183話・六神通ラーの天耳通
法王庁の昼下がり。
最上層にある中庭のガーデンテーブルでは、法王ラー・スノールと、その妹でクロノ王国の王女であるアニマ・スノールがお茶の時間を楽しんでいた。
ラーが法王に就任してから5年。
転生者たちによって魔王が討伐され、世界は転換点を迎えた。
「世の中は一変した。異界からの技術は、私たちの生活を大きく変えつつある」
ラー自身、行ったことはないが、勇者自治区は異界の「テーマパーク」と呼ばれる娯楽施設を模して造られているという。
合成樹脂の建材や石畳、電飾の花・イルミネーション。
枯れない生花・プリザーブドフラワーで飾り立てられた商業施設など、ラーの想像を超える技術や社会基盤が、当たり前のように広まりつつあるのは脅威だった。
「わたくしも夢中ですの。先日食べた、ソフトクリーム。氷菓子のはずなのに、とっても滑らかでフワフワですのよ」
「……すごい技術に、私たちの世界が呑み込まれていく」
屈託のないアニマの笑顔に、ラーは複雑な心境だった。
そんな兄の憂いに気づいたアニマが、気をまわして話を逸らす。
「浮かない顔の法王さま。聖龍さまが痩せてしまうのが心配ですの?」
上空から眼下にかけて自由に遊泳する、巨大な聖龍を目で追った。
唐突な話題に、ラーは首をかしげる。
「聖龍さまが……痩せる?」
「だって、聖龍さまって、この世界の悪いモノをお食べになっているんでしょう? 世の中に悪いモノがなくなってしまったら、聖龍さま、食べるものがなくなっちゃって、お腹空かないかしら?」
無邪気に瞳を輝かせて微笑むアニマ。
彼女は、被召喚者たちがもたらす異文化に何の疑いも持っていないのだろう。
むしろ目を輝かせて夢中になっている様子だ。
ラーの懸念など、妹には想像もつかないのだろう。
彼は笑顔を浮かべて、アニマに話を合わせることにした。
「悪い瘴気ばかり食べてきた聖龍さまだから、今度は美味しいものを食べてもらえば良い。たとえばこの、ビスコットとか!」
法王はガーデンテーブルに並べられた皿から、ビスコットをひとつ摘み、宙に放った。
浮遊魔法によって、ビスコットはどこまでも上昇していく。
宙を泳いでいた巨大な聖龍が、上空を横切る。
その際に、聖龍がビスコットを食べた。
もっとも聖龍はあまりにも大きいので、ビスコットの大きさなどクジラにとってのプランクトンのようなものだが。
アニマの目には、確かにそう見えたような気がした。
「まあ! お兄さまは、聖龍さまと意思の疎通ができるのですか?」
「六神通のひとつ『天耳通』だ。世界すべての声や音を聞き取り、聞き分けることができるという。実際には、見える範囲程度だけどね」
ラーは額に埋め込まれた宝石を指さし、言った。
「天耳通」は歴代の法王が受け継ぐ、専有のスキル結晶だ
先代の法王が逝去した際に取り出し、ラーに移植された。
これによって歴代の法王は、聖龍と意思の疎通を行うことができる。
「まあ。お兄さまの前ではナイショ話もできませんわね」
「そうだね。能力を研ぎ澄ませば、もっと遠い場所の声も聞けるかもしれない」
実際、ラーは実験してみたことがある。
さすがに世界中は無理でも、意識を研ぎ澄ませば姿の見えない者の声も聞くことができた。
また、スキル効果を他者に及ぼす『逆流』と組み合わせることで、広場を埋め尽くす群衆にも、等しく声を届けることが可能だ。
自己を研鑽し、スキル効果の組み合わせなどを研究するなどして練り上げれば、この『天耳通』は、さらなる可能性を見せるだろうとラーは思っている。
「アニマ。新王都の兄上は息災か?」
不意にラーが尋ねる。
新王都およびガルガの動向は、法王庁にはほとんど伝わってこなかった。
勇者自治区のような異界人が興した街とは違い、ラーにとっては故郷でもある。
わざわざ親政を宣言し、中央湖を挟んだ北西へ新王都を建設するくらいだから、王自ら改革を進めているのだろう。
その割には、新王都の噂が耳に入って来ない。
ラーが気になるのは、入ってくる情報の少なさだった。
「……ええ。ガルガ陛下は政務をこなしておられます。毎日お忙しいご様子で、わたくしもあまり構ってはもらえません」
アニマは少し寂しそうに肩をすくめた。
その様子に嘘や隠し事の気配は見られない。
「元気なら良い。サロンの連中にも、たまには手紙の一つでも寄越せと伝えておいてくれないか」
もう一つ気がかりなのが、宮廷魔術師たちの動向だった。
ガルガを廃太子にしてラーを担ごうと陰謀を企てたことを、ラー本人から咎められて以降は、何となく疎遠になってしまった。
錬金術師たちに関しては、討伐戦の救援物資を用立てるために法王庁とは良好な関係を築けている。
しかし、かつてラーがいたサロンに属する錬金術師たちとは距離を置かれてしまっている。
神輿に乗らなかったことが、サロンの術師たちの気に障ったのかもしれないとも思う。
さりとて亡き父の前に訴え、彼らを処断する非情さは持ち合わせていなかった。
「いかに人より優れた〝耳〟をもってしても、聞こえない声はある。もっと耳を澄まさなければな」
ラーは独り言のようにつぶやいた。
「お兄さま、とても難しいお顔。踊りましょうよ。せめてひと時、忘れませんか?」
アニマが明るい声で急に立ち上がり、兄の手を取った。
「お兄さま、覚えていらっしゃいます? 幼いころ、お母様より教わった宮廷舞踏会の円舞。お兄さまは恥ずかしがってあまり乗り気ではないご様子でしたけれど、わたくしにとっては誰よりも素敵でいらっしゃいましたわ」
魔術師たちのサロンに夢中で、社交界に縁遠いラーには、器用に踊れる自信はなかった。
「お兄さま、思い出して。ステップはこう」
そんな兄を、アニマはまるで自分が姉であるかのような態度で導く。
妹の成長に驚きながらも、不器用な足運びで、久しぶりにラーは踊った。
二人だけの中庭で、時間はゆっくりと過ぎていく。
なるほど、体を動かし、ひと時忘れることで、心のよどみも澄んでいくようだ。
法王ラー・スノールにとっては、久しぶりの肉親と過ごす心地よい時間だった。




