202話・13年ぶりのじゃんけん
翌朝。
昨夜の風呂場での事を思い出すと、何とも言えない恥ずかしさがこみあげてくる。
エルマもまるであんな事などなかったかのようにいつも通りの態度。
皆も、あえて昨夜のことには触れないでいる様子だ。
このまま記憶の奥底に沈めて蓋をしてしまおう。
俺たちは軽めの朝食を取った後、ロンレア邸を出て、町に戻る。
今日は農業ギルドや、織工ギルドへのあいさつ回りを行うためだ。
同行するのは俺とエルマとレモリーと小夜子。
お目付け役の茶色ベストの青年ギッドとは役場で合流する予定だ。
「ワタシはお留守番シマス」
魚面は屋敷に残るという。冒険者三人組と共に家具の積み込みを行うそうだ。
ゆるふわ黒髪の美人に変装しているとはいえ、魚面は記憶喪失の元・暗殺者だ。
今までどうやって生きてきたのか詳しくは知らないが、裏の世界の住人だった。
真昼間に役人と会うことは心理的に抵抗が大きいのかもしれない。
「くれぐれもディンドラッド商会の紋章入りの木箱は開けないようにな」
「へい!」
「魚面、スライシャーをよく見張っててくれ」
「分かったヨ直行サン」
俺は念のためスライシャーに釘を刺しておいたが、どうなることやら心配ではある。
◇ ◆ ◇
南国の樹木が立ち並ぶ、南の湖面から移動していると、体感時間で30分もしないうちに、一面に秋の収穫物で満ちた畑が広がっている。
「実りの秋といっても、こんな程度なんですのね」
来た道をたどる道中で、エルマが誰に言うでもなく呟いた。
「こんな程度って、外国の大規模農法なんかと比べるなよ。トラクターもコンバインもないんだぞ。思ったよりもずっとキチンとした畑だよ」
「一面に広がる麦畑を想像していましたのに、少し残念でしたわ♪」
「日本だと麦の収穫期は5月~梅雨入り前だけど。この辺りの気候は極端にバラバラで、いつ何が採れるか見当もつかないな……」
俺たちが通ってきた街道沿いでは、耕地を2つに分け、休閑地では羊などの家畜を飼って地力を回復させる二圃式農業、輪作が行われていた。
この辺りでは、どのような農法が最適なのかは分からない。
「直行さん。農業のことならばうってつけの人物がいますわよ♪ ちょうどこれから会う予定になっておりますので、その人の意見を参考にするとよろしいでしょう」
◇ ◆ ◇
役場でギッドと合流した俺たちは、さっそく農業ギルドへ挨拶回りに向かう。
道中ギッドから、簡単な説明を受ける。
農業ギルドと聞いて、農協のようなものを想像していたが、管理しているのはディンドラッド商会だ。
ロンレア伯から委託された彼らが豪農や小作人から作物を買い取る。
その他に人頭税や地代(農民が耕作する農地にかけられた税)などを徴収する。
「税は農作物や金銭、あるいは賦役といった労働によって納められます。この内から当商会への手数料を抜いた金額が、ロンレア家の収益となります」
改めて聞くと、ロンレア家は権力者なのだ。
レモリーが御者を務める馬車に揺られながら、俺はギッドの言葉に耳を傾ける。
エルマは退屈そうに足をバタバタさせているが、笛を吹かないだけまだましだ。
「で、その収入を法王庁に寄進したり、クロノ王国に朝貢したりして安全保障を得る、ということか」
この世界の権力構造は、少々複雑だ。
クロノ王国という、新王都に居を構える王が、一応、人の住む領域の最高権力者とされている。
その一方で、人々の信仰の拠り所の聖龍法王庁という組織もある。
法王はその最高権威者という役付けだ。
王と法王。この両者に序列はなく、各地の豪族や貴族たちは好きな方の庇護を受けることができる。
「どっちに貢ぐとしても、最低限この金額以上みたいなのは定められているのか?」
「それは当代の王や法王のお心次第ですね」
ギッドは皮肉っぽく、肩をすくめて見せた。
◇ ◆ ◇
ロンレア領の農業ギルドは、製粉所に隣接するロッジのような建物だった。
奥には小麦を保管しておく塔型サイロがあった。
十数人くらいの老若男女が、大きなざるを広げて天日干しキノコを作っている姿も見える。
「こちらです。どうぞ」
茶色ベストのギッドに案内されるままに、俺たちはロッジに入った。
中は思ったより広く、ちょっとした集会場のようでもあった。
木とキノコ類、魚の燻製の混ざった匂いが部屋中に広がっている。
高い天井には燻製にした淡水魚が吊るされている。
中央に大きな木製のテーブルがあり、椅子が取り囲む。
旧王都の貴族街のような装飾は見られないけれども、温もりのある素朴な雰囲気だった。
「誰もいませんわね」
「皆、作業中ですね。いま、ギルドマスターをお呼びします」
ギッドが人を呼びに部屋を出ていった。
その間、俺とエルマは新領主就任の挨拶をどちらが行うかを決めておくことにした。
俺がやるか、それともエルマか、じゃんけんで決める。
「最初はグー♪ じゃんけんぽんっ♪」
俺がチョキでエルマがパー。
勝ったのは俺だが、なぜかエルマは嬉しそうに開いた手のひらを見つめている。
「これが、異世界人たちが物事を決める際に使う三すくみの拳〝じゃんけん〟なんですのね……」
エルマはまるで〝じゃんけん〟を異文化のように語った。
「エルマ、ここには俺たちの他に誰もいないぞ」
「あ、そうでしたわね。いやあ懐かしいですわ~♪」
転生者であることを隠していたエルマは、感慨深そうに言った。
おそらく転生してから、そういう機会もなかったのだろう。
ちなみにこちらの世界では、コイントスや紐を使ったくじが主流となっているようだ。
俺たちの会話を、小夜子が不思議そうな顔で聞いていた。
「はい。小夜子さまも、じゃんけんはご存じなのでしょう?」
「もちろん。トシちゃんたちは、いつも揉めるとじゃんけんで決めてたから。魔王討伐軍では割とポピュラーかもねー」
レモリーの問いに、小夜子は朗らかに答えた。
〝じゃんけん〟も、今後地味にこの世界に浸透していくのだろうか……。




