212話・勇者自治区、ふたたび
旧王都からおよそ半日で、勇者自治区に入る。
途中、俺たちが上級魔神と飛竜に襲われた箇所を通ったはずだが、分からなかった。
壊された街道も、燃やされた街路樹も見当たらなかった。
1カ月も経っていないというのに、俺たちの戦闘の形跡が影も形もなくなっていた。
「レモリーは飛竜に襲われたところ、覚えてる?」
「いいえ。確かこの辺りだとは思いますが、具体的な場所は分かりません」
「それはきっとヒナちゃんたちだ。彼女、この辺り全域のインフラ整備を請け負っているから。旧王都の上下水道の改築から、スラム街の下水の整備。新王都の公共事業も引き受けてるから、すごいよね」
「はい。そして驚くほど仕事が早いです」
「景気のいい話ですわね♪ あたくしたちもあやかりたいものですわ、アナタ」
「……ああ」
俺はエルマに生返事を返した。
小夜子が浮かない顔をしているのが気になった。
「どうかした? 小夜子さん」
「ヒナちゃんのやり方に文句を言うつもりはないんだけど、急ぎすぎだと思うのよ」
彼女は街道や街路樹に目をやりながら、腕を組んで首をかしげる。
「こんなに大急ぎで世の中を変えてしまったら、付いて来れない人もいるんじゃないのかなあ」
「実際、あたくしの両親などは魔王討伐後の世界情勢を、おぞましいものだと認識していますわ」
珍しくエルマがまともに受け答えしたので、俺と小夜子は顔を見合わせて苦笑してしまった。
「変わりゆく世界はおぞましい……か」
実際に俺はそういう目で見られ、危害を加えられたので、彼らの思いがシャレにならないほど切実であるのが分かる。
「だからわたしは、そういった人たちに手を差し伸べたいと思っているの」
小夜子の目は、どこまでも真っすぐだ。
だが、炊き出しで空腹なら救えるかもしれないけど、人々の価値観なんていうものは、容易には変えられない。
小夜子は簡単に、「手を差し伸べたい」などと、純粋な気持ちから言うけれど。
この世界を急速に変える異世界人がおぞましいあまりに、俺を檻に入れ、剣で足の健を切り、舌を切り落とすことに何のためらいもなかったエルマの父に対し、仮に小夜子がその場にいたとして、どう手を差し伸べられたというのか。
甘い、としか言いようがない。
もちろん小夜子の考え方を否定するつもりは全くない。
ただ俺は、「この世界の秩序を異世界(前世の故郷である現代日本)風に変えたい」ヒナと、「この世界の秩序を大切にしたまま弱者を救いたい」小夜子の間には、一見違うようでいて、考え方の根っこの部分は結局のところ同じなのではないかと、感じざるを得ない。
ふたりに共通する考え方、それは、自分の活動によって「みんなの価値観を正しい方向に変えたい」というお節介な気持ちなのではないかと思うのだが、どうなのだろうか。
◇ ◆ ◇
街道の先に、元の世界でおなじみの有名テーマパークの外観が見えてくる。
メルヘンチックなお城が、コバルトブルーの空に映えている。
「ここが噂に聞く勇者自治区ですか♪ 東京なんとかランドの丸パクリじゃないですかー!♪」
エルマが興奮して御者台に身を乗り出し、身もふたもないことを叫ぶ。
俺と小夜子は、顔を見合わせて苦笑い。
レモリーは涼しい顔で馬車を走らせる。
この街道の旅で、何度目のリアクションだろうか……。
「エルマちゃん。勇者自治区は初めて?」
「知ってましたけど♪ ミウラサキ一代侯爵様から聞いていた通りですわー♪」
「エルマ。頼むからヒナちゃんさんの逆鱗に触れないように言葉には気をつけてくれよ」
彼女とは一度会食しただけだが、あんなに周囲が気を使う会食は初めてだった。
もっともそれは、単に俺が社交慣れしていないだけかもしれないけれど。
ポップでカラフルな正面ゲートには、2種類の入り口がある。
来賓者用ゲートと、関係者用ゲート。
「どっちだろう」
俺は小夜子の顔を見る。
「この街に関しては、わたしはそこまで関係者って訳じゃないから」
彼女は珍しく素っ気ない態度で言った。
来賓者用のゲートをくぐり、受付で用件を伝える。
自治区の警備員はシャコー帽をかぶったオモチャの兵隊のような恰好で、腰にはサーベルを下げていた。
「自治区にはどのようなご用件ですか? パスポートはお持ちでしょうか?」
「パスポート? 前に来たときはそんなのあったっけ?」
確か前に来たときは、いぶきが全部手続きをやってくれたんだっけ。
パスポートなんて一言も言ってなかったような……。
「無礼者! あたくしを誰だと心得ますか! あたくしこそはロンレア領主エルマ・ベルトルティカ……」
「おい、あの人……」
当初は警戒していた彼らだったが、小夜子の顔を見るや、恭しく敬礼をし直した。
「失礼いたしました。小夜子さま……ですよね! ヒナ執政官にお繋ぎいたします」
「えっ?」
キョトンとする小夜子と、憮然とするエルマ。
警備員の1人が、無線機を取り出し、慌ただしく管制室に連絡を取っていた。
「顔パスですか小夜子さん。うらやましいですわ~。う~ら~や~ま~し~い~……」
小夜子の周りをぐるぐる回ってブツブツ独り言をつぶやくエルマ。
シャコー帽の兵隊は、小夜子にトランシーバーを手渡す。
「やっぱ関係者ゲートから入るべきだったか」
「もしもし! ヒナちゃん? うん、今ゲートのとこ。直行くんとエルマちゃんとレモリーさんと一緒。今から会えない?」
改めて、俺は人間社会における人脈=コネの威力を思い知った。
認めたくはないが、現時点までの俺の実績の8割はコネなのだ。
「──うん。──分かった。じゃあ、今日はそんな感じで。明日の17時にサンドリヨン城で。OK。またねヒナちゃん。バイバーイ」
「すぐには会えないっぽいか?」
「うん。ヒナちゃんはこれからガルガ国王の勅使と会談するみたい。で、今晩は晩餐会があるから明日にしてくれって。ホテルはこないだの異世界転移者用スイートを手配するから好きに使ってだって」
小夜子はトランシーバーを返却しながら、ヒナとの面会の日時を教えてくれた。
「異世界転移者用スイート♪」
「はい。あそこですね」
小躍りするエルマに、レモリーが湖の方向に見えるヴィクトリアン様式風ホテルを指さした。
「あの見るからに高そうなホテル! レモリーも一泊したのですか! 直行さんと一緒に! 中年同士の熱い夜を過ごしたのですか?」
「いいえ。部屋は別でした。今回の部屋割りはどういたしましょう」
エルマとレモリーのやり取りに、俺と小夜子は顔を見合わせて苦笑した。
このやりとりは何度目だろうか……。




