22話・ビキニアーマーの優等生
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下町の浴場は雑然としていた。男女を分ける衝立も、申し訳程度だ。
タイルに富士山こそ描かれてはいないものの、どこか昭和の銭湯を思わせる木製の建築物だった。
そんな人情味あふれる軒先から、カレーの匂いがしたので驚いた。
公衆浴場の裏で炊き出しが行われているようだ。器を手にした人だかりができている。
その中心では、ビキニ鎧を着たメガネの女が汗だくで大鍋の前に立ち、カレーを給仕している!
「ちゃんと列に並んでください! 量は十分にあるから割り込まないでください!」
とんでもない光景を目の当たりにし、思わず俺は二度見してしまった。
ファンタジー風ゲームやアニメではおなじみの過激衣装ビキニアーマー。
メガネの女は20歳くらいで、タヌキ顔。髪をポニーテールにまとめている。
地味目で親しみやすいルックスだが、プロポーションはすさまじい。
というか、あんな生々しい爆乳を現実で見たのは初めてだ。
長身で引き締まった雌豹のような肉体に、こぼれんばかりに重量級な胸と、庶民的で愛嬌のある顔立ちが、すべて不釣り合いなメガネ女子。
そのアンバランスさはソ〇マップグラビアアイドルみたいだ。
何を考えてあんな格好をしているのか、そういう趣味なのか。
それとも単にカレーを調理するのに暑かったのか、俺の目はもうくぎ付けだ。
この世界に来て1週間になるけれども、こんな格好をしている女なんて一人も見たことはなかった。
それはそうだ。あんな装備は1ミリも現実的ではない。
頭がおかしいのか、けしからん。
気がついたら炊き出しの列に俺も並んでいた。
朝食は食べたはずなのに、好奇心には勝てなかった。
俺の前には10歳くらいの女の子が並んでいる。
この娘は小動物系で、目がクリッとしていて可愛らしい。
耳が大きくとがっている。ひょっとしたらエルフだろうか。
しかし粗末な麻の服を着て、大き目な木の桶を握りしめて震えている。
チラッと顔を見ると、今にも泣き出しそうだ。
ビキニ鎧のメガネ女子は、困った顔で女の子に優しく言った。
「ネンちゃん。またお父さんに言われてきたのね」
「……ごめんなさい」
「きょう3度目だよね。お父さんもネンちゃんもお腹いっぱいでしょ?」
「うん。でも晩ご飯の分も持って来いって」
「お父さんの言うことを聞くネンちゃんは偉い子だけど、間違ったことに従ったりズルをしてはダメ」
「どうして?」
「炊き出しは一人一杯が一日のルールなの。他にもお腹がすいてる人はいっぱいいるでしょ?」
ビキニ鎧メガネ女子は腰をかがめ、少女と目線を合わせてまっすぐに諭している。
非常識な格好で、あまりにも模範的なことを言うので俺は面食らってしまった。
「自分さえお腹いっぱいになればいい。他の人なんて関係ない――みんながそう思って行動したら、世の中はどうなってしまうと思う? とても悲しくて、寂しいことだと思わない?」
本気で少女を心配して、本気でこの世を憂いている。
カレーの熱気なのか、本人の熱意なのかは定かではないけど、俺まで変な汗が出てきた。
「おいおいおい! こっちは腹減ってるんだよ早くしろよ!」
その時、ムワッとした体臭と共に、レスラーのような体形の大男が列に割り込んできた。
上半身は裸で、頭はスキンヘッド。ムッチリと肥えている。
手にはバケツくらいの大きさの桶と、鉄パイプのようなものを持っている。
「そこ! 割り込みはダメよ。列の後ろに並んで!」
「うるせーな、俺は腹が減ってるんだよ。姉ちゃんのおっぱいも一緒に食ってやろうか。ゲヘヘヘ」
大男はビキニ鎧の制止も聞かずにズケズケと距離を詰めてくる。
「子供が見てる前で下品なこと言わないでよ! いい大人が恥ずかしいとは思わないの? いいから列に並びなさい。それができないなら立ち去って頂戴!」
「てめぇに言われたくねーよ! この変態女」
大男は毒づいて、ビキニ鎧メガネ女子に桶を投げつけた。
バコンッ……!
しかし、まるで見えない障壁にでも守られたように、桶は弾かれて落ちた。
彼女は避けもせず防御態勢も取らないで、平然としている。
「こういうことがあるから、わたしまともな服が着られないのよ。最悪よ」
「……だァ、ゴルァ!」
今度は大男が鉄パイプを振り下ろす。
が、これも彼女には届かずに障壁によって弾かれてしまった。
「信じられない。今あなたがしたことは殺人未遂よ」
ビキニ鎧メガネ女子はカレーの大鍋の下に隠してあった日本刀を取り出すと、鞘に入れたままの状態で男に突き出した。
鞘に収まっているにもかかわらず、青い炎のようなオーラが湧き出ている。
刀や武器のことはゲーム程度の知識しかない俺でも、一見してその日本刀が凄まじい宝刀であることは理解できた。
「わたしは人を傷つけることが好きじゃないわ。でも、守らなきゃいけない時はためらわない。だから立ち去って。そしたら傷つけないし、通報もしないから」
彼女は刀を抜かないまま、諭すように言った。
静かな表情で、威圧感はまるでないのに、言いようのない凄みがある。
「……くそ!」
大男はすっかり戦意喪失して逃げて行った。
辺りは静まり返り、その場にいたほぼ全員が唖然としていた。
「どうもお騒がせしました。カレー、まだあるのでほしい人は並んでくださーい」
何事もなかったかのように炊き出しに戻るビキニ鎧メガネ女子。
めったなことではドン引きしない(あのエルマのトリッキーな言動にも律儀に付き合ってきた)俺が、こればかりはドン引きだ。
(色んな意味で)ヤバい奴に会ってしまった。
「あら、見ない顔ですね。異世界料理のカレーです。とっても美味しくて元気モリモリよ!」
「……ああどうも、ごちそうさまです」
とはいえ、ちゃっかり炊き出しのカレーをいただいてしまったが。
何の獣肉が入っているか分からないが、確かに美味い。
腹は空いていなかったのに、あっという間に完食してしまった。
間違いなく日本の、昭和風カレーで懐かしい味がした。
メガネをかけているということは、彼女もまた被召喚者か。
世の中にはとんでもない奴がいたものだな。
さて、お腹いっぱいになったところで営業開始。




