146話・新・薬・調・合!
「ここで過去を清算できレば、ワタシは日の光の下で、本当のワタシを探すことがデキル」
まるで日本の90年代に流行った「自分探し系」のような意味に聞こえるが、魚面の願いはまったくの言葉通りだ。
謎の女「ヒルコ」に、記憶と顔を奪われた、のっぺらぼうの転生者。
元の世界のことも、転生して生まれてからの記憶も失ってしまった。
彼女は超1級の召喚術だけを頼りに、裏社会で生きてきた。
俺との出会いによって、殺し屋稼業は断たれたが、新たな道も生まれようとしている。
錬金術師アンナとのツテもできたので、顔を復元してもらえる可能性も出てきた。
決闘裁判で独り勝ちすれば、まっさらな状態で社会復帰できる……。
彼女はそう、思い込んでしまった。
「いや、ちょっと待ってくれ。別にそこまで魚面が過去を清算する必要はないんじゃないか。変身魔法でいくらでも顔を変えられるんだし、俺があんたを罪に問わなければ、同じことだ」
「直行サンには悪いケド、ワタシはこのチャンスに賭けてみル」
魚面の頑なな決意は、説得では揺るぎそうもない。
冷静に考えれば、そこまで独り勝ちにこだわる必要もないのだが。
そこには、暗殺稼業で生きてきた、彼女なりの罪悪感やら贖罪意識があるのかもしれない。
「まいったな……」
とはいえ、こちらも簡単に引き下がるわけにはいかない。
人を裏切った者に、権利をゆだねるなんて言語道断だろう。
「選択肢は他にない。戦うしかないか」
と、なると決闘裁判を続行して、俺たちが勝つ必要がある。
МP切れしたエルマと俺で、食人鬼4体と戦わなくてはならない。
聖騎士2人でようやく1体と互角な相手、しかも召喚士魚面も相手にするわけだ。
戦力的に、俺たちに勝ち目がないと見て、独り勝ちを思いついたのだろう。
「まいった、まいった」
俺は、降参ともただの愚痴とも取れるようなあいまいな調子で呟いた。
「降参カ? 今ノ言葉は降参て言ったのダろ?」
「いやぁ、どうしようかと思ってさ……」
俺は吹き矢をもてあそびながら、独り言をつぶやく。
油断させて不意打ちを浴びせるために。
魚面は再度確認してくる。
「直行サンたちに怪我ヲさせたくない。ダカラちゃんと降参してホシイ。お願いダ」
「……」
それには答えず、まずは手近な食人鬼の首筋をめがけて、黄色い吹き矢を放つ。
不意打ちを仕掛けた。
「グゴギッ? ブシュン!」
「はっ!」
俺は次の矢を装填しながら、続く食人鬼にも黄色い弾丸=催涙剤を浴びせる。
顔の付近で破裂したそれは、黄色い霧を発生させて魔物の視力を奪った。
第1弾を受けた食人鬼は、目をこすりながらくしゃみを繰り返している。
「しまっタ!」
「悪いが交渉決裂だ。俺たちを見くびるんじゃないぞ」
魚面が戦闘命令を出すよりも早く、食人鬼に不意打ちを食らわせた。
俺は続いて黄色い弾丸を装填しながら、3体目の魔物を狙う。
しかし、戦闘態勢を取り始めた敵は、吹き矢=黄色い弾丸を手で弾き飛ばした。
鬼の手元で炸裂する催涙剤。
これでは意味がない。
俺は回避体制を取りながら、次の装填の準備をする。
「グガアアアア!」
4体目の食人鬼が、タックルのような態勢で襲ってくる。
俺は、回避+3のスキル結晶に導かれるまま、スライディングで魔物の足の間を抜ける。
そして振り向きざまに顔面に吹き矢を撃ち込む。
しかし角度が浅く、催涙剤は股間あたりで爆発した。
「ヌゴゴァァァ!」
「グルゴゴガア!」
最初の食人鬼と2体目が、なりふり構わず襲い掛かってくる。
この2体には催涙剤が効いているので、顔中が涙と鼻水でグシャグシャだ。
俺はわざと3体目の食人鬼に接近して、回避する。
目論見は成功し、催涙剤の効いた2体は3体目の奴に殴りかかった。
この隙に、俺は3体目に吹き矢を吹き付ける。
今度は紫の矢=睡眠剤だ。
しかし、大柄な食人鬼を一発で眠らせるほどの効果はなかったようで、一瞬動きが止まっただけだった。
俺は、その間に距離を取りながら催涙剤の弾を吹き矢に装填する。
場外ギリギリのところに誘って、打つつもりだった。
相手が力任せの攻撃をしてくるなら、それでいい。
回避スキルを活かしつつ、土俵際で場外に落とす。
幸いというか、紅の姫騎士リーザと相対した後では、食人鬼の攻撃は粗い。
複数を相手にせず、1対1を心がければ、まず当たることはない。
「直行、気をつけて! 魚面が緊縛魔法を仕掛けてくる」
レモリーが操る風の精霊が、知里の声を届けた。
「魔法回避って、どうやるんだ?」
「詠唱を阻害する!」
食人鬼の攻撃をかわしながら、俺はその辺に落ちている石を拾った。
魚面は人差し指を立てて詠唱を始めている。
俺は大きく振りかぶって、投手の投球フォームを取った。
まともに投球動作を行ったのは、中学2年の夏以来だろうか。
リトルシニア硬式野球を辞めて、もう20年も経つのに、意外と投げられそうなことに驚いた。
小学校1年から野球をやっていた。
子供の頃にやっていたことは、意外と忘れないものだ。
魚面めがけて、拾った石を投げつける。
「ギャペッ!」
「ストラーイクッ……ってアレ?」
俺が投げた石は、〝魚面〟には届かず、途中の空間に吸い込まれた。
そして聞こえたエルマの声。
「なーおーゆーきーさーん!」
「なっ、お前は変なところにいるんじゃないよ。見えないんだから」
「何がストライクですか! あたくしの新薬調合を邪魔しないでいただけます?」
とんだデッドボールだった。
ついでに、痛恨のミスでもあった。
魚面の緊縛魔法は発動し、俺の体は金縛りのように動けなくなってしまった。