181話・法王庁の陰謀
「お兄さまが法王様におなりになった時は、わたくし仰天しましたのよ!」
紅茶を口に付けたアニマは、目を丸くして言った。
「父上が同行して〝王子をくれぐれもよろしく〟と言った段階で決まった、出来レースようなものだ。ただ、あまりにも前法王のご逝去が早すぎた」
ラーは伏し目がちに呟く。
父王による推薦は、単なる親心だ。他意はない。
王子である息子を法王庁の最高権力者にしたかっただけの話だ。
しかし、単純な親心が各方面の思惑と絡み合い、複雑な展開を見せてしまった。
◇ ◆ ◇
前法王の政策は、あまりにも過激だった。
元々、異世界人に対して苛烈な強硬派として知られていた人物だった。
伝統的に法王庁は保守的ではあったが、歴代の法王に輪をかけて異界人を嫌った。
そのため一部の信者を激しく熱狂させた。
〝勇者〟を自称する転生者トシヒコが活躍する半年ほど前より、信徒の中で転生者が生まれたら、即座に法王庁に引き出して処刑する勅令を出していた。
これを隠した事実が発覚すれば、その3親等まで処罰された。
異世界からの転生者は、きわめて少数ではあるが、昔から一定数存在していた。
貴族や平民を問わず、生まれてくるときには生まれてくる。
それに加え、転生者には2種類いる。
幼少時より前世の記憶を持った者と、突然記憶を思い出す者。
法王庁の記録にも、18歳の神官が突然、前世の記憶を思い出して破門され、追放された事例がある。
このようなケースは誰にでも起こりうるため、前法王より前の時代に、免罪符という制度が考え出されていた。
聖龍教会に一定の財産を寄進すれば、罪を免じることができる権利。
信徒や並の神官に払える額としては高額だったが、背に腹は代えられない。
ところが前法王は、この転生者に対する免罪符を一切禁止したのだ。
異界人に対する厳罰化と排除を徹底するためだった。
その結果、予想以上に法王庁の収入が激減した。
ちょうどその時期と、転生者で自称〝勇者〟トシヒコによる魔王討伐軍の結成が重なったことは、単なる偶然に過ぎなかった。
しかし、トシヒコらの快進撃に、法王庁のやりかたを疑問視する声が大きくなった。
〝勇者〟人気の高まりに反比例するように、民衆の心が法王庁から離れていったのである。
それは寄進の額としても如実に表れ、法王庁の財政は底をつき、さすがの前法王も狼狽した。
このタイミングで、国王同伴による第二王子ラーの出家である。
王族ともなれば、多額の寄進と共に出家するのが常である。
法王庁の財政はどうにか持ち直したが、〝勇者〟人気は加速するばかりだった。
その後、半年も経たずに前法王は自身による厳罰化を撤回した。
以来、前法王は塞ぎがちになり、退位をうそぶいた末に喀血して倒れた。
◇ ◆ ◇
「前法王のご逝去については、わたくしも物騒な噂を聞いたことがありますの」
「滅多なことを言うものじゃないよ、アニマ」
ラーは険しい顔でたしなめる。
実際、前法王の死に関しては暗殺説をはじめ、さまざまな説が乱れ飛んでいる。
中にはラー・スノールが関与したとされる陰謀論まである。
「物事の歯車が最悪に重なる時がある」
ラーには、それしか言いようがない。
自分にとっても、そうだった。
こうして法王選出選挙が行われ、ラー・スノールが第67代法王に選ばれた。
14歳という、史上最年少での法王の誕生だった。
なぜ、このような結果となったのか。
ラー・スノールには信仰者として何の実績もなかったが、神輿としては申し分がなかった。
クロノ王国からの金銭的な援助も期待できた。
王子を法王に立てた裏で、高位の者たちは我欲のままに、権謀術数うごめく水面下での権力闘争に走った。
国王側と法王庁の力関係は、歴史の中で移り変わっていく。
今回の選出は、主に国王側の財力が強い時代に、王位継承権二位の王子が出家してきたという、史上まれに見る椿事だった。
前法王で失墜した権威の回復も、王家とのつながりの再構築も、ラーを起点とすれば容易にできる。
この王子を担ぐ者たちは、彼を利用することで、法王庁の財力さえも回復すると考えた。
しかし、そんな枢機卿たちの思惑は誤算に終わった。
欲にまみれた前法王の取り巻きたちを、ラーが直ちに粛清してしまったからだ。
破門、である。
そして王国の(ガルガ廃太子には関わっていない)錬金術師たちと法王庁のつながりを強化させた。
側近のいないラーは、王都のサロンから、馴染みの宮廷魔術師や錬金術師たちを出向させ、細かな実務を担当させることにした。
「聖龍の名において、法王庁は〝勇者〟トシヒコ殿と共闘し、魔王討伐に参戦する」
ラーの宣告に、枢機卿や信徒たちは驚きを禁じ得なかった。
代々保守的だった法王が、我が物顔に騒ぎを起こす転生者たちのお遊びに手を貸すなど、本来であれば有り得ないことだったからだ。
そして、ラーは魔王討伐軍への支援物資の提供を確約。
新法王による180度の方針展開は、法王庁関係者はもちろん、当事者たるトシヒコやヒナでさえ面食らったという。
討伐軍への支援には、法王庁内に反対意見も多かった。
それに対しラーは、〝勇者〟の台頭に色目を使う貴族たちに後方支援を名目に金銭的な負担を要求するなどし、反対意見を黙らせた。
法王庁としては、巻き上げた金の多くが懐に入り、丸儲けであった。
自らが王子時代に所属したサロンから、一流の魔道士や錬金術師を集めて物資を生産。
製作費や輸送コストなどは、各地の貴族に負担させることで、法王庁に大きな負担はなく、マナポーションなどの補給物資を量産できた。
魔王討伐軍が勝つにせよ、負けるにせよ、法王庁主導で魔王軍に対する防衛ラインを構築することも狙いにあった。
討伐戦後の力関係を見据えての戦略だった。
「お兄さまが一番の食わせ物。錬金術師でもないのに大儲け」
アニマは無邪気に笑った。
「でもないよ。勇者と兄上に一枚上を行かれたのだから」
法王ラーの誤算は、勇者トシヒコの完全勝利と、討伐戦後の世界情勢の変化。
そして勇者自治区の誕生、兄の皇太子ガルガ・スノールと勇者自治区との意外な結びつきにあった。
キッカケは、父王の不慮の死から始まった。