199話・ドキッ! はじめての温泉回1
「ボンゴロくーん。もう少し下ねー」
「はいお」
ロンレア邸の離れにある岩風呂に、衝立が仕切られようとしていた。
屋敷の物置にあった古い仕切り板を、木製のスタンドで固定するといった単純なものだ。
小夜子の発案で、申し訳程度ではあるが、男湯と女湯を隔てるためだ。
「はい。直行さま。固定する足場はこの辺でよろしいでしょうか?」
「ああ」
俺と戦士ボンゴロが板を持ち、小夜子とレモリーがスタンドを取り付ける係だ。
術師ネリーは魔法の炎でかがり火に火をつけ、周囲を照らす。
温泉場での作業のため、男たちは上半身裸で、女性陣も肌着姿。
風呂に入る前からのぼせ上りそうなほど熱い。
皆、汗だくだ。
「ピッピッピー♪ ピッピッピー♪」
エルマは言うまでもなく手伝いはしない。
そんな俺たちを囃し立てるようにプラスチック製のホイッスルを吹き鳴らす。
「エルマちゃん、夜中に笛を吹くと蛇が出るわよー」
「それって口笛じゃありませんでしたっけ♪ 魔王を倒した小夜子さんは鬼哭啾啾なぞ恐れるに足りないのではなくて?」
「小夜子さん、エルマの屁理屈にマトモに付き合うことないよ。あいつはいつもああなんだ」
「直行くんって意外とエルマちゃんに当たり強いよね。亭主関白タイプ?」
「ピッピピピッピッー♪ ピッピー♪」
エルマは俺を横目で見ると、何食わぬ顔で笛を吹き続けた。
安っぽい音が、暗闇に鳴り響く。
「へい。何事かと思ったらお嬢さんの笛の音ですかい」
「変な音色だけど、ワタシは昔聞いたコトがあるのカナ?」
笛の音で現れたのは亡霊ではなく、盗賊と元・暗殺者だった。
食事の後片付けを担当していた魚面とスライシャーが、作業を終えてやってきたのだ。
◇ ◆ ◇
「はーい男子ー! 今から回れ右して〝もういいよー〟って言うまで目を押さえていてねー」
小夜子は引率の先生のような口調で、俺たちに言った。
岩風呂には掘っ立て小屋のような脱衣所がポツンとあるだけだ。
申し訳程度の衝立があるとはいえ、服を脱いでから湯船に入るまで丸見えの状態だ。
仕方なしに、俺たち男性陣4人は、後ろを向いて手のひらを顔に当てて目隠しをする。
「もうーいいーかーい」
「まーだだよー」
かくれんぼのような会話だが、後ろで女性陣が服を脱いでいるところを想像すると、全力で振り返りたい誘惑にもかられる。
グラマラスな小夜子はもとより、細身でモデル体型のレモリー、魚面もかなり肉感的な印象だ。
三人三様の魅力を備えた女性陣だ。
お湯で体を流しているのか、水音と石けんの匂いがこちらまで漂ってきている。
この香りは勇者自治区のホテルにあったものだ。
「何だかいい匂いがするお」
「なあ大将、指どけて振り向いたらダメっすかねえ」
「吾輩も女体の神秘が気になるところでありますな」
「……紳士たるもの我慢しないとな」
まるで小学旅行の男子のようなノリだが、俺は指の隙間から横目でネリーとスライシャーを見る。
彼らもまた、俺を見ている。
「あ、お前ら……」
スライシャーは、掌の中に小さな鏡を隠し持ち、器用に後ろを映しているようだ。
ネリーもまた、ローブを留めるブローチで、後ろを見ようとしている。
「小夜子さん、こいつら鏡使って覗いてるよ」
「もーいーよー!」
「良くないよ! こいつらズルいよ」
「いいえ。直行さま。問題ありません」
振り向くと、レモリーの精霊術で霧のようなモヤに包まれていた。
「何だよ。こんなことができるなら衝立なんていらないじゃん」
「ダメよー。衝立がないと男子が突撃して来ちゃうでしょー」
女性陣が湯船に入ったところで、俺たちは脱衣所に入った。
男たちの脱衣姿を、エルマは笛を吹きながらガン見していた。
「ひゃあ、こいつぁ良い湯加減ですぜ」
「スライシャーくん! ちゃんと体を流してから入った? わたしたちの入浴マナーを守ってよ」
俺は先駆けて入ろうとした盗賊スライシャーの肩を掴み、石けんを持たせた。
ふしぎそうに石けんの匂いを嗅いだ彼らに、俺は体を洗ってから入るように勧めた。
「三人組は俺が監督するから大丈夫だ」
「オッケー!」
「直行さん、皆さんの隅々まで洗ってから入ってきて下さいね♪」
衝立によって仕切られた温泉に入る。
レモリーの精霊術のモヤは解け、視界は良好。
かがり火でライトアップされた岩風呂は、周囲からは丸見えだ。
「はい。直行さま。湯加減はいかがでしょうか?」
「悪くないな」
「直行さん本当はレモリーと一緒に入りたいところでしょうが、今宵は我慢してくださいませね♪」
「いいえ。エルマお嬢さま。茶化さないで下さい」
俺とレモリーは駆け落ち寸前まで行った割に、エルマの乱入(?)により関係が微妙になってしまった。
それに加え、彼女の後任が決まるまでロンレア家の従者を続けてもらう必要があった。
すべてはまだ途中。
俺たちは足を止めない。順を追って、事業を広げつつ人間関係も深めていく必要があった。
「レモリー、落ち着いたら今度は二人でゆっくりしような」
「はい。直行さま」
「いよっ、大将。この色男! ごちそうさまでしたー!」
「直行さん。仮にも妻の前で愛人を逢瀬に誘うとは聞き捨てなりませんわね♪」
「直行くーん、しっかりしないとダメよー」
衝立を挟んで、俺たちは談笑する。
板の隙間から微かに見えるのは肩や胸で、肝心なところは見えない。
しかし、それがかえって爽やかな色気を感じさせる。
「かがり火が揺れてきれいだお」
「こういうのイイナ……ワタシ、何か嬉しイ」
魚面がしみじみと呟く。
こうして、ロンレア領初日の楽しい岩風呂タイムは平和的に過ぎていくかと思われた。
ところが、そんな健康的な混浴は、鬼畜令嬢エルマの奸計によって脆くも崩れ去るのであった。




