18話・詐欺まがい
転機のキッカケは、俺の髭剃りのミスから始まった。
「痛っ……」
1週間近くを異世界で過ごすと、いろんなことに慣れてくる。
片刃の短刀での髭剃りも、難なくできるようになっていた。
だが一瞬の油断で、俺は手を滑らせて軽く頬を切ってしまった。
傷は深くはないけれど、血が出た。
すぐに止血はしたものの、何となくかゆいようなヒリヒリした違和感が頬にある。
この世界の外傷は、傷薬や回復魔法で簡単に治る。
ただ、俺は風呂上がりで全裸だったし、部屋の勝手がわからず傷薬も探せない。
「!」
そこでふと、思いついたのだ。
脱いだ洗濯物と一緒にあった、サンプル用に持ち歩いていたマナポーション。
エルマの父親が不用意に在庫を抱えたために、借金の原因になった品物だ。
これを売りさばくために、俺は毎日苦労してるのだが……。
「傷には効かないのかな、これ」
俺はマナポーションの口を開け、肌に塗りこんでみた。
傷薬とは違うので直接的な傷の手当はできないが、何ともいえない清涼感はあった。
そして思わぬ別の効能に気付いた。
魔力回復の効果が、美肌にも影響するのか、俺の肌はスベスベになっていた!
そういえば洗顔後とか、肌の調子はイマイチだった。
この世界でまだ化粧水なるものを使ったことはない。
レモリーが植物から採れるという油を手が荒れないように塗り込んでいる場面を見たことはあるが。
このマナポーションならベトつかないし、すっと肌に吸い込まれる。
これは、いけるかもしれない。
◇ ◆ ◇
「マナポーションを『化粧水』として売り出したいんだが、どうだろう?」
その日は移動販売を休止して、応接間で商品会議を開いた。
出席者はエルマとレモリーと俺の3人。
俺の発案に、まず首をかしげたのはエルマだった。
「МP回復薬と美肌に、何の関連性もないと思いますわ」
「いや、俺の肌スベスベになったぞ。少なくとも保湿効果はあるはずだ。ちょっと自分の肌で試してみてくれ」
とりあえずは実践してもらうしかない。
エルマとレモリーに実際に顔を洗ってもらい、マナポーションを肌に塗るなりはたき込むなりしてもらう。
使う量は現実世界の化粧水と同程度。
2人に使ってもらって、感想を聞いてみた。
「なるほど、あたくしはうら若いから意味がないと思ったけれども、思いのほか良いですわね♪」
「はい。確かに……私は肌が突っ張らなくなった感じがします」
普段は控えめなレモリーが、何度も鏡を見ながらうんうんと頷いている。
年齢を重ねている方が、肌の変化に敏感なのは『スキンケア』という概念が浸透していない異世界でも実感として伝わるのだと確信した。
「まあ、プラシーボ効果かもしれませんけどね♪」
「はい? 何ですかその……プラなんとか?」
もちろん現代文明を知らないレモリーにとっては、俺たちの会話はいろいろとチンプンカンプンだ。
「『偽薬効果』といって、何の効果もない薬でも、本人が『効く』と思い込んでしまうと、本当に効いてしまう例があるんだ」
「いいえ、私にはとても効果がありましたけど」
「暗示や自然治癒力なんかも背景にあると言われているんだけどさ……」
もっとも、「魔法」が存在するこの世界で科学的な根拠も何もあったものではないけど……。
「ククッ♪ この社会には薬事法もないですからね♪」
「いまは『薬機法』な。ともかく、スキンケアという発想を、この世界に持ち込むんだ」
俺たち3人は応接室に戻って改めて作戦会議を行った。
キョトンとするレモリーと、ニヤリと笑うエルマの表情が対照的だった。
この案を商機と見たエルマは、少女とは思えないようなゲス顔で上機嫌だ。
「いいところに目を付けましたわ♪ さすがアフィリエイター。現世でも怪しげな化粧品でボロ儲けしたのでしょうね?」
「いやいや。以前はともかく、検索エンジンのアプデ以降は美容系はムリゲーだ」
「そうなんですの? でも、異世界ではガッポガッポですわよ♪」
ただ、気になることはある。
人間の思いつくことは、大抵誰かが先にやっているものだ。
「こっちの美容文化とかはどうなってる? 被召喚者や転生者とかが化粧品を広めたりしてないか?」
先行者がいたところで、結果として売れればいい。
先駆者の栄誉なんぞ、求めてはいないのだ。
「う~ん……。お化粧の文化はありますが、美肌やアンチエイジングといった考え方はまだ聞いたことがないです。どちらかというと不老不死、永遠の若さを保つ秘薬といった考え方の方が分かりやすいのではないでしょうか。そんなものは存在しませんけど♪」
「一度で飲み切る『МP回復ドリンク』を4800ゼニルで売るよりも、数十回使える化粧水としてなら、お得感もあるだろう」
「だと思いますわ♪ いけるんじゃなくって?」
俺とエルマは顔を見合わせ、ゲスな笑顔を見せ合った。
一方レモリーは茶色いボトルを見つめながら、曇った顔をこちらに向けた。
「いいえ。お言葉ですが……今のままでは売れないと思います」
レモリーは率直に言った。
3人の中ではもっともスキンケアの効果に納得し、興味を示していただけに、少し意外だった。
「どうしてそう思うんだ?」
「はい。確かに直行さまの『スキンケア』という発想は素晴らしいと思いました……ただ、やはり問題があります」
「問題というと?」
「はい。いくらアイデアが素晴らしくても、単にMP回復アイテムの新たな使い道に過ぎないのですから、これでマナポーションが売れると考えるのは短絡的ではないでしょうか……?」
なるほど、レモリーは痛いところをついてきた。
「確かに……」
そう言われてみると、密封の呪符の貼られた簡素な茶色の瓶では、MP回復アイテムのイメージが強すぎる。
「マナポーションには意外な使い道がありました!」といった裏技的な使い道を紹介したところで、商品が売れてくれるとは限らない。
「茶色い瓶が化粧水っぽくないんだよなー」
「はい。MP回復アイテムの形状は、この世界に知れ渡っていますから……」
「でも瓶を変えるわけにはいかなくてよ? 密封の呪符の張り直しは改めて錬金術師に頼まないと」
エルマがため息をつきながら言った。
『瓶を変える』というその言葉に、俺はピンときた。
「だったらラベルだけ変えるか。化粧品っぽいラベルをつければ……印象は変わるかもな」
「さすが直行さん。発想が詐欺師ですわ♪」




