149話・やわらかい突き
俺は食人鬼の尻や膝の裏を、まるで小学生が傘でイタズラするように突いて回っていた。
もっとも、手にしているのは傘ではなく、リーザ・グリシュバルト子爵家の家宝だという刺突剣だ。
なるほど、武器としての質が違うのは実感する。
大した力を加えずとも、硬い鬼の皮膚に、面白いように剣が刺さるのだ。
尻や膝の裏といった、比較的やわらかい部位を狙う。
体格差があるため、顔面や首筋は狙いにくい。
あくまでも、剣が届く範囲で、神経が過敏っぽい部位を狙う。
突くと、食人鬼たちは飛び上がるほどの反応を示し、のたうち回る。
「鬼の奴らは薬が効いて過敏になっている。致命傷にはならなくても、攪乱はできる」
効果時間の切れそうな奴には、もう一度吹き矢で媚薬を放つ。
俺はエルマが準備した催涙剤と睡眠剤と媚薬という、変な取り合わせの吹き矢をありったけ打ち込んだ。
「グガアン……アン!」
「そうら!」
屈強な食人鬼たちは、もはや正気をなくした状態で、俺のされるがままになっていた。
場外に誘うように、刺突剣で突く。
鬼は、その都度驚いて尻を抑えて駆け出す。
俺は追いかけていって、「膝カックン」の要領で、膝の裏側に一刺しすると、鬼はバランスを崩して場外に落ちる。
気づいたら、残る3体も場外に落としていた。
「見たかよアイツ、悶絶した鬼の柔らかい場所を狙って」
「あの助平、お構いなしだなオイ」
「おれぁ40年も闘技場に通い詰めてるけどよォ、あんなイカレた野郎は初めてだぜ」
残るは魚面だけだ。
だが、その前に俺は場外で呆然としているリーザの近くへ行った。
左右を聖騎士たちに抱えられて、辛うじて立っている感じだ。
俺はまず、深く一礼する。
「大事な家宝を使わせてもらった件は謝る。仲間の盗賊が失礼なことをした。でも生命と仲間の人生および財産が関わる案件なので、悪いが拝借させてもらった。と、言うわけで、これは返すよ。良い剣だな」
「ふざけるな貴様ァ!」
リーザは激昂した。
俺が差し出した刺突剣をひったくるように取り戻すと、間髪をおかずに連続突きを放つ。
しかし、場内外では高低差もあり、剣が俺に届くことはなかった。
「拭いて返せば良かったか。悪いことをした。でも剣に関しては素人なんで、下手に拭いたらかえって悪いかと思ったんだ」
「そういう問題ではない! 貴様のやったことは、貴様のやったことは!」
リーザは目を見開いて怒鳴り散らしている。
これ以上は話にならないだろう。
「そんなことより直行、エルマお嬢ちゃんが!」
少し離れたところにいた知里が大声で叫ぶ。
振り向いて闘技場の中央付近を見ると、エルマが今にも崩れ落ちそうだった。
狂戦士化しているはずなのに、フラフラしながら膝をついている。
一方の魚面も、首を抑えながら肩を揺らせていた。
かなりの長期間、頭を揺す振られ続けていたのだ。
軽い脳震盪を起こしている可能性がある。
「何があった?」
「お嬢ちゃんの隙を突いて、魚ちゃんが睡眠魔法を放った」
知里と風の精霊を通じて話しながら、俺は光学迷彩の白衣を探している。
が、そう簡単に見つからないのは言うまでもない。
俺は光学迷彩による不意打ちをあきらめた。
魚面は、まだこちらの接近に気づいていないようだが、時間の問題だろう。
「眠らせて、念動力でお嬢ちゃんを場外に落とすつもり。さっきみたく石を投げて詠唱を阻止して!」
俺はその辺に落ちている小石を拾った。
投石による詠唱の阻止……。
しかし、俺は躊躇ってしまった。
さっき詠唱を阻害しようとした時は咄嗟のことでもあり、結果的にエルマにぶつけてしまったけれど。
改めて考えると、女性に何度も石を投げつけるというのは、すごく嫌な気分だ。
しかも、現在は脳震盪を起こしているかも知れない状態だ。
石を投げることは、躊躇われる。
こんな時に、突然降って湧いたように罪の意識が出てくるとは……。
リーザに対してあまり罪悪感がなかったのは、何度も殺されかけたからだ。
明確に殺意を持って首筋に刺突剣の一撃を繰り出された者には、さすがになりふり構ってはいられない。
熱湯でやけどを浴びせる戦術は、エルマの思い付きだったけど。
一方、魚面は違う。
狂暴化したエルマに首を揺すられ続けたものの、反撃は睡眠と場外狙いの念動力。
生命までは獲りに来ていない。
俺に対してもそうだ。
お互い気遣いしつつの戦闘は、意外と精神を疲れさせる。
「直行、魚ちゃんに気づかれてるよ。でもあの娘、気づいてないフリをしている。射程距離の5m以内に入ったら即、お嬢ちゃんへの念動力を解除して、アンタにも睡眠魔法が来るよ」
知里からの耳打ちが風の精霊によって運ばれてくる。
俺は大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
「詠唱を阻害する以外に、念動力と睡眠魔法を回避する方法は?」
「ない。後は本人の魔法抵抗力で抵抗するしかないけど、アンタと魚ちゃんではレベル差がありすぎる。まず無理ね。ちなみに睡眠魔法の詠唱時間は5~8秒」
やるしかないのか……。
少しずつ距離を詰めながら、俺は右手に持った石を握りしめる。
「直行。アンタが元・仲間を傷つけたくないのは分かったけど、この世界じゃ綺麗ごとなんて通用しないんだ。自分なりの筋を通したかったら、躊躇っちゃダメだよ」
知里の言うとおりだ。
敵に対しては、俺はどこまでも恥知らずで卑怯だったはずだ。
俺は大きく振りかぶって、石を投げつける。
迷いは、捨てたつもりだった。
「!」
しかし、俺の渾身のストレートは魚面を大きく逸れ、場外へと流れていった。
「だから言ったろう。九重はボール1個分、相手の懐に入れない。いくら制球が良くったって、それじゃ勝てねぇンだよ」
不意に、リトルシニア時代の監督の声が思い出された。
目の前が真っ暗になって、意識が遠のいていく。




