186話 リーザと法王と信仰
次に呼び出されたのはリーザ・グリシュバルト子爵だった。
「此度の辞令。承知しているな」
「はっ!」
法王の執務室の入り口で、直利不動で返事をするリーザ。
表情をこわばらせ、唇をかみしめている。
自身の降格。
神聖騎士団・飛竜部隊の解散。
彼女は、前法王の時に入信して、将来を期待される神聖騎士団・若手の中心的な存在だった。
直行との決闘裁判で媚薬を打たれ醜態を晒して以降、騎士団内では腫れ物に触るかのような扱いを受けている。
「座りなさい」
「はっ!」
ラーは一人がけソファにゆったりと座っている。
そして彼女を向かいの席に腰を下ろすように促した。
「なぜ飛竜部隊を解散させ、君を降格させたか分かるかい?」
「はっ! 決闘裁判で醜態をさらし、敗れたからであります!」
リーザは悔しそうに言った。
「表向きではそうだが、あの結果自体を咎めたいわけではないのだ」
「では何故でありますか?」
「君たちは異界人を侮っていた。異界人に対して、きちんと対処できていなかった。だから敗けたのだ」
ラーの言い方は素っ気ないものだった。
怒りも非難するでもなかった。
感情の伴わない叱責が、かえってリーザの反感を買った。
「お言葉ですが、猊下。私たちは騎士として日々精進し、飛竜を手足のごとく扱える技量を備えました。異界人に敗れたのは、まさかあの直行とかいう奸物が、あそこまで卑劣な手段で決闘裁判を汚すとは思いもしなかったことです」
リーザは大観衆の前で失態をさらけ出したことを思い出し、肩を震わせた。
媚薬を打ち込まれ、騎士としての誇りを傷つけられた。
「思いもしなかったか……」
「はっ」
「異界人とは文化も価値観も違う。自分が思っている〝正義〟や〝良心〟が通用するとは限らない」
「我ら騎士の誇りを馬鹿にするのですか!」
「そのようなことをするはずがない。相手を見極め、柔軟に対処すべきだったと言っているのだ。異界人を相手に勝ちにこだわるなら、飛竜に騎乗して空から一方的に蹂躙すべきだった。相手に戦いの主導権を握らせないためにも。案の定、相手は卑劣な手を使ってきたではないか」
「騎乗したまま闘技場で戦えと? 私たちには騎士の誇りがあります! 条件を合わせた地上戦で正々堂々と戦ったことに悔いはありません! それを否定なさるのですか?」
リーザは激昂して席を立ち、机を叩いた。
この時点で何らかの処罰は覚悟している。
ラーの言い方が、どうしても許せなかった。
「猊下の言い方ではまるで、私たちも異界人のように卑劣な手段を使うべきだった、と言っているようにしか聞こえません。騎士を侮辱なさるのですか?」
「異界人には、君の正々堂々とした美しい騎士の振る舞いが通用しないのだ。かえって、その誇り高い態度が弱点となって、突かれてしまった」
「はい、それは屈辱でした」
「我々の美学が異界人に通用しないことなど、この6年間の彼らの態度で分かるだろうに」
まただ、とリーザは心の中で舌打ちする。
『異界人の何たるかを知れ』
『理解せよ』
この法王が事あるごとに言う、いらぬ説教だ。
もちろん教義にもありはしない。
「たとえ異界人どもには通用しなくとも、大勢の観衆が見ていました! 騎士としての振る舞いを、大勢の信徒が見守っていたのです!」
「……何のための騎士か。君に問うてみたい」
ラーは眉一つ動かさず、訊いた。
その言い方も、リーザには癇に障る。
自分よりも年若い法王は、王族出身だ。
ラーを含む王家の三兄妹は、みな異界かぶれだという噂がある。
そんな彼が出家してから1年も経たずに、政治的な理由で法王に選ばれた。
出家する前は、信徒ですらなかったと聞く。
いま法王の座にあるからといって、聖龍を信仰しているとは限らない。
「私にとっての騎士道とは、信仰の一環です。『神聖騎士団は信仰と克己の精神をもって、法王庁の剣となり盾となる』ことです!」
彼女にとって、信仰は絶対的なものだ。
彼女が三女として生を受けたグリシュバルト家は、とても信心深く仲の良い家族だった。
幼い頃、父や姉たちと共に領地の視察に同行していたところ、乗っていた馬車が魔物に襲われた。
人狼に率いられていた狼の群れに、護衛の騎士たちは不覚を取った。
数の力に押され、倒されていく護衛たち。
馬車の中でうずくまっていた三姉妹。
リーザは無心で祈った。
「聖龍さま、どうぞ私たちをお救い下さい」
奇しくもリーザの祈りは届いた。
上空を遊泳する聖龍が、魔物らの瘴気を喰らったのだ。
「祈りは、届く!」
奇跡的に死傷者も出さずにその場をしのげたことは、リーザの心の拠り所となった。
長じて神聖騎士として身を立てることを誓った彼女には、ラーの冷静で分析的な立ち振る舞いが、神への冒涜のように思えて許せない。
ましてや、自分が尊敬していた先代の騎士団長と、目をかけてくれた枢機卿を有無を言わさず破門したことも許せなかった。
彼らを狂信者と断罪したラーは、宗教家ですらない。
破門された両名は、いずれもその日のうちに自害している。
「……」
ラーは何も言わず、リーザを見つめている。
「高潔な信徒である君が、異界かぶれのジュントスの副官に付くのは不満だろうな」
不満どころか、屈辱そのものだ。
「はっ。上意とあらば承服いたします」
「リーザ。君の信仰心と私心なき忠誠心は立派なものだ。余に対しても恨みさえあるだろうに、よく仕えてくれていると思う。感謝する」
「はっ。猊下に仕えるのは騎士として信徒として当然ですから……」
リーザは無表情に言った。
「余は君が高潔な信徒であるからこそ、大切に思っている。余は君たちの、信仰を守り抜きたいのだ。そのためにも、今は耐えてもらわなければならない」
ラーの言葉は抽象的だったせいか、リーザには伝わりにくいようだ。
リーザは何とも言わない。ラーは続けた。
「……否が応でも世界は変わる。信仰の在り様もまた変わっていくだろう。余が守りたいのは、この世界をただ一つの故郷として生まれ、生き、未来永劫、子孫に伝えていく古来からの人々、そして今を生きる君たち、つまり我々の、生き方そのものだ。そして我々の心の拠り所となる、聖龍信仰を守りたい。だから高潔な君にこそ、多少泥水をすすってもらいたいのだ。信徒を守る盾となるためにも」
「猊下は私を時代遅れと申されますか!」
再びリーザは激昂する。
ラーは少し寂しそうな顔でうつむいた。
「猊下。ジュントス殿が信義にもとる行いをするならば、容赦なく斬り捨てます。その後、私を破門なり斬首なり、いかようにも処分するが良いでしょう。失礼します!」
怒りに肩を震わせて、リーザは部屋を出て行った。
(……なぜ伝わらない。分かってもらえない)
貴賓室に残ったラーは、深いため息をつきながら、冷めたハーブティーに口を付けた。
「私の言い方が悪かったのだろうか。私が守りたいのはリーザ、君のような生粋の、我が王国の民なのだ。私は君たちを心から誇りに思っている。そう伝えたかったのに」
若き法王はもう一度、深いため息をついた。




