156話・結婚するって、本当ですか?
「俺と結婚……だとぉ?」
突然、エルマが言い出したことで状況は一変した。
俺と彼女の異世界をまたいだ年の差婚。
もちろんそんな事実はこれまで一切なかった。
エルマは転生者であることを隠しながら、保守派貴族の令嬢という立場だけで話している。
あまりにも危なっかしい『奇策』ではあった。
しかし、この発言がキッカケとなり、闘技場の雰囲気は一変した。
マナポーションをめぐる所有権の争いだったはずの決闘裁判は、処刑断罪モードから、異世界間の結婚の是非を問う場へと、エルマの宣言によって論点がずらされてしまった。
「大将、その話は本当ですかい?」
「おいッ、どうなんだッ?」
「いいえ! お待ちくださいお嬢様。直行さまは私と愛を誓いましたよ……。それを横取り……いえ、何がどうなっているのですか?」
「エエと……そうなるとワタシの立場って、ロンレア伯に雇われた『結婚の妨害者』というコトで?」
突然、降って湧いたような話に、俺はもちろん関係者各位は動揺を隠せないでいる。
魚面に関しては、彼女の言う通り、ただの妨害者ということになる。
この件で、思いのほか得をしたのは魚面かも知れない。
一方、レモリーなどは、唖然とした表情のまま硬直していた。
「エル……マ……」
「あなた。お気を確かになさってください」
しかし、当然のことながら、もっともショックが大きかったのは実の両親だろう。
とりわけエルマの父親であるロンレア伯の衝撃は計り知れない。
俺とエルマの結婚話なんて、それこそ寝耳に水だったろうし……。
ようやく睡眠剤の効果が切れたと思ったら、超ド級の刺激剤を注入されたようなものだ。
ショックのあまり倒れそうな伯爵を、夫人が一生懸命に支えている。
しかし、奥方の方は意外と平静な様子だった。
ロンレア夫人は静かに娘を見て頷いている。
「エルマ、両親には一応釈明しておいた方がいいんじゃないか?」
「そうですわね。では、後のことは直行さんにお任せいたしますわ♪」
本当に結婚するかどうかはともかく、殺伐とした空気を変えるのに一定の効果はあった。
場内からは、すでに誰かを罰すべしという声は聞こえなくなっていた。
ただ、戸惑う声や、何となく釈然としない雰囲気もできつつある。
「直行。群衆を煙に巻いているうちに、早いとこ裁判を終わらせちゃいなよ」
風の精霊が知里の声を運んでくる。
確かに、幕引きを急いだほうがよさそうだ。
俺は司祭の方に歩み寄り、静かに告げる。
「……このような次第ですが、俺たちの結婚と全員無罪の判決を許していただけますかね?」
彼は少し困惑しているようだ。
虚偽感知を使われたら一発アウトだが……。
「結婚とは、もっとも神聖な人間関係の一つです。そのために決闘裁判の勝者の権利を行使するというならば、異論はありません」
司祭は考えた末に、承認した。
先端に天秤を象った鉄杖で床を打ち鳴らす。
「では、勝者の宣言により、決闘裁判を閉廷する」
司祭は最後にこちらの頭上に向けて杖をかざし、祝福を与えた。
その際、彼は俺の耳元にまで顔を近づけて小声で告げた。
「運が良かったですな。先だっての法王猊下の、異界人に対する寛容なお言葉がなければ、そなた等は生きてこの闘技場を出ることはできなかったでしょうからな……」
そして何事もなかったように、神官と係の聖騎士に伴われて、闘技場を降りていった。
闘技場の舞台に残されたのは、俺だけとなった。
「ああそうだ」
俺は思い出したようにリーザの元へ駆け寄った。
彼女は両膝をついて、がっくりとうなだれている。
その両脇を飛竜部隊の聖騎士たちに抱えられ、どうにか起き上がろうとしている。
俺は鏡張りにした凧型盾を拾って、彼らの元まで歩み寄る。
しかし聖騎士たちは武器と盾を置いているので、誰から盗ったのか、思い出せなかった。
「皆さん手強かったです。卑怯な戦い方に思えたかもしれませんが、そうする以外に俺に勝ち目がなかったためです。これ返します。家宝だったらスイマセン」
「……」
「支給品だ、これは!」
俺が差し出した凧型盾を、ひったくるようにして強引に奪い返した聖騎士が言った。
乱暴でぶっきらぼうな動作なのに、どこか気安い印象だった。
「異界人に、感謝などはしない。が、リーザ様が生きている現状には安堵している」
「神聖騎士団たるものが、余計なことを言うな!」
一方、リーザは聖騎士たちを制し、憎しみのこもった瞳で俺を睨みつけてくる。
それに対し聖騎士たちも一応は嫌そうにこちらを見ているのだが、どこか肩の力が抜けた様子だった。
「歳の差婚は置いておくとして、うまくやりやがったな」
「実力の差を、あんな戦い方でよくひっくり返したものだ」
「あの狂犬を、せいぜいよく躾けておけよ」
そんな軽口さえ、俺に言うくらいだ。
「私語は慎めお前たち!
……九重 直行と言ったな異界人。
次に会った時は殺す。覚えていろ……」
リーザは相変わらずシリアスでピリピリしていたが、俺もさすがに彼女のノリに慣れてきた。
「殺すって言ったって、私闘はダメだろう。法王庁の聖騎士なんだからさ」
「黙れ! 公衆の面前で私を辱めた屈辱は絶対に忘れない」
顔を高揚させて怒るリーザを、聖騎士たちはなだめつつ、被告側の控室の方に去っていった。
すでに観客も帰り支度を始めている。
俺もエルマたちのいる控室の方へと歩いていく。
途中、魚面が召喚した食人鬼を帰還させる場面に出くわしたので、俺は足を止めた。