192話・ある矛盾点
夕闇が迫る頃。
街道沿いに見えた街で、俺たちは宿をとることにした。
御者を務めていたレモリーが、頃合いの宿屋を見繕うと馬車を停めた。
「はい。少々、お待ちください」
颯爽と御者台を降りたかと思うと、宿の手続きを済ませ、馬車置き場に馬を回す。
その手際のよさに、後に続くスライシャーが舌を巻いた。
「意外とレモリー姐さんは旅慣れてやすね」
「いいえ。旅の経験はありませんが、先々代の頃に、旧王都と領地を往復しておりましたので……」
スライシャーの問いかけに、レモリーはサラッと答える。
簡単に言うが、当時は魔物も多く、まだ少女だった彼女にとっては危険な旅路だったことだろう。
◇ ◆ ◇
宿屋に隣接する酒場で、夕食を摂る。
牛が放牧されていたにもかかわらず、牛肉がメニューにないのは少し残念だ。
獣肉は領主や豪商などの権力者に提供されるのだろう。
地方の食堂には、あまり回ってこないのかもしれない。
「ここは当家の領地ではありませんもの。贅沢できなくても仕方ありませんわ♪」
そのメニューも、『本日のコースA』みたいな感じで、選択肢はほぼない。
湖で獲れた淡水魚の燻製と、かぶのスープ、オクラのような野菜のピクルスが出てきた。
あとは硬いパンと、麦酒。
未成年のエルマはハチミツを溶かした香草茶。ちなみにこれは1杯1000ゼニルともっとも高い。
「いただきまーす」
木の匙くらいしかなかったので、手づかみで食べるのには少しばかり抵抗があったものの、俺は淡水魚の燻製を頭からいただいた。
塩気は多いが生臭さはほとんどなく、燻製の香りが大人っぽい味付けだ。
「なるほど。結構美味いな」
どの料理も素朴だけど力強い味で、この地に生きる人たちの工夫とたくましさを感じさせる。
「この燻製、何の木で燻してるんだろうな」
「たぶんナラ類ですわ♪」
俺は燻製を頬張り、麦酒を味わう。
木で作られたジョッキに入れられた麦酒は、生焼けのパンを自然発酵させてつくられたもので、ホップは使われておらず、麦の殻の搾りかすも残っている。
俺たちがよく知る苦いビールよりは酸味が強く、フルーティだが、ちょっと微炭酸で生ぬるい。
だがマズいわけではなく、ビールに対する先入観を捨てればむしろ美味いと感じる。
「この麦酒けっこう美味しイね」
魚面は麦酒が気に入ったようで、もう2杯目を飲んでいる。
「あまり苦くないから飲みやすいかもねー。わたしもおかわりしちゃおうかなー」
「小夜子サン、お酒飲めたノ? 温かいミルク飲んでるトコしか見たコトなかったケド」
「い、いいえ。小夜子さま、勇者自治区ではワインを飲まれてましたよね」
「メニューになかったから、頼めなかったわ」
「ミルクがアレバお酒を飲まなかったノ? 変な人ダ」
「だってミルクが大好きなんだもの。この世で一番美味しい飲み物じゃない?」
「そ、ソウカ……?」
小夜子と魚面はすっかり打ち解けたようで、レモリーと3人並んで食事を楽しんでいる。
女性同士が仲良くなるのは驚くほど早い。
レモリーも不器用ながら、どうにか打ち解けようとしている様子だ。
声をかけようとして、タイミングが見つからない感じは典型的なコミュ障のようだ。
そんな彼女に気がついて、小夜子が言葉をかける。
「レモリーさんはお酒飲まないの? この麦酒悪くないよ。一杯どう?」
「いいえ。小夜子さまのお気持ちはありがたいのですが、私は御者ですので、控えさせていただきます」
「えー? でも、自治区では飲んでなかったっけ?」
「はい。ですが、あれはそういう雰囲気でしたのでやむなく……。しかし今回は遠出なので、遠慮させていただきます」
「少しならいいじゃない。大丈夫よー」
「いいえ。皆様の命をお預かりしておりますので」
「そっかー。レモリーさんって本当に真面目なのねー。わたしなんかもうオバタリアンよナハハ……」
(オバ……タリアン……)
……って、何だ?
少し考えて、俺はギョッとした。
32歳の俺でさえ「死語」として辛うじて知っているような知らないようなレベルの言葉だ。
リアルタイムで聞いたことはない。
確か死語についてのネット記事で読んだ覚えがあったような……。
「はい? 何ですか、それ……」
「わたしたちの世界で流行ってる言葉なんだ」
小夜子は臆面もなく言った。
ちょっと待てよ。ネットがあればすぐに細かい年代を検索できるのだが、無理な話だ。
17歳でこちらに来たと言っていたけど、いつの時代の人なんだ?
気になるところだが、女性に生年月日を聞くのも失礼に当たるし……。
「どうかしました? 直行さん……」
小夜子たちとは離れた位置に腰かけ、ハチミツ茶をすすっていたエルマが声をかけてきた。
「なあエルマ、オバタリアンって言葉知ってる?」
「何ですか?」
「だよなあ。なあ、小夜子さんに何年生まれだか聞いてきてくれないか?」
「女性に年齢を聞くなんて失礼ですわよ?」
「それはそうなんだけど……」
そういえば……。
エルマの前世の生年月日はいつなのだろう。
転生者だということは、前世で死亡していることになる。
確か、彼女の前世は20歳で、理系の大学生だと言っていた。
彼女は今13歳だというから、そうすると、最低でも13年前には亡くなっている計算になる。
しかし、エルマの言動や嗜好から、どう考えても13年前に20歳で亡くなった人間とは思えない。
「この世界と……」
この世界と、あの世界との間で、時の流れがおかしくなってる?
俺は言いかけて、やめた。
確かめる術もないことだ。
おかしいと気づいたところで、だから何だというのか。
俺はただ、何となく喉の奥に小骨が刺さったような違和感を覚えていた。