176話・賢者ヒナの薔薇風呂と勇者トシヒコの帰還
勇者自治区は有名テーマパークを模して造られている。
一面に広がる夜景は、ここが剣と魔法の世界とは思えないほど現代的に、そして煌びやかに彩られていた。
この景色はほぼ、現代日本から転生してきた勇者トシヒコと賢者ヒナによってもたらされたものだ。
しかし、どれほど文明の光が夜を照らし出しても、人間の心は夜の影響から逃れられない。
「夜中に書いた手紙は、どうしてこう恥ずかしいのかなあ」
ヒナは母親の小夜子に宛てた手紙を読み返して、照れくさそうに笑う。
手紙は「朝読み返してから出せ」という。
ヒナが前世で手紙を書くことはなかったが、SNSの投稿やブログの更新は夜中に書いたものを翌朝に読み返して恥ずかしさのあまり削除してしまうことなら何度もあった。
(深夜になると、テンションが上がってしまうのかもしれない……)
手紙を封筒に入れると、勇者自治区執政官のシーリングスタンプを押す。
(恥ずかしいけれど、どうしても書いておきたかった)
本来は公式な文書に使うものだが、本人認証の魔法が込められており、小夜子以外の者が封を切ると焼け落ちる仕組みになっていた。
ヒナ執政官の泣き言や甘えを、誰かに知られるわけにはいかなかった。
この世界での書簡のやり取りは、僧院や飛脚などを通じて行われてきた。
勇者自治区は数年前に独自の郵便制度をつくったものの、まだ完成と呼べるまでには程遠い。
先日、久しぶりに会った際に住所は聞いていたので、届けることはできる。
旧王都・南地区・アジューダ通り・公衆浴場の向かいの赤い屋根の家。
八十島 小夜子と、漢字で名前を書いた。
ヒナは貨物用昇降機に手紙を置き、スイッチを押した。
こうすれば旧王都向けの郵便物として職員が処理するだろう。
◇ ◆ ◇
1日の仕事を終えたヒナは、1階に電話をしてバスルームの支度を頼んだ。
「もしもし。ヒナだけどお風呂の支度をお願い。今日はピンクと白の薔薇を浮かべてね」
「承りました!」
彼女の趣味は薔薇風呂だ。
浄化魔法で洗浄した薔薇の花びらを、バスミルクやバスソルトの入った湯船に浮かべる。
キャンドルの薄明かりで、ゆっくりと入浴するのがヒナの至福のリフレッシュ時間だ。
(いつかママと一緒に入りたいな……)
薔薇風呂を心行くまで楽しんだヒナは、バラの香りを身にまとっただけの姿でベッドルームに向かう。
魔法によって適温に保たれた室内は、マジックミラーのようになっていて、サンドリヨン城からの夜景が一望できた。
クラシック調のプリンセスベッドに体を預けると、ヒナはまた小夜子のことを思いながら眠りについた。
◇ ◆ ◇
飛翔魔法でセントラル湖上空を突っ切り、トシヒコは家路につく。
勇者トシヒコは湖上の人工島にハーレムを築いていた。
モデルはアラブ首長国連邦のドバイ沖合いに造られた人工島群パーム・アイランド。
もちろん規模はその数百分の一で、こじんまりした敷地内にはプライベートビーチや高級ホテルを模した宮殿が建てられている。
トシヒコはそこに引きこもって暮らしている。
市中で見染めた者や、身寄りのない年頃の娘、元奴隷の中で彼の好みの者などが集められている。
中には討伐軍で共に戦った仲間で、負傷して介護が必要になった女性などもいて世話をしている。
妻43人と従者100人から成るハーレムは全て女性である。
子供は現在22人。上が5歳から下が0歳児まで。もちろんこの中には男の子も含まれる。
基本的には出入り自由の、来るもの拒まず去る者追わずの精神だ。
従って、トシヒコの妻43人のうち全員が人工島に常駐しているわけではない。
ある者は自治区でブティックを経営していたり、あるいは酒場を切り盛りしていたりする。
女たちの組織でもあるからドロドロした人間関係は当然あり、トシヒコはそれに気づかないふりをしていた。
「おかえりなさいませ~」
「お帰りをお待ちしておりました~」
「トシヒコさ~ん」
トシヒコが宮殿の庭に降り立ち、玄関の呼び鈴を鳴らすや、女たちが猫なで声でやってくる。
「グッシシシシ。今日は誰と何して遊ぼうかなー」
魔王を討伐して6年、トシヒコは自堕落な生活を続けていた。