162話・凱旋と、すれ違う心
翌朝。
帰り支度を整えた俺たちは、法王庁の長い階段の前に集合した。
皆、昨夜の打ち上げで、食べ過ぎて飲みすぎた。
俺も朝風呂を浴びてきたけど、二日酔いで頭が痛い。
「直行ッ、結婚祝いに解毒剤を無料でやる。飲めッ!」
「すっぺぇ……でも、効くわぁ」
珍しくアンナが上機嫌で解毒剤を振る舞った。
知里もスライシャーもアンナも魚面も、みるみる回復していった。
「治癒魔法なら我々が唱えましたのに」
聖騎士ジュントスと見習いのドンゴボルトは、自身の回復魔法で酒気をさましている。
わざわざ見送りに来てくれた、というよりも一緒に雑魚寝して、ついでに来たような感じだ。
彼らとはここで別れることになる。
「お二人にはお世話になりました。俺にできることがあれば、旧王都の『異界風』という居酒屋に連絡をください」
俺は改めて礼を言って、羊皮紙の切れ端に地図を描いて渡した。
「ふむ……『異界風』ですな。承知しました。追って連絡します。拙僧からは、これを」
ジュントスは封蝋の施された手紙を差し出した。
「アンナ殿が不在でも、それを見せれば法王庁に入れます。緊急の用事の際にお使いください」
「バルド・コッパイ公爵家の家紋入りなんですぅ!」
言ってみればパスポートのようなものか。
「おそれいります。ジュントス殿もドンゴボルト殿も、ご健勝とご活躍を!」
「また会う機会もありましょう。直行殿が晴れてロンレア伯を襲名した際は、晩餐会など開かれるでしょう。ぜひ拙僧もお呼び下さい。ウシシシ」
「いやいや。あくまでも共同経営者ですから。めったなこと言わないで下さいよ」
俺とジュントスはまるで悪代官と悪徳商人のような嫌らしい笑みを浮かべた。
そしてご当地風の握手をして、別れた。
ドンゴボルトがいつまでも笑顔で手を振っていたのが可愛らしかった。
「さて。そんじゃ足元に気をつけて行こうかッ!」
「階段スゴイ急で怖いナ……」
「魚姐さん、あっしが手を貸しやすぜ」
アンナは威勢よく階段を降りていく。
歩きにくそうな魚面を、スライシャーが支えている。
「……」
知里は物憂げな表情で、高くそびえる神殿を振り返っていた。
「知里姐さん、どうかしやしたか?」
「宿に忘れ物か? 俺が取りに行くよ」
「ううん。なにも忘れてない。少し感傷にふけっただけ。たくさんの人の思いを見たから。多分、あたしはもう法王庁へ来ることはないんだろうなって思って……」
知里が何故、そんなことを言いだしたのか俺には分からなかった。
少し気になるので尋ねようと思った矢先……。
「違うヨ! 人生何があるか分からないヨ、知里サン。ワタシなんか3日前まで皆を殺そうとしてた裏稼業の人ダったヨ」
「お魚の言うとおりだッ! 先のことは分からんッ。予感なんて大抵当たらないものだッ」
「……そうかもね。訂正する」
魚面とアンナがまくし立てたため、知里は苦笑した。
彼女は回れ右のような動作で、俺たちの方へ向く。
何事もなかったかのように、軽い身のこなしで、階段へと足を進めた。
空中都市と地上とをつなぐ大階段を、俺たちはゆっくりと降りていく。
勾配がきついので落ちたら即死だ。
下界から吹き上げる暖かな空気と、時折肌を刺す聖地からの冷たい風を感じながら、慎重に足を運ぶ。
すれ違う老若男女の巡礼者たちの列は絶え間なく続いている。
今日は法王の演説があるわけでもないので、来た時よりも少ないけれど、それでもけっこうな人数だ。
「聖地巡礼、お疲れ様です」
彼らに会釈をしながら、俺は階段を降りていく。
すれ違いざまに、祈りを捧げる者、無視する者、微笑む者など、巡礼者の反応は様々だ。
ただ確かなのは、彼らはこの世界で生まれた人たちだということだ。
住む世界も宗教も違う、たぶん価値観も相いれない者同士がすれ違う。
俺たちの元いた世界でも、そうだったけれど……。
法王庁と勇者自治区。
いま、この世界は大きな変革期にある。
聖龍信仰は、この世界の土着の人たちの拠って立つ基盤だ。
我が物顔で現代文明を持ち込む転生者や被召喚者。
その中には、俺も含まれている。
そうした異界人たちに、自分たちの生活や信仰が脅かされると法王庁の人たちは考えている。
俺はヒナちゃんたちのように、世界をつくり変えようとは思っていないけれど、彼らにとっては同じ異界人だろう。
「事なかれ主義かもしれないけれど、あたしはここの人たちの信仰や価値観を刺激したくないと思ってるんだ……」
俺の思考を読んでいたのか、知里がつぶやいた。
だから「法王庁に来ることはない」なんて言ったのか……。
「同感だ。俺に関しては、もう手遅れかもしれないけど」
決闘裁判で派手にやらかしてしまったからな……。
そんなことを話しながら、俺と知里は下界に進む。
長い階段を降り切ると、広大な河川敷のような原っぱが広がる。
来た時と印象が違うのは、野営のテントなどがめっきりと少なくなっているためだ。
野球場が何十個も入りそうなほど広い土地には、ところどころ馬宿が点在している。
「エ~と、旧王都への街道は……コッチ!」
「へい。あっしは馬車を回してきますぜ」
ゆるふわ美人に変装している魚面が、看板の矢印を辿っていく。
スライシャーは馬繋場へと走っていった。
俺と知里とアンナは、魚面の後を追って、街道の方へ向かう。
そこに、見慣れた馬車があった。
ロンレア家の所有する黒い馬車だ。
御者を務めるレモリーが、俺に気づいて礼をした。
馬車のドアが開いて、エルマが駆け寄ってくる。
「直行さん♪ お帰りですね」
「おう。帰ったら『異界風』で打ち上げをやるから、レモリーも一緒に来いよ」
珍しく人懐っこそうな笑顔で頷くエルマ。
ロンレア伯は馬車の中にいるのだろう。
彼に気を使っているのか、レモリーは御者台に座ったまま、こちらを見ていた。
意外だったのが、ロンレア夫人が馬車を降りて、俺の元に近づいてきたことだ。
エルマも俺も、意外そうに顔を見合わせてしまった。