185話・法王と性欲の強い男ジュントス2
破戒坊主のジュントスと高潔な法王の共通点は、信仰とは無縁の好奇心の強さ。
自らそう看破する法王ラー・スノールの言葉に、意表をつかれた。
「いえいえ魔道に精通された猊下とは違い、拙僧の好奇は女体でありますれば……」
懐に飛び込まれたと感じながらも、ジュントスは照れたように笑った。
ラーは大真面目な顔で、話を合わせてくる。
「余も人体には関心があるよ。もちろん生殖についても。なぜ、男女の交わりによって子孫が生み出されるのか。命によっては雌雄同体も存在する。異世界の文明は科学が主体だそうだが、科学とは何だ。この世はふしぎに満ちている。興味が尽きない。君も、そう思うだろう?」
ラーは目を輝かせて饒舌に語る。
その純粋さに、ジュントスは戸惑うばかりだ。
「いえ、拙僧は俗物ですので。興味はもう少し表面的なものですので……」
「表面、皮膚か。余も興味がある。異世界の学識によれば、皮膚は絶えず生まれ変わっているそうだ」
(ダメだ。この法王とは絶望的に話がかみ合わない……)
ジュントスは嘆いたが、ラーの感想は真逆だった。
(彼は本質的に自分の欲望に忠実な男だ。そういう者は信じるに足る)
ラーがそう思うのは、法王庁入りするキッカケとなった「廃太子未遂事件」が原因だ。
宮廷魔術師たちは、ラーを英傑とみなし、兄を貶める策を練った。
──それは誰のための策だったか。
宮廷魔術師の野心か、領民のためか、ラーのためか。
対してジュントスの欲望は常にシンプルだ。
だから信用できる。
ラーは静かに立ち上がると、バーキャビネットからワインを1本取り出した。
名高い、血の教皇選挙ではないが、それに準じる等級の逸品。
「腹を割って話そう。君と余は親戚同士でもある」
「しっ……執務中でございましょう?」
喉を鳴らしながら、ジュントスは首を振った。
法王の意図が読めない。
まったく自身の想像の及ばない存在に出会い、戸惑っている。
「生憎と余は酒に弱い。しかし我々には浄化魔法があるから、酔いつぶれても問題ないだろう?」
「し、しかしですな……」
対話は完全にラーのペースだった。
気がつくとグラスには血のような赤ワインが注がれ、小皿にはドライフルーツが盛られている。
「新鮮な果実でなくて申し訳ない。人払いをしているので」
「い、いえいえ。お構いなく……」
遠慮しつつも、差し出されたグラスに抗うこともできずに、ジュントスは乾杯する。
飲んでしまったら、もうジュントスは良い気分だ。
元来、無頼の酒好きでもある。
ましてや執務中にイケメンの法王相手に飲むなんて最高だ。
「……しかし、高潔で知られる法王さまが、意外ですな」
「後ろめたさがありながら、自らの気持ちに正直な者は嫌いにはなれない。信仰してるから自分は正しいなんて無条件に思う者よりは、よほど信用できる」
「い、意外ですな」
ジュントスは狼狽えつつも、まんざらでもない思いがした。
完全にラーに乗せられた彼は、にんまりと笑った。
一方、法王はグラスに注がれたワインを一口、唇を湿らせただけだ。
まっすぐにジュントスを見据えている。
「君が異界人との接触を試みた理由を聞きたい」
単刀直入に、ラーは尋ねた。
「単純な好奇心です。件の直行という異界人が、たくさんの女たちを連れていましたので、それでつい」
「なるほど。その男は女錬金術師とも接触したようだな。〝倫理欠如〟アンナ・ハイム女史。調べたところ、人体錬成を希求して学会を追われた異端の錬金術師だそうだ」
「そんなヤバい奴だったんですか! 実際に会った印象では、吝嗇家でありながら豪快な女傑でした。面白い方です」
「彼らとの交流を続けて、引き続き観察して欲しい。彼らの目的が何なのか。何を為さんとしているのか」
「いやぁ、決闘裁判の打ち上げで話した感じでは、直行殿は領地運営と金儲けに興味があるようですな」
「ロンレア伯の領地か。なるほど」
ラーは静かにうなずいていた。
「ジュントス。貴殿には法王庁と異世界人との接点になってもらいたい」
「は?」
「決闘裁判を制した直行という男、勇者自治区とも縁があるようだ。彼らの動向を報告して欲しい」
「えっ? それは間者ということですか?」
ジュントスはギョッとしてしまった。
「少し違う。余は神聖騎士団の再編成を行う。魔物の数が減少する中、今後は国家間の紛争なども視野に入れなければならない。その尖兵として、君に新たな部隊を率いてもらいたい」
たたみかけるようなラーの申し出に、ワインを吹き出しそうになってしまった。
まさかの出世、抜擢である。
「ですが、自分は弱いですよ。訓練も怠けてるので腹も出ておりますし」
「武器を使うことだけが戦ではない。特に勇者自治区の化け物どもと、まともに戦おうなどと考える勇ましい連中は話にならない。君は違うだろう?」
「情報戦、ということですな」
「君の実家は新王都の公爵家。そして異界人とも接点がある。適任だと思う」
ジュントスはめまいがするようだった。
もっとも、公爵家の方はニセモノ、替え玉なので、法王が思っているような諜報活動は難しいだろう。
「なあジュントス。魔王なき今、人間同士の陰湿な騙し合いが始まる。法王庁も祈ってばかりはいられない」
「左様でございますな」
「荒事が苦手なら、軍事面の補佐としてリーザを副官に据える。『紅の姫騎士』に名誉挽回の機会を与えてやってほしい」
「ほう。リーザ殿ですか。願ってもないことです」
ジュントスの顔がにやけた。
法王庁でアイドル的な女騎士が直属の副官になる。
(おお、これは何という僥倖! リーザ殿は先日の決闘裁判では意外と豊満であることが判明したし、あのむちむちした体は素晴らしい。これは何かと楽しめそうだわい)
脳内は桃色の妄想で満たされていた。
「さて。それとは別に気心の知れた腹心は必要だろう。君の従者で騎士見習いのドンゴボルト少年を正式に騎士に昇格させて付けよう」
「はっ! 法王さまの仰せのままに」
何もかもが願ってもない話だった。
あきらめかけていた出世の道が、突然開けたのだ。
しかも、これで大っぴらに直行や勇者自治区と接点が持てる。
「法王猊下バンザーイ!」
ジュントスはワインで酔っぱらった自身の浄化も忘れて千鳥足で執務室を出ていった。
そのまま宿屋でもう一杯ひっかけたい気分になるが、さすがに執務中なのでやめておく。
(自分のような奴を、まさか厚遇するとは……!)
しかし一方で、ジュントスは法王に先回りされたような気がしないでもない。
酔いが醒めるにつれ、抜擢の裏に何があるのか、気がかりではあった。
「ええい、考えても仕方がない。なるようにしかならんわい」
ジュントスは独り言をつぶやき、兵舎に戻った。