148話・おにさんこちら
観客の視線は、エルマに向いていた。
突如、姿を消して再び現れたかと思うと、狂暴化だ。
群衆たちは、その豹変ぶりに驚き、ざわついている。
「あのお嬢ちゃん、どうしちまったってんだい?」
「元からああじゃなかったかい?」
「さすがに、あそこまでじゃあるめえ」
「またあの助平が一枚噛んでるンじゃあるめえか?」
「違ぇねえ」
俺は4体の食人鬼の攻撃をかわしながら、隙をついて催涙剤を打つ。
敵の命中率さえ下げれば、スキル結晶・回避+3の効果も相まって、ほぼ無力化できる。
問題はこちらの攻撃手段だ。
「スライシャー、場外に落としてしまった俺の幅広剣を拾ってくれ」
「へい!」
俺のミッションは単純だ。
狂暴化エルマが、魚面を抑えている間に、食人鬼を場外に落とす。
攻撃をただ避けているだけではダメだ。
闘技場の端で戦い、回避と同時に相手を場外に落とす必要がある。
「キシャー!」
「キャアアアア!」
一方、エルマは魚面の顔面に取りつき、仮面越しに頭を揺すり続けている。
まるでヘヴィメタルのコンサートのヘッドバンギングみたいに、激しく頭が揺れていた。
あの状態では、さすがの魚面も魔法を唱えられる状態ではない。
ただし、エルマの体力と狂戦士化薬の効果がいつまで続くかは分からない。
「へい! 大将の剣、どっちがいいですかい?」
場外から盗賊スライシャーが右手に、刃引きした幅広剣を掲げている。
左手には装飾の美しい刺突剣を掲げている。
「貴様ァ! それはリーザ様の業物・レッド・ライトニングだ!」
「おっと、いけねぇ」
聖騎士に掴みかけられそうになったスライシャー。
両手に持っていた剣を2本とも俺の足元に投げ入れる。
「助かった。仕事が速いなスライシャー!」
「へっ、お安い御用でさァ」
他人の剣1本、余分だったけどな。
俺は幅広剣を拾い、右手に持つ。
吹き矢は左手の凧型盾の裏に挟み込んでおく。
「グルルルル……!」
襲ってくる食人鬼は4体とも催涙剤が効いている。
涙と鼻水で、鬼の顔をくしゃくしゃにしながら、当てずっぽうの攻撃を仕掛けてくる。
俺は、場外スレスレまで魔物たちを誘う。
「〝鬼さんこちら〟ってな」
回避と同時に背後から膝の裏側を斬りつける。
図らずも、ロンレア伯が俺にやった事だ。
剣で生き物に斬りつけたのは、生まれて初めての経験だった。
もっとも、刃引きをした剣であるために、斬るよりも殴った印象が強いのだが。
それでも、生きた命に刃物を振るう生々しい感触に嫌悪感が走る。
加えて、人を傷つける訓練を積んでいないために、俺の斬撃はとても軽いものになった。
ただし、伸ばし切っていた膝の裏側にヒットしたことが功を奏した。
いわゆる「膝カックン」状態となり、食人鬼は、大きく体勢を崩した。
「まず1体」
俺はダメ押しに食人鬼の股間に後ろから幅広剣を突き立てる。
「グギャッ!」
突然の刺激に驚いた鬼は、体勢を立て直すこともできずに場外に落ちていった。
地響きのような音と共に、食人鬼を1体倒すことができた。
「お見事、直行。こいつが場外で暴れないように、念のため呪縛魔法をかけておくよ」
知里の声が、風の精霊によって運ばれてくる。
俺は知里たちがいる方に向かって、ガッツポーズと感謝の敬礼をして見せた。
「グガァァァァ!」
同時に、別の食人鬼が、両腕で掴みかかってくる。
さすがにこちらに隙があると、すかさず攻撃してくる戦闘巧者だ。
だが、催涙効果で遠近感がつかめないのか、間延びしたタックルだった。
俺はその横をすり抜けるように回避して、背中を斬りつける。
「でも俺もダメだ。やっぱ浅い」
現代日本から来た素人が、そうやすやすと剣を使えるはずもなかった。
もっとも、向き不向きの問題かもしれないが。
俺はダッシュで再び距離を取って、幅広剣と吹き矢を持ち替えた。
実のところ、催涙剤は弾切れだ。
残るは効き目の薄い睡眠剤と、媚薬。
エルマは媚薬しか使ってなかったので、ホルスターを交換したいところだが。
「仕方がないか……」
俺はメイン武器を吹き矢にして、再び食人鬼たちに突っ込んでいった。
奴らの荒っぽい攻撃を回避し、カウンター気味にピンクの矢を打ち込む。
ヒット&アウェイの要領で、立て続けに食らわせた。
「グ?」
「ガガ?」
「オゴ?」
催涙剤に加えて、ありったけの媚薬も打ち込んでみた。
持ち合わせの毒薬は、すべて使った。
明らかに食人鬼の様子がおかしくなるまでに、ほんの30秒もかからなかった。
「オオオオオォ!」
「グオオオオォ!」
鬼たちは、自身に起きたステータス異常に抵抗するように、割れんばかりの咆哮を上げた。
眠気と催涙と性欲の爆発という、かつて経験したことがないであろう状態だ。
それが同時に押し寄せる。
「悪いがリーザ、君のライトニング何とかって刺突剣を借りるぞ」
俺は刺突剣を拾って、悶絶している食人鬼たちの尻を突いて回った。
その剣は持ちやすく、手に吸い付くように軽い。
心なしか、こちらの経験不足をフォローしてくれるような力も感じる。
幅広剣で斬りつけた時の嫌悪感も、心なしか緩和されているような。
それはひょっとしたら、持ち主の戦いに対する覚悟が沁みついているためかも知れない。
「貴様ァ! 家宝の剣を汚すなァ!」
リーザの絶叫が聞こえたけれど、俺はお構いなしに魔物に刺激を与え続ける。