223話・怪物
「ママ。ヒナの贈った服を着てくれたんだ。嬉しいー」
ヒナは宙に浮かんだまま、小夜子に抱き着いて頬をすり寄せる。
ハグ、というよりも熱い抱擁だった。
小夜子に対する、過剰ともいえる愛情を剥き出しにするヒナ。
その様子に、小夜子自身は困惑しているようだ。
「久しぶり。直行君も随分と派手にやっているみたいね」
「まぁボチボチですけど」
「そちらのお嬢さんは初対面ね。紹介していただけるかしら?」
「彼女はロンレア伯の息女エルマ。現在、俺とロンレア領を共同統治している伯爵令嬢です」
「はじめまして。ヒナ・メルトエヴァレンスです」
ヒナの挨拶はシンプルだが、威圧感と凄味を感じさせる。
あえて執政官という肩書は名乗らない。
この世界における自身の知名度と影響力を「当然、知ってるでしょ」と暗に示唆するような印象を受ける。
伊達に魔王を倒して、この街をつくっただけの事はある。
「夫がいつもお世話になっております。エルマ・ベルトルティカ・バートリと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
対してエルマはカーテシーのような感じの、伝統的な社交の挨拶をした。
決闘裁判で観客に向かってやった作法とは違い、片膝をついて跪礼する。
貴族の礼儀作法は知らないけれど、たぶん目上の者に対して行う形式だと思う。
「賢者ヒナ様、とお呼びしても構いませんか?」
「ヒナでいいわ」
「では、〝ヒナさん〟と呼ばせていただきましょう」
跪礼をしたエルマだが、卑屈さは微塵も感じさせない。
自治区の雰囲気に調子を悪くしていたようだが、堂々と挨拶をしてみせてくれた。
「エルマ伯爵令嬢。ヒナは貴女をどう呼べばいいかしら?」
「異界人らしく、さん付け、ちゃん付けでも構いませんわ」
「では〝エルマさん〟と呼ばせてもらいましょう。では皆さん、執務室にどうぞ」
ヒナに案内されて、俺たちは執務室に入った。
勧められるままにアンティーク調の豪華な調度品が並ぶ部屋に通される。
そこは役員用の会議室のような重厚感のある部屋だった。
真ん中に大きな円卓があり、10脚の椅子がぐるりと取り囲んでいる。
ヒナがパチンと指を鳴らすと、その中から4脚の椅子が自動的に後ろに引かれた。
「すげえ。自動で動いたぞ」
「いいえ。ヒナさまの念力です」
「……同時に4つの物体を動かす。しかも詠唱の代わりに指を鳴らす動作で術式を起動した。さすが魔王討伐者ですわね」
ヒナにとっては、あいさつ代わりの魔力披露といったところか。
俺にはピンと来ないが、エルマとレモリーが険しい表情で顔を見合わせている。
「どうぞ。好きなところにかけて頂戴」
さすがというか、出会い頭の魔力マウントから始まって、この人はガンガン主導権を握ってくる。
微笑みを浮かべた裏で、すでに戦は始まっていた。
俺も、気を引き締めていかないと。
「さて。用件を伺おうかしら」
「俺たちの運営するロンレア領の特産品をお持ちしました。どうぞ改めてください」
俺が右手を挙げると、すぐにレモリーは宝石の入った木箱を机の上に置いた。
「はい。こちらは『ロンレアの薔薇』と呼ばれる特産品の宝石でございます」
「知ってるわ。魔力を通す石なのよね。おもしろい」
ヒナが意味ありげに頷いた。
「はい。それと1階の厨房でマンゴーと大海老を預かってもらってます。昇降用のエレベータを使わせていただければ、状態をご覧いただけるかと」
「そうね。調理したモノを上げるよりは、まずは輸送時の状態を確認してみましょう」
ヒナはそう言うと、アンティーク調の受話器を取って、受付に指示を出した。
◇ ◆ ◇
少しして、貨物用エレベータに乗せられた木箱が上がってきた。
その間、俺たちはアイカが淹れてくれたアプリコットティーを飲んでいた。
「杏子の香りが華やかで美味しいわねー」
「でしょ。ママに気に入ってもらえて嬉しいなー」
外見的には同世代の母娘だが、ヒナは俺たちと話す時とは別人のような表情で小夜子に甘えている。
……こんなことを思うのはヒナに失礼なのだが、彼女にとって小夜子は前世の母親だというのに、ここまで執着するのは不自然な気がしないでもない。
それほど、転生後の幼年期はひどいものだったのだろうか……。
「直行クン。貨物上がって来たから、どうぞ」
アイカに導かれて、俺は貨物用エレベータから木箱を取り出す。
まずは実物を見て、判断してもらおう。
俺は風呂敷を机の上に広げた後、木箱を3つ並べ直してヒナの方に差し出した。
「活海老の鮮度はいかがでしょう? ロンレア領の特産品の一つ。マンゴーもぜひご賞味ください」
「木箱に、おがくずが敷き詰められてるのは良いアイデア」
「それは、小夜子さんのアドバイスでした」
「そうなんだ。ママもこの案件には協力的なのね」
「うん! 直行くんと一緒に、炊き出しの事業化を考えてるの。もっと多くの人を救いたいから」
小夜子が目を輝かせているのに対し、ヒナは冷淡な印象だった。
口では褒めてくれていても、特産品にも炊き出し事業にも、そこまで乗り気ではなさそうに見えた。
「自治区で杏子が採れるようでしたら、アプリコットマンゴージャムなども作れますわね♪」
「加工品も良いけど、まずはマンゴーを試食してみましょうか。見たところ輸送中に追熟させたのね」
ヒナちゃんが浄化魔法でマンゴーを清め、再び果実に手のひらをかざす。
一瞬、光ったかと思うと、すでに果肉と種の三枚にカットされていた。
マンゴーの種は大きくて平べったい楕円形。
切り方のコツは魚を三枚におろすように切ることだ。
しかしヒナちゃんは刃物も使わず、一瞬でそれをやってしまった。
さらに気づいた時には、賽の目状にカットされていた。
「……いま、何やったんだ?」
「はい。浄化魔法、光弾魔法を糸状に放って果実を正確にカット。種も取り除きました。先ほどの椅子もそうでしたが、凄まじい魔法精度です」
「ポイントは威力を制御しているところですわ。通常の威力ならば、人間があのようにカットされますからね……」
「はい。おそらくフルパワーなら建造物を賽の目にできると思われます」
エルマとレモリーは戦々恐々、深くうなずいた。
「もう、ヤダなあ。ヒナを怪物みたいな目で見ないでよ」
俺には魔法の仕組みなんてまるで理解できないけど、驚いて言葉も出ないエルマとレモリーの表情から、ヒナの凄さを思い知るばかりだった。




