150話・ベースボール・ダイアリーズ
突然、目の前が真っ暗になり、過去の出来事が走馬灯のように流れ去っていく。
俺が元いた世界、懐かしい生まれ育った街の風景。
さびれた地方の港町。
……。
俺は中学2年まで野球をやっていた。
子供の頃、よく漁師だった父とキャッチボールをして、筋がいいと褒められていた。
親父はいわゆる野球狂で、漁のない日は朝から大リーグ中継、昼は高校野球、夜は日本のプロ野球を見ていた。
そして自分でも草野球チームに所属していた。
「直行なら、プロ野球の選手になれるんじゃないか」
子供心とはいえ、そんな話を真に受けて俺は少年野球をやらせてもらった。
小学校時代は4年生からレギュラーになり、5年生からは不動のエースで4番。
野球が面白くてしょうがなかった。
中学になると、少年野球の仲間たちと当然のように軟式野球部に入部。
が、顧問の教師の指導方針とは合わなかった。
練習内容にも物足りなさを感じて、悩んだ末にリトルシニアに移った。
軟式野球とは違い、硬式のボールを使うシニアはレベルが高く、新天地ではとても充実していた。
その一方で、自分の才能の限界も思い知らされた。
野球の経験のない大人が、本気で投げたとしても100キロ出るかどうかのところ、俺は中学1年で110キロ台のストレートを投げることができた。
だが、シニアには120キロ台がゴロゴロいた。
中には140キロ台を出すような怪物もいた。
少年野球ではエースだった俺も、中学硬式野球では周りの成長に抜かれ、そこそこの選手でしかなかった。
それは別に努力をすれば良いことだ。
が、思ったように能力は伸びてくれない。
俺は焦りを感じていた。
情けない話だが、地元の中学の野球部に物足りなさを感じていた俺は、シニアでも無双する夢を見ていたのだ。
だが現実は、「どこにでも替えが効く、ちょっと優れた1人」に過ぎなかった。
凄い奴は果てしなく凄い。
プロに行くような連中とは、そもそも体格からして違った。
この先どれほど努力を続けても、意味がないんじゃないだろうかと思ってしまった。
俺は、自分の限界、才能の差のような考えに囚われてしまっていた。
唯一、自信があった制球力も、詰めの甘さを指摘され続けた。
「ボール1個分、浅いんだよな」
当時の監督に、よく言われた言葉だ。
狙ったところに投げられても、ギリギリのところを突けない。
「制球力はいいんだから、内角低めを狙え。当ててもいいくらいな気持ちで行け」
俺の心の弱さなのだろう。
肝心なところで、踏み込みが足りなかった。
一方、学校では俺に対するいじめが始まっていた。
リトルシニアに所属するといっても、普段は地元の中学校に通う。
少年野球をやってきたチームメイトの多くが同級生だ。
彼らにとって、俺は裏切り者に映ったのだろう。
中学の野球部を辞めてシニアに行った俺に対して、元・チームメイトを中心に無視されるようになった。
無視はやがて、他の部の連中にも広がり、俺は残りの中学時代の多くを独りで過ごさなければならなかった。
学校では孤立無援で、野球では自分の限界を思い知る日々……。
そうした中で、俺は次第に野球への情熱も失っていった。
そして、受験の準備を口実に中学2年で硬式野球クラブを辞めた。
親は何も言わなかった。
中途半端な時期だったので、嫌になって辞めたことは薄々は分かっていたと思う。
高い月謝を払ってくれたのに。
毎週、車で送り迎えをしてくれたのに。
せめて勉強して、良い進学先をとは思ったけれど、うまくは行かなかった。
野球をやめて以来、俺の人生は曇り空のまま続いていた。
高校受験も大学受験も、第1志望には届かなかった。
就職にも失敗して、ズルズルと派遣やバイトで食いつないだ。
アフィリエイトブログを運営し出してからも、インフルエンサーには程遠い中途半端な状態だった。
どうにか生きていくことはできる。
しかし、中途半端で不安定な状態は変わらない。
野球も受験も就職も事業も、俺は勝ちきれなかった。
ズルズルと流されるまま、もがいていた。
ボール1個分、踏み込めていれば結果は違っていたかもしれない。
……。
「直行、思い出に浸ってないで! エルマお嬢ちゃんが!」
知里の声で、我に返った。
「何をボーっとしてるんだ直行ッ! 起きろッ! しっかりしろッ!」
「大将!」
「直行さま!」
アンナ、スライシャー、そしてレモリーの声も聞こえる。
闘技場の大観衆が、野次と罵声を飛ばしていた。
「投石を外したアンタに、魚面は睡眠魔法をかけた。エルマお嬢ちゃんは、もう間に合わない!」
魚面は、念動力で、眠れるエルマを宙に浮かせている。
いま、まさに場外に落とすところだ。
「エルマ!」
俺は慌てて駆けだすが、間に合わなかった。
エルマは静かに場外に下ろされていく。
彼女の狂戦士化はすでに解けているのか、安心しきった、穏やかな寝顔だった。
「直行さん、後は任せましたからね♪」
エルマの顔は俺にそう言っているように感じた。
たぶん気のせいだろうけど……。
闘技場に残されたのは俺と魚面の2人だけ。
否が応でも、決闘裁判は最終局面を迎えていた。