168話・勇者自治区のトシヒコとヒナ うわさの男2
プロジェクターの画面には、法王庁の決闘裁判で食人鬼に吹き矢を飛ばす直行の画像が写されていた。
解像度は粗く、3G回線時代の二つ折りの携帯電話で撮った写真に近い。
「アイツが小夜ちゃんの彼氏?」
勇者トシヒコが素っ頓狂な声を上げた。
そのピント外れな認識に、ヒナは大きくため息をついた。
「ママの友達の直行君。トシは人の話ぜんっぜん聞いてないでしょ。マナポーションの取り引き相手の、最近こっちに来た被召喚者」
「討伐戦時代に法王庁が用意した援助物資を、6000万ゼニルで横流ししてくれた人です」
「おう! で、そいつがどうしたって?」
いぶきが熱心に語り、トシヒコが鼻をほじりながら合いの手を打った。
「さらわれた13歳の伯爵令嬢を救うために、錬金術師、殺し屋と組んで法王庁に乗り込み、決闘裁判で紅の姫騎士リーザはじめ聖騎士5人、食人鬼4体、挙句の果ては令嬢の父親と殺し屋まで討ち取って、伯爵家を乗っ取り、従者を情婦にしたそうですよ」
いぶきも話しながら苦笑せざるを得ない内容だった。
さすがのトシヒコも呆れて笑うより他なかった。
「おーおー。本格的な悪党だなー。しかも13歳の子と結婚なんて犯罪じゃねえのか」
「でも、ヒナの知る限り錬金術師と接点を持って、何かをやった初めての〝異世界人〟じゃない?」
「情報の信ぴょう性は、まあまあってところです」
いぶきが手にした情報は、法王庁に忍ばせた間者からもたらされたものだ。
もっとも、間者といっても勇者自治区の出身者ではない。
異界人と裏社会をつなぐ窓口である古物商〝銀時計〟を通じて紹介された人物だ。
「たまたま決闘裁判を直に見た間者の話なんですが、蝶のように舞い、吹き矢とキスで次々と敵を篭絡していったとか……」
いぶきも呆れながら言った。
直行とは面識のあるヒナとアイカは顔を見合わせて動揺する。
「吹き矢とキス……!」
「キスって? あのチュッチュする奴? それともディープキス? どうやって~?」
アイカがヒナの肩を抱き、唇をスレスレまで寄せる仕草を見せておどけた。
「ふざけないでアイカ」
「申し訳ありませんヒナ様」
冗談の通じないヒナが真顔でそれを制したので、アイカは気まずそうに頭を下げて控えた。
「しかし、その直行ってのはメチャクチャな野郎だな。解像度悪いから顔はよく分かんないけど、イケメンか? 小夜ちゃんは大丈夫なんだろうな!」
「ヒナ会ったことあるけど、イケメンってほどじゃないよ。で、そんなに悪人でもない。その話は相当に盛ってると思う」
「僕の知ってる直行さんは、戦闘スキルもないのに吹き矢で上級悪魔や飛竜と戦い、〝頬杖の大天使〟こと零乃瀬 知里さんを従えてました」
いぶきは一気にまくしたてる。
「情婦ってレモリーさんでしょ。ウチら会った時からいい感じにデキてたよね、あの2人……」
ようやく気を取り直したアイカが話を添えたところだったが、トシヒコたちの関心事は知里に移っていた。
「知里……か」
ヒナは気まずそうな顔だった。
元・魔王討伐軍の選抜メンバーで、他人の思考を読み取る特殊能力「他心通」を持つ神聖術の使い手・零乃瀬 知里はトシヒコやヒナ等とは昔のパーティメンバーでもある。
「〝頬杖の大天使〟という二つ名の冒険者みたいですね」
「自分でつけたんでしょうね。彼女らしいネーミングセンスだもの」
ヒナは苦々しく笑った。
知里がパーティを離脱する原因になったのは、彼女との些細な言葉の行き違いが原因でもある。
「チッパイちーちゃんか、懐かしいなー。才能だけなら俺よりも凄かったんじゃねえの?」
トシヒコが懐かしそうに目を細めた。
それに対して、ヒナは厳しい表情を向ける。
「トシ。人の身体的特徴をあげつらうのは良くないわ」
「でもヒナちゃん、直行って奴のことイケメンって程じゃないとか言ってたじゃん!」
「男子は悪く言ってもいいの。それとこれとは話は別。トシは勇者で国家元首なんだからデリカシーを持って」
「……ヒナちゃんにディスられちゃった」
「僕も知里さんに初対面なのに心を読まれて思い切りディスられちゃいましたから。ハハッ」
トシヒコといぶきが、口うるさい女子を前にした男子特有の仲間意識で笑い合った。
「ふーん。その知里って女、心が読めるってハンパない能力ですね」
「〝他心通〟は確かに凄い能力だけど。潔癖症で協調性がなくて融通が利かない人は、パーティにいてもお荷物よ。その点、ママの方が何倍も凄いと思う。会うとケンカしちゃうけど、ヒナは小夜子ママを誇りに思ってる」
「小夜子様! ウチ一度しか会ったことないけど、とても朗らかですっごく優しかったんですよね。ああいう女性がお母様なんて、ヒナ様がうらやましいっすよー」
ヒナは小夜子の話を差しはさんで話題を変えようとした。
アイカが同調して、大げさな身振りで話を膨らませたが、ヒナはそれ以上釣られなかった。
「とりあえず、定例報告はそんなところかしら。引き続き2人は諜報活動を続けて頂戴」
「はっ!」
「りょっ……了解デス」
「それと、いぶき君。近いうちにマナポーションの彼に会いたいな。使いをやってあげて」
「承知しました」
「錬金術師とのつながりについても訊いてみたいし。トシも直行くんに会っとく?」
「イケメンってほどじゃねえんだろ。だったらいいや」
「なにそれ?」
「そんな野郎よりも、小夜ちゃんに会いたいなー。どうしてるかなー、オレに会いたいとか思ってねぇかなー」
「まあいいわ。仕方ないからママには手紙を出しといてあげる」
トシヒコとヒナの他愛もない会話が途切れたタイミングを見計らい、いぶきが話をまとめる。
「以上を持ちまして、諜報部からの定例報告を終わりたいと思います。トシヒコ様、ヒナ様。ありがとうございました」
「ありやとーざーしたー」
いぶきとアイカは恭しく礼をして、執務室を出て行った。
「さて。若い衆が帰ったところで、少し込み入った話をしよう」
「……珍しいわね。トシがそんなこと言うなんて」
勇者自治区の政治の中枢部分、ここサンドリヨン城は執政官の公邸となっているが、事実上ヒナの住まいだった。
もう一人の執政官である勇者トシヒコとは、1年の任期ごとに公邸を交換することになっている。しかしトシヒコは湖の中央に浮かぶ人工島の私邸にほとんど引きこもって暮らしている。
いわゆる「勇者トシヒコのハーレム」だ。
普段のトシヒコは、ほとんど政治に関心を示さないため、実質上ヒナと側近たちによる独裁政治に近い。
ただし、言論の自由は固く保証されており、ここ最近では官僚制度のような体制もできつつあった。
それが珍しく、トシヒコから話があるという。
ヒナは神妙な面持ちで、勇者トシヒコを見つめた。