180話・亀は意外とよく眠る2
(兄上を廃太子にして、私を王太子にするというのか!)
親しかった宮廷魔術師たちによる謀議は、ラーの心を深く傷つけた。
自分を英傑級だと評して買ってくれたことは嬉しかったが、兄を差し置いてまで王になりたいとは思わない。
魔道の才能に恵まれなかった王太子ガルガは、弟のラーに劣等感を持っていた。それはラー自身も知っていた。
しかし剣の腕を磨き、帝王学を学ぼうと真摯に努力する兄を、ラーは尊敬していたのだ。
彼ならば、きっと良い王になるだろうと思っている。
自分は魔道の才能で、兄をサポートできればよかった。
それなのに宮廷魔術師たちは、兄の努力を無にしようとしている。
現段階では、謀略の下話をただ聞いただけだ。
証拠があるわけでもない。
ラーが問い詰めても「聞き違い」「王子の思い過ごし」で押し通されたら反論できない。
(かといって彼らを泳がせて一網打尽にするわけにもいかない)
宮廷魔術師長や、錬金術師などの人材が失われるのは、大幅に国力を損ねる。
それに加え、娼館から買い上げられた女奴隷たちも、国家反逆罪の証拠となってしまう。
当然、皆処刑されるだろう。
女奴隷に何の落ち度もなくとも、兄王を堕落させるために利用されただけでも反逆罪に問われる。
たとえ自分が助命嘆願しても、まず間違いなく口封じに殺される。
女奴隷として売られた挙句、身に覚えのない罪で命を奪われることはあまりにも不憫だった。
◇ ◆ ◇
僧籍に入って、俗世から距離を置く。
それがラー・スノールの下した決断だった。
もちろん周囲は大反対したが、彼は頑として考えを改めなかった。
誰も罪には問いたくなかった。
廃太子の謀議については、聞かなかったことにした。
ただし、首謀者と思われる宮廷魔術師長には釘を刺しておく。
「くれぐれも兄、ガルガ皇太子殿下を補佐してください。たとえ万が一があろうと、私は還俗しません」
宮廷魔術師長は絶句した。
万が一、皇太子に何かがあっても、ラーは俗世には戻らないと宣言したのだ。
それでは、王国の後継者がいなくなってしまう。
「兄上には王朝を盤石にするため、なるべく早くに成婚され、多くの子を為すようにお伝えください。ただし、くれぐれも常習性の高い媚薬などには手を出さぬようにと」
ラーは少しだけ意地の悪い言い方だとは思ったが、どうしても兄を守りたかった。
兄とは結局、良好な関係を築くことはできなかったが、兄の苦悩は理解しているつもりだった。
魔道に適性がなかった負い目を、武芸や乗馬に勤しむことで払拭していた兄ガルガ。
その裏には、絶えず弟の影があった。
ラーが法王庁に出家すれば、そんな劣等感からも解放されるだろう。
この一件に関して、父王は何も言わなかった。
「それがお前の選択なれば、そうするが良い」
この王は、どちらかと言えば凡庸な君主だった。
可もなく不可もなく、清廉潔白な性格だけが取り柄だった。
平時の王としては適材だが、世界の均衡が破られた今では王国の不安要素でもあった。
兄ガルガは武人として王を支えるだろう。
魔法が使えないことが、逆に彼の生き方を明確にさせた。
自分を脅かす弟の存在がなくなれば、彼は伸び伸びと王太子としての責務を果たすだろう。
そしてゆくゆくは立派な武人肌の国王として、国民を引っ張って行ってくれるはずだ。
ラー・スノールはそう確信し、法王庁に入った。
第二王子の出家は、大掛かりなものだった。
法王庁までの街道を、近衛兵に囲まれ、さながら大名行列のような一団が連なる。
その中には父王の姿もあった。
国王自ら同行を申し出たのは、現法王に「王子をくれぐれもよろしく」と伝えるためだ。
それは、「次期法王の座に」という意思表示でもあった。
王族のきらびやかな行列は、行く先々で人々の目に留まった。
妹のアニマ、さらには陰謀を企てた宮廷魔術師や錬金術師の姿もあった。
皇太子ガルガと騎士団の主力組は、有事に備えるとして王都に残った。
しかし、決して自身を嫌っているからではないと、ラーは確信していた。
「兄上、どうぞ息災で」
「国のことは余に任せろ!」
出立の際に、ラーとガルガは握手を交わした。
兄の顔には迷いがないように思える。
毎日剣を振っている兄の手は強く、頼もしく感じた。
長年のわだかまりは、解けたように思えた。