16話・現代からそろばんを召喚しよう
──翌日。
異世界生活3日目ともなると、何となく現代社会が恋しくなるものだ。
電気も、スマホもない生活はとても心細い。
特に夜なんて真っ暗ですることもない。
住めば都と言うが、異世界での生活は現代のそれとは勝手が違うので3日程度ではぜんぜん慣れない。
たとえば、のどが渇いた時に水が飲めないこと。
生水を飲んではいけないと言われたので、いちいち従者レモリーを呼んで異世界のお茶、マー茶を入れてもらうよりほかなかった。
ペットボトルが恋しい。
冷蔵庫や電子レンジがないのも地味に不便だった。
というか、現代文明の便利さを思い知るばかりだ。
食事は口に合わないわけではなかったが、毎度の硬いパンと干し肉っぽいものと、野菜のスープ。
かぶのような野菜を使ったスープは、レモリーがいつも心を込めて作ってくれるものだ。
味付けはたぶん塩だけなのだろう。
素材の味が生きているともいえる。
いや、健康には良いだろうし、こんなことを思うのは贅沢なんだけど……。
化学調味料の派手な味に慣れた身にしたら、少し物足りない。
獣肉、食べたいなあ……。
かといって異世界風BARの異界風で豪遊するわけにもいかない。
3カ月以内に3500万ゼニルを稼がなければ、俺は呪い殺されてしまうのだ。
◇ ◆ ◇
今日も昼間は各酒場などを巡り、マナポーションを売って回った。
「マナポーション、いかがですか?」
「いらねえよ!」
そんな調子の繰り返しだが、今日は少し惜しいやりとりもあった。
酔っ払いの客に「3割引きなら2本買う」と言われ、とっさに計算できずに「やっぱいいや」と断られたのが悔やまれる。
惜しいことをした。
その夜、俺はエルマを私室に呼んだ。
「こんな夜更けにいたいけな少女を呼びつけて、どういうおつもりですの?」
相変わらずの生意気な憎まれ口に苦笑しつつも、俺は今日あった惜しいやりとりを説明した。
「……なるほど、算数が苦手な直行さんは、計算機が必要だと?」
「その言い方! まぁいいけどさ。とにかく、そろばんとか、ここの家にないかな?」
「レモリーが家計簿をつけるのに使っている、それっぽい道具はありますけど?」
そう言ってエルマが持ってきたのは、竪琴のような形のそろばんだ。
弦に当たる部分に、ビーズのような球がついている。
アバカスという、枠を立てて使う西洋式のそろばんに似た感じのものだ。
「これは慣れないと難しそうだな」
「いっそのこと、異世界から計算機でも召喚しちゃいますか♪」
「できるのか!」
現代日本から計算機を召喚してもらおうと試みたが、精密機械は難しいようだった。(現にそれができたら金目のモノを召喚して借金なんて返せるだろうし……)
「現在のあたくしのレベルでは、そろばんが精一杯ですわね……」
エルマは俺のベッドに腰かけて瞑想した。
「ええと、そろばんの玉って下が4つ。上に1つでしたっけ?」
「そうだな。で、横の列は20~5桁くらい?」
「正確に言ってくださる?」
「……じゃあ20桁で」
エルマは長い呪文を詠唱しながら、指を躍らせて空中に術式を描き出した。
幾重にも重なった幾何学模様のような紋章が、光輪を放った。
描かれたCGのような魔方陣の中心から、「ここではない」空気が流れてくる気がする。
彼女はブツブツ言いながら、陣の中心に腕を突っ込むと、レトロなそろばんを引っ張り出した。
初めて見た召喚術に、俺は呆気にとられた。
何もないところに魔方陣を描き、物質を引き出す。
「……本当に〇次元ポケットみたいだな、おい」
「横の列を間違えたから微妙に〝失敗〟しましたけどね」
「……!」
横の列が中途半端に欠けていた。
数えてみると20桁でブツ切れになっているようだ。
その切断面を見て、俺はゾッとしてしまった。
「もしエルマが人体を召喚するのに間違えてたら、俺もこうなっていたのか……」
「だから人間に関しては補助アイテム『人間のアカシックレコード』が必須なんです」
召喚魔法、怖すぎるよな……。
「しかし、こんな物騒な魔法をどこで覚えたんだ? 学校で習ったのか?」
「まさか! 独学ですわ。ある女の人に出会ったことがキッカケで覚えたのです」
この世界では貴族の子女の教育は家庭教師が基本だそうだ。
もっとも借金を抱えてからは家庭教師にも暇を出したそうだが。
俺のベッドにちょこんと座ったエルマは、遠い目をしてため息をついた。




