってスキル結晶取引の話を口に出すわけにはいかないので、例の取引という言葉を使う。
エルマが冷静になっていて良かった。
「うまくいけばの話だがな。アンナは手強い。この話には乗るだろうが、法外な金額を吹っかけてくる可能性もある」
「それは直行さん次第でしょう。派手に失敗するかもしれませんけどね」
「まあな……」
俺は苦笑いする。
今まで上手く行きすぎていたから、どこに落とし穴が待っているか分からない。
「失敗したら失敗したで、あたくしたちと慎ましく暮らせば良いのですわよ♪」
「いいえ。直行さまは必ずやり遂げるでしょう」
レモリーは少しも疑ってはいないようだった。
「ねえ直行さん。あたくしがどうして子供みたいにギャン泣きしたか、知りたいですか?」
ホバーボードの上に寝そべりながら、エルマは寂しそうに笑った。




