194話・はるばる来たぜ! ロンレア領
ロンレア領に着いたのは、それから2日ばかり過ぎた頃だ。
「見てー! 段々畑よ。綺麗ねー。空気も美味しーい!」
小夜子は朗らかに笑い、両手を伸ばして深呼吸する。
俺は景色よりも、農作物の実り具合につい目が行ってしまう。
「おお、葡萄も栽培してるな。知里さんが来てたら喜んだろうな」
「はい。直行さま。〝異界風〟のワインは、あの畑で収穫された葡萄で造られています」
「あれは林檎カナ? 美味しそうウ」
「直行さん、原木栽培のキノコもありますわよ♪」
魔法王国時代に造られたという隧道=トンネルを抜けると、雄大な景色が広がった。
山には段々畑が広がり、林檎園や栗園などには、秋の収穫物がたわわに実っている。
「アレが川で、遠くに湖も見える! ワタシはココに来たことがアルのかな? イヤ、違うカナ?」
魚面は確かめるように景色を見渡している。
記憶を奪われた彼女には、初めて訪れた土地でも「もしかしたら前に……」と考えるクセがある。
「湖か。養殖するなら高級食材だけど、淡水じゃ選択肢が限られるなー」
「はい。ロンレア湖では淡水エビやカニの養殖が盛んです」
「以前来た時に食べましたわ♪ 泥臭いザリガニじゃなかったですか」
「見てー! あそこに水車があるわ! 大っきいー。観覧車みたーい」
「水車カ。13歳ヨリ前のワタシは、アレを見たことがアルのカナ……?」
俺たちの反応は様々だ。
子供のようにはしゃぎまわる小夜子と、記憶の糸をたどる魚面。
俺とエルマとレモリーは、ビジネスモードだ。
周辺の山々から流れる川は、領内の中心部を流れて湖に注ぐ。
川の周囲には、水路が引かれ7代目ロンレア伯がもたらしたという水車小屋が立ち並んでいた。
「でもちょっとこの水車小屋、古めかしくないか?」
「はい。伯爵さまは、異界からの新技術には反対の立場でしたから、最小限の改修しか行っておりません」
「でも直行さん、ディンドラッド商会はお父様の目を盗んで異界風に卸す異界の作物を育てていたり、柔軟に対応してましたのよ♪」
「はい。目に見える建物はそのままでも、農作物などは異界の品種に更新していたようですね」
ロンレア伯だってほとんど領地の視察なんてしないだろうし。
外来種ならぬ異界種の農作物が採れていたとしても、彼が気づくとも思えないし。
「なるほど。『お気楽な三男さま』は抜け目なくやっていたんだな……」
◇ ◆ ◇
三方を山に囲まれ、湖に面した天然の要塞ともいえる場所が、ロンレア領の中心地だ。
初代ロンレア伯の知恵か、あるいは元からあった集落を広げたのか。
お世辞にも領都などとは呼べない、こじんまりとした町だ。
おそらく戦乱の時代に町をつくったのだろう。
隧道を抜けてすぐに、関所の跡があった。
山々の各所や、平地にも見晴らし台が目についた。
魔物も多かっただろうから、索敵は生命線だ。
なるほど敵から身を守る町づくりの工夫が、随所に見られた。
俺たちを乗せた馬車は、畑を抜けて市街地に入る。
旧王都とは比べ物にならない小規模の町だった。
俺の感覚では、村といった感じに近い。
石造りの建物は少なく、ログハウスのような木造建築が主だ。
これだけ山に囲まれているのだから、当然だろう。
「はい。この先のレンガ造りの建物が、町役場です」
颯爽と馬車を操るレモリー。
2台の馬車が縦列して走る姿が珍しいのか、町の人たちが窓から顔を出したり、足を止めたりしてこちらを見ていた。
「何か恥ずかしいナ」
「あたくしがここの支配者だと思うと、気分が良いですわね♪」
「圧政はやめろよエルマ」
「こんにちわー! ヤッホー!」
俺たちの反応はそれぞれだ。
小夜子はこの手の反応に慣れているのか、余裕で手を振ったりしていた。
こうして俺たちは町役場に入った。
「おお! お待ちしておりました皆さま!」
重厚感のあるレンガ造りの町役場に入ると、ディンドラッド商会の職員が出迎えてくれた。
茶色のベストがいかにも役人風の青年だが、満面の笑顔で俺たちを案内した。
「こちらが事務室です!」
中では10人ほどの事務員が働いている。
皆、ディンドラッド商会から派遣されてきた人たちだという。
年配の男性もいれば、少年のような年頃の者もいる。
パッと見て秀才タイプと、腕っぷしの強そうな両極端の人たちが働いているのは意外だった。
彼らは作業の手を止め、一斉にこちらに注目する。
本当に珍しいものを見たような顔で、ガン見されてしまった。
「……」
彼らは特に挨拶をするでもなく、茶色ベストの青年に視線を移した。
紹介を促すような格好だ。
「この方たちが、先だってフィンフ様よりお話のあったロンレア伯のご令嬢一行です。遠路はるばるお越しいただきました」
彼ら一同、席を立って拍手するでもなく、かといって嫌な顔をするわけでもない。
俺は何ともいえない間と視線に、柄にもなくたじろいでしまった。
しかしエルマは堂々としている。
「皆さまごきげんよう。あたくしはエルマ・ベルトルティカ・バートリ。この度、父に代わりましてロンレア伯の代行を務めさせていただきます。こちらの夫とともに♪」
「……ど、どうも」
まがりなりにも伯爵令嬢として、毅然とした態度だった。
俺も、深呼吸して後に続く。
「お世話になります。九重 直行と申します。領地運営は素人なので皆さんから色々と勉強させてもらうつもりです。どうぞよろしく」
「……」
事務員たちは反応に困っている様子だった。
ひょっとしたら決闘裁判の話は広まっていないかもしれない。
情報伝達の速度と正確さは、俺の認識とはかなり離れているのだ。
「ご承知の通り、夫は異界人ですので、何かと不調法があるかと存じますが、何卒ご容赦ねがいますわ♪」
エルマは俺の戸惑いを逆手に取って、挨拶を締めくくった。
その間、茶色ベストの青年は年長者の男性に促して、引き出しから書状を持って来させていた。
どうもこの青年が、ここでいちばん権限を持っているようだと俺は当たりをつける。
「ディルバラッド・フィンフ様より、ロンレア領統治の委任状をエルマ様にご返却いたします。以下、我らはお二人の指示に従いますので、よろしくお願いいたします」