230話・アイカがここにいる理由
それはまさに、わが目を疑う光景だった。
賢者ヒナ・メルトエヴァレンスの召喚術によって線路が出現した。
突然湖上に現れた線路は、何事もなかったかのように湖面に浮かび、まっすぐに伸びている。
しかし200メートルほど行ったところで、突然途切れてしまっていた。
召喚魔法は消費MPが大きいとエルマが言っていた。
魔王討伐軍の主力の賢者といえど、能力が無限に出せるわけではないのだろう。
俺は少しだけホッとしたが、エルマは驚いたままだった。
「……どこの異世界から、こんな線路を呼びだしたんですの?」
エルマは目を白黒させながら言った。
「自治区の地下にある秘密工場。近場にある物を召喚しただけよ。耐久性とかは改めて工事を行うけど、ヒナが本気だという事を、分かってもらいたかった。ちなみに工場の話はトップシークレットね」
彼女は人差し指を口元に持ってきてウィンク。
可愛らしい仕草なんだろうけど、やってる事がえげつないので俺はドン引きだ。
地下の秘密工場。
おそらく、ヒナの当初の計画ではそこにアンナを招いてスキル結晶を生産するつもりだったと思われる。
「半年後には湖上線路を敷き終え、魔法の動力による魔動列車を開通させるからね」
「お、おう」
「……直行さん。凄いことになってきましたわね……」
あまりにもヒナの行動が早いので、俺もエルマも面食らってしまった。
ポカンと口を開けたまま、お互いに顔を見合わせている。
「凄いことになった」
俺はエルマと同じ事を呟いた。
自分で仕掛けておいて言うのも何だが、歴史の転換点に立ち会ってしまったような気さえした。
「ヒナ様。ウチお腹空いたんですけどー、あの海老食べましょうよー?」
俺とエルマが呆然と立ち尽くしているわきで、アイカが能天気な声を出した。
「そうね。戻りましょうか。ヒナも少しだけ疲れちゃった」
少しだけ、という言い方が彼女らしい。
ヒナはアイカに持たせていたマナポーションを開けると、一気に飲み干した。
あれは、俺が化粧水として売りさばいたものかもしれない。
化粧品用のラベルは外されているけれど、そんな気がした。
「ヒナちゃん、帰りは無理することないわ。歩いて帰らない?」
再び召喚術の応用=転移魔法を唱えようとしていたヒナを、小夜子がたしなめる。
港からサンドリヨン城までの距離は800m以上はありそうだ。
徒歩だと10分弱。ちょっと長めの乗換駅の区間を行くような感じか。
俺たちは夕暮れの自治区を連れ立って歩きながら、城に帰る。
ヒナたちに先導されたこの通りは、レンガ造りの街並みの落ち着いた佇まいだ。
「この取引でロンレア家は莫大な富を手に入れるでしょう。エルマさんは、並み居る諸侯たちの中で頭一つ抜ける財力を得る事になる。お金に飲まれないようにね」
「…………」
エルマはその忠告には何も答えず、黙々と歩いている。
ほとんど話しているのはヒナで、俺たちは適当に相づちを打っている感じだった。
「どうしてお金の話なんてしたのかと言うと、そこの建物が、造幣局だから。桜並木もあるのよ。でもねー、咲く年と咲かない年があるのね」
ヒナが指差した先には、レンガ造りのレトロモダンな建物がある。
桜の通り抜けでお馴染みの、大阪の造幣博物館を模している。
「ヒナ様、お疲れ様です!」
「ヒナ執政官! お疲れ様です!」
「クロノ王国との会談、お疲れ様です」
「ありがとう」
職員と思われる人たちや通行人の挨拶に手を振って応えながら、涼しげに歩く。
「あの人たちもヒナちゃんさんが召喚した人?」
「ううん。転生者と、ドン・パッティ商会からの出向組かな。ヒナが主に引っ張ってきてるのは、技術官僚=テクノクラートね」
「ウチみたいな低学歴クソビッチの娘とは違って、彼らは超頭イイんっすよ」
「アイカ。自分を卑下しないで。そんな言葉も使わないで」
「でも事実っすから。ウチ、間違えて召喚された組なんです」
「間違えて?」
俺は思わず立ち止まってアイカを見た。
「そっす。ヒナ様はウチと同じ名前の若手官僚を召喚しようとして、ウチが呼ばれちゃったんす。偏差値38でテストの平均点30点代の」
「……それは派手に間違えましたわね」
ヒナは、エルマの言葉に大きく首を振った。
「結果的にはゼンゼン間違いじゃなかったから。アイカは凄いの。気配りができるし、何度バカにされて追い返されても挫けない心の強さを持ってる。ヒナの宝物よ」
「ヒナ様~。ウチにはもったいなさ過ぎるお言葉っす」
アイカは顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた。
そういえば最初に会った時、彼女は「転生者だと思ってほしい」と言っていた。
「アイカちゃん、わたしの分もヒナちゃんを助けてあげてね」
「小夜子様。ウチ、超気合でがんばるっすよ。向こうでは盛り場で夜遊びするしかなかったハズレくじに、ヒナ様は救いの手を差し伸べてくれたんすから」
「でも、最初は大げんかしたんだけどね。アイカがもの凄い形相でヒナに掴みかかってきて……」
「ウチ、召喚された時、毒親んとこから家出中で、ちょうど死のうと思ってた時なんすよ。そしたら目の前が真っ暗になって、気づいたらヒナ様がガッカリしてて……」
「ガッカリはしてなかったよ。初対面の挨拶は、『あなたは外務省の木乃葉 愛花さん?』だった。そしたらアイカがいきなり唾を飛ばして殴りかかって来て……」
「ウッソー!」
「ヒナ様めっちゃ強いんすよ! ウチ、ボコボコにされて舎弟になったんす」
「ヒナさん、お得意の魔法は使わなかったのですか?」
「違うのよ。だって人間一人を召喚したのでMP切れだったんだもん」
「マジでパネェっすよ。あんな速い膝蹴り喰らったことなかったっすもん」
「あー。それはグレン式格闘術ね」
「で、ウチは関節極められた後、全裸にひん剥かれて土下座させられたんです」
「最強ヤンキー伝説みたいですわね」
「アイカ! いい加減なこと言わないで。服が破けたのは不可抗力よ。それにヒナ肉弾戦は強くないから。あくまで一般人レベルだし」
皆は、アイカとヒナの取っ組み合いのケンカ話に盛り上がっていたようだが、俺はひとつ気になる点があった。
アイカと同様、この世界に呼ばれるときには俺も死を考えていた事だ。




