184話・法王と性欲の強い男ジュントス1
妹のアニマは3日ほど滞在した後、新王都へ帰っていった。
つかの間の肉親との再会を楽しんだラーは、法王の日常に戻る。
法王庁の執務室。
傍らにいるのは、補佐役の枢機卿たちだ。
現在の執務室には8人が軍事・農政・祭司・金融・司法などの専門分野に分かれて、政治を取り仕切っている。
その下には官僚的な組織があり、住民の要望や社会基盤の整備など、様々な問題に対処している。
「今年の葡萄の収穫量は、前年比で1割増です」
「増えた分は領民に還元しよう。治水工事も行い、来年度は2割増を目指そう」
法王の仕事は、上がってくる書類や陳情に目を通し、承認の印を押すことだ。
歴代の法王だけが所持・使用を許される玉璽である。
もっとも基本的には法王はお飾りで、枢機卿と官僚機構が上手く治めている。
前法王はかなり極端に事を進めようとしたが、枢機卿たちによって骨抜きにされた案件も少なくない。
法王庁が曲がりなりにも1000年続いてきたのは、バランス感覚のある顧問団と官僚組織の組み合わせによるところが大きかった。
ラーのように信仰経験のない王族出身の素人でも、円滑に最高祭祀者が務まるのは、法王庁の制度が盤石であるためだ。
したがって、いかに聡明な彼とて、親政を行うことはできないし、するつもりもない。
ラーは書類に目を通し、重々しく玉璽を押す。
気になる点があれば、上がってきた案件に意見や問題点を書き加えて差し戻す。
(王族出身のお飾りの若輩者と思っていたが、今後が頼もしいお方だ)
枢機卿たちは、自分の孫のような年齢の法王の見識と控えめな態度を好もしく思っていた。
就任以降ラー・スノール法王の評判はうなぎのぼりであった。
そんな法王は、先日に行われた異界人の婚姻トラブルが原因の決闘裁判について興味を引かれた。
裁判を訴え出たロンレア伯の後見人を務めたという聖騎士ジュントスを呼び出す。
「法王猊下。聖騎士ジュントス殿がお見えです」
「別室に案内を。合図があるまで、2人だけで話をさせてくれ」
当事者と2人きりで会うのは、ラーの好む対話手段だった。
内向的な性格のラーにとって、多人数での会話は得意ではなかった。
王子時代のサロンでもせいぜい4~8人くらいの少人数での会合が主だった。
大勢の中で議論を戦わせる議会のような席は、今も苦手である。
一対多数の演説でも、常に目に留まった少数のために話を進めるのが彼のやり方だった。
ラーは席を立って別室に向かう。
そこは特別にあつらえた貴賓室で、広さはあるが一人ひとりの空間を大きく取っているため、少人数しか入れない。
大理石の上に敷かれた緑色の絨毯が落ち着いた佇まいを見せる。
中央に巨大な水晶から切り出した瀟洒な彫刻の丸テーブルがあり、豪華な一人がけソファが向かい合っている。
法王が入る入り口と、関係者が入る入り口は別になっており、一般用の扉の前で、ジュントスは直立していた。
「こ……これは法王猊下。こ、このような場所にお招きいただきまして、た、大変、恐縮で、あります!」
直立不動のまま、ジュントスはたどたどしい挨拶をした。
彼が極度に緊張するのは、いくつもの後ろめたい理由があったためだ。
まず、直行某という異界人の後ろ盾になって、派手な決闘裁判を起こしたという事実。
直行は、法王庁にとってはまさに悪逆非道な罪人である。
法王庁・神聖騎士団の若手ホープで、一部の信徒にアイドル的な人気を誇っていた〝紅の姫騎士〟ことリーザ・グリシュバルト子爵に、公衆の面前で大恥をかかせた挙句、彼女の率いる飛竜部隊を解散に追い込んでしまった。
そんな下劣な男でも、決闘裁判で勝ってしまったからには、無罪を認めねばならない。
法王庁としては忌々しい限りである。
それに加え、法王庁の旅館で彼ら異界人たちと不謹慎にも勝利の酒宴を催した挙句、翌日の任務に遅刻。
(普通に考えたら、降格ものだ……)
しかし彼の後ろめたさは、これだけにとどまらない。
実は、彼はニセモノだった。
本物のジュントス・ミヒャエラ・バルド・コッパイは別にいる。
遊郭での乱痴気騒ぎという不祥事の責任を取るため、バルド・コッパイ公爵家が身寄りのない彼を替え玉に仕立て、身代わりに法王庁へ寄越したのである。
顔だちや背格好が似ている上、魔法によって本来の記憶が消され、徹底的に公爵家の知識を植え込まれた影武者のようなものだ。
加えて好色であることや、酒好きなこと、勇者自治区に憧れを抱いている点も、本物と似通っていて都合が良かった。
王家に連なる公爵家ということで、法王ラー・スノールの遠縁でもあるが、2人に面識はない。
替え玉がバレたとなれば、法王庁を追放された挙句、バルド・コッパイ家に始末されかねない。
首筋に冷や汗が伝った。
「そこまで緊張されると、余も困ってしまうよ」
いつの間にかラーは中央のソファに腰かけていた。
肩をすくめてみせた後、おいでおいでするように手招きをした。
「いえ。拙僧は法王猊下のような清廉な方とは真逆の破戒坊主。合わせる顔がございません!」
ジュントスは、直立不動の姿勢で言った。
「何を言うか。君と余には意外な共通点がある。」
「意外な共通点……ですか?」
ロボットのようなぎこちなさで、あい向かいの席まで赴いたジュントスは、一礼して腰かける。
そしてラーの表情を、まじまじと見つめた。
「ひょっとして顔ですかな?」
大真面目な顔で、ジュントスは尋ねた。
冗談は言っていない。彼は本気だった。
ラーも真面目に考えてしまった。
バルド・コッパイ家とは遠い親戚だ。
一見、違うように見えるが、二重瞼などに共通点はある。
もしかしたらジュントスは、もっと深い意味でとらえてるのかもしれない。
「……いや、顔のことは分からない。余の思う君との共通点は、信仰から遠く、好奇心旺盛な人物という共通点だ」
困惑しながらも、ラーはジュントスをそう評した。