209話・モフモフコボルト君ジュリー
エルマの召喚魔法に応じて、魔方陣から犬頭妖精が姿を現す。
犬の顔に、モフモフの毛並みを持った人型の魔物だ。
大きさは13歳の鬼畜令嬢エルマよりもやや小さい。
この世界の犬頭妖精に個体差があるのかは分からないが、ちょっとオッサンっぽい。
武器は持っておらず、腰に粗末なパンツを履いただけの姿、パンイチだ。
「グルルルル……」
「ごきげんよう♪ あたくしの下僕におなりなさいな♪」
小柄で、魔物の中では最弱の部類に入る犬頭妖精だが、元の世界の大型犬よりも大きく、爪も牙もある。
やる気はなさそうだけど、舐めてかかると命にかかわりそうだ。
エルマもそれを理解しているようで、少し距離を取って身構える。
「命を奪わなイ程度にダメージを与えテ、契約に取り付けよウ!」
魚面は、そう叫んで呪縛魔法の詠唱に入った。
一方、エルマはポーチから小瓶を取り出すと、封を開けて一気に飲み干す。
「グルル……ゴアア!」
先に動いたのは犬頭妖精だ。体の小さいエルマに狙いを定め、ボクシングの右フックのような爪攻撃を仕掛ける。
「キシャアアアア!」
エルマは咆哮一閃、犬頭妖精の腕を左肘で弾き、右の拳をガラ空きになった相手の顔面に叩き込む。
そして続けざまに頭を抑え込み、顔面に膝蹴りを入れる。
「まさか、狂戦士薬を飲んだのか?」
確か決闘裁判で、錬金術師アンナから奪った触媒で調合した秘薬。
あれっきりだと思ったが、まだ在庫があったとは驚きだ。
狂戦士薬は飲んだ者の物理的な戦闘力を向上させる。
言ってみればドーピングアイテムのようなものだ。
一時的に筋力と俊敏性を向上させるが、理性を失い、冷静な判断ができなくなる。
「グガっ?」
「キッシャアアアアァ!」
思いもよらない攻撃に、犬頭妖精は怯んだ。
エルマは容赦せず、殴る、蹴る、掴む、噛みつく。
あれではどっちが狂犬だか分かったものではない。
「……お嬢チャン。魔法使イなんだから肉弾戦やらなくてモ良いんだヨ」
魚面も呆れて呪縛魔法の詠唱が止まってしまった。
俺とレモリーも呆然とお互いの顔を見合わせてしまった。
「エルマの奴、物理攻撃もいけるんだ……」
「いいえ。お嬢様は近接戦闘を習ったことはありませんが、あの薬によって潜在的な戦闘力が引き出されているのでしょう……」
やがてエルマの情け容赦のない物理攻撃に、犬頭妖精は恭順の意思を示し始めた。
両手を上げて腹を見せる。
しかしエルマは犬頭妖精の鳩尾に正拳突きを放つ。
悶絶して倒れる犬頭妖精に、魚面の呪縛魔法が発現し、魔物はあおむけに倒れたままピクピクと震えていた。
俺は、あまりにも魔物が気の毒になって、目を背けてしまった。
見かねた魚面が、解呪をかけてエルマの状態異常を治療した。
「お嬢チャン。手を止めて契約に入ル。魔力を込めて、犬頭妖精にこう言う……」
「『犬頭妖精ゲットだぜ!』ですわね♪」
「違ウ!」
「ぎゃぺっ」
「『我に従え』と言ウ。お互い命がけ。真面目にやりなさイ」
「……『我に従え』」
「△▼××△▼」
エルマの命を受け、犬頭妖精は目蓋を閉じてよく分からない言葉を発した。
すると魔物の額に魔方陣が浮かび、すぐに消えた。
「これで契約は成立シタ。後は使役する方法と、門を開いて異界に戻す方法を教えル」
こうしてみると、魚面とエルマは良い師弟関係のように見えた。
エルマは嬉しそうに犬頭妖精を起こして、お手をさせたり伏せをさせたりして喜んでいる。
「良いですわね♪ 以前飼っていた闘犬ジュリーとメリーの後継者として育て上げましょう♪ その名も、ジュリーズJRなんてのはどうでしょうねえ♪」
エルマの頓珍漢な物言いはスルーしておくとして……。
魔物召喚から契約までの一部始終を目の当たりにして、俺はいくつかの疑問が浮かんだ。
「なあレモリー。エルマが俺を召喚した時も、あんな感じだったのか?」
「いいえ。『人間のアカシックレコード』を使用した召喚術は、私も初めて立ち会ったので、驚きました」
「と、言うと?」
「はい。同じ召喚術でも、直行さまをこちらの世界にお呼びした召喚術は、性質が違うように思えました」
「性質が……違う?」
「はい。今の召喚術は魚面さまの指導の下に、お嬢様の術式で発動したものですが、直行さまを召喚した際の術式は術具『人間のアカシックレコード』に依存する召喚式でした」
……よく、分からない。
「それって、どういうこと?」
「はい。召喚術を釣りにたとえますと、仕掛けを作って釣り糸を垂らし犬頭妖精を釣ったのは魚面さまで、陸に上げて食べたのがエルマお嬢さまです」
要するに、魔物がいる世界を海だとすると、魔方陣を描いて門を開くという行為が、釣り糸を垂らすという事か。そこまでを魚面がやった。
そして釣り上げた獲物=犬頭妖精を捕まえて契約したのは、エルマという事か。
「俺の場合だと?」
「そうですね……。仕掛け一式が『人間のアカシックレコード』に拠るもので、釣りにたとえられるものかも分からない謎の仕様です」
「カギを握るのは、傷の女ヒルコか……」
この世界に転生した者が、13歳になるとどこからともなく現れる。
召喚術具『人間のアカシックレコード』と魔力補助アイテムの魔晶石まで配って、元の世界から人間を召喚させようとする。
エルマに『人間のアカシックレコード』を授けたのは、彼女だ。
その一方で、魚面から顔と記憶を奪っている。
現時点で、俺たちとの接点はその2点だが、謎の女ヒルコの事は胸に留めておく必要がある。
こうして、エルマは新たに魔物召喚術を学び、俺たちも風呂に入って1日を終えた。
明日はいよいよ勇者自治区へと出発する。




