191話・平和な世界の街道をゆく
街道沿いには、広大な牧草地が広がっていた。
ところどころにサイロのような塔も見える。
「直行さん見てください! 牛がいますわ♪ 美味しそうですわね~♪」
「生きてる牛を見てそれを言うか?」
エルマは邪気たっぷりに笑っている。
緑の平原に、牛が点在し、牧草を食んでいる。
茶色いものもいれば、黒いものもいる。
ホルスタインのような白黒模様のやつもいる。
遠くに馬上の人影が縄を振り回して牛を追っている姿が見えた。
広大な牧草地に、牛馬と人のシルエットは何ともグッと来るものがある。
「雄大な景色だなー。この世界では、ああやって牛を育てているのか……」
「いいえ。私の知る限り、あんな風に伸び伸びと牛を放つ姿は初めてです。あのような悠長な放牧は一昔前だったら、たちまち魔物に襲われてしまいますから」
御者台からレモリーが言った。
俺もエルマも魚面でさえも、正直ピンと来なかった。
「そうねー。わたしは討伐軍に入る前、旅芸人の一座にいた時があったんだけど、確かにああいう放牧風景は見たことなかったかな。柵に囲んで、武器を持った男たちが家畜の管理をしてたわね」
小夜子が当時のことを補足してくれた。
そういえば勇者自治区で「ヒナちゃん」と会った時に、旅芸人の話はしていたな。
「小夜子さん、確かその一座って……」
「うん! メルトエヴァレンス一座」
「メルトエヴァレンス……って、魔王討伐軍の戦術指南の元傭兵グレン氏のこと? ですか……」
エルマが驚きながら尋ねる。
「グレン座長は、わたしたちの大恩人。あの人がいなかったら、トシちゃんも魔王なんて倒せなかったでしょうし、わたしも仲間たちも、たぶんこの世にはいなかったわ」
小夜子はメガネを外して、ハンカチで目頭を押さえている。
俺には今ひとつピン来ないが、この世界では勇者トシヒコ、賢者ヒナ・メルトエヴァレンスに次いで名前の挙がる英雄として知られているそうだ。
「グレン座長は確か……」
亡くなっていると聞いた。
「うん……6年前に。でも彼は確信して、わたしたちに思いを託してくれたの。でも、やっぱり今のこの平和な景色を、座長にも見せてあげたかったな」
「……」
俺とエルマと魚面は何も言えずに顔を見合わせた。
さすがのエルマも茶化したり毒を吐いたりできないようだ。
俺は改めて景色を見た。
空気はどこまでも澄んでいて、日差しは穏やかだった。
心地よい風が、俺たちの頬を撫ぜていく。
この長閑な街道の景色は、勇者トシヒコたちによって、わずか6年前に得られたものなのだ。
◇ ◆ ◇
旧王都からロンレア領へは、馬車で片道2日ほどの行程だ。
魔王討伐戦以降、各地を結ぶ街道は砕石舗装し直されているものの、けっこうな距離がある。
街道沿いには宿場がないので、夕刻までに近郊の街に入る必要があった。
まだ日が高いので、俺たちは昼食も兼ねて街道沿いの草原に馬車を停め、馬を休ませた。
レモリーが草の上に敷物を広げて、持ってきた飲み物や食べ物を用意している。
初日の昼食のメインは、バー「異界風」の主人ワドァベルト特製のパストラミサンド。
彼もロンレア領には来たがったが、店があるので同行できなかった。
「意外と遠いんですのね」
チュー、ドムドム……。
現代から召喚した魔法瓶からタピオカミルクティーをすすりながら、エルマはぼやいた。
「魔物が出ないだけ、ありがたいと思わないとな」
「はい。それに、舗装が新しいので走りやすいです」
俺とレモリーは並んでサンドイッチを頬張る。
パストラミに使われている獣肉だって、魔王討伐前はめったに食べられないものだったという。
エルマはその隣にちょこんと腰かけ、タピオカミルクティーをすすっている。
小夜子の周りは、3人組の冒険者が取り囲んで賑やかな雰囲気だ。
知里の場合だとオタサーの姫のような図式になるが、小夜子だとソ〇マップグラビアイベントのようだ。
「まさか小夜子姐さんが、討伐軍の英雄とはお見それしやしたぜ」
「わたしはトシちゃんやヒナちゃんに一緒に付いていっただけだから」
「勇者トシヒコに踊る大賢者ヒナ! で、出てくる名前がすごすぎて、吾輩悶絶しそうになる」
「小夜子さんはすごいお。さすが虎を猫みたいに扱うだけのことはあるお」
「ボンゴロ君、おかわり食べる?」
小夜子は皆にお茶を注いだり、おかわりのサンドを用意したりと、冒険者たちをもてなしているようだ。
その姿は、とても世界を救った英雄には見えなかった。
「……」
魚面は、これらから少し距離を置いたところに座り、食事を摂る。
彼女の本当の顔は奪われていて、口も少ししか開けられない。
そのためパンをスープに浸して流動食のようなものを作り、食べている。
その様子に気づいた小夜子が、肉などの具材を細かくしている。
本来だったらミキサーを使うのだが、さすがにないので小刀で代用する。
「お肉も細かくしたから、よかったら食べて」
「あ、アリガトウ……。アナタは凄い人なんだナ。なのに、ワタシのような者を気づかッテくれるナンテ……」
差し出されたパストラミ片の盛った皿を、魚面はおそるおそる受け取った。
「……ワタシは記憶が奪われているカラ、アナタたち英雄のことも、急速に変わっていったトいう、コノ社会のことも分からナイ。前のワタシにも人生があったんだろうケド、分からナイ。どこで何をしてきたのカナ、ワタシは……」
魚面は涙をこらえている。
小夜子は彼女の肩に手を置き、やさしく微笑む。
「思い出なんて、これからいっぱいつくればいいのよ! ねえ直行君!」
「まあな」
「『まあな』ですって! 聞きましたかレモリー、決闘裁判で女こましだとか言われたので直行さん、その気になっていますわね♪」
「はい。そのようですね」
暖かな昼下がり、俺たちは大いに食べた。
魔物のいなくなった世界は、希望に満ちているように見えた。