145話・現地調達と土壇場での交渉
完全勝利が、俺の手からこぼれようとしていた。
発端は攻撃役のレモリーが舞台から落とされたことだ。
一部始終を見ていた盗賊スライシャーから、俺は説明を受けている。
「へい。媚薬で欲情した女騎士が、レモリー姐さんに掴みかかってきたんでさ。姐さんは抵抗しやしたが、女騎士に押し倒されちまいましてね、そうこうするうちに2人とも落っこちたんでさあ」
「レモリーの精霊術なら、リーザから逃れるのも容易なはずだが。まさかMP切れか?」
「いいえ。仮面の女性に魔法封印を使われました」
リーザから逃れたレモリーが姿を現し、伏し目がちに呟いた。
俺は、闘技場の奥で腕を組んでいる仮面の召喚士魚面を見た。
まだ彼女に動きはないが、知里が懸念する通り、裏切るつもりか。
「いいえ。女騎士リーザも、ほとんど正気を失いながらも、私を道連れにしようと。申し訳ありません直行さま……私の失態でした」
レモリーは悔しそうに唇をかみしめていた。
媚薬を打たれてもなお、勝利への執念を見せた女騎士リーザを称えるべきか。
「魚面の裏切りは、想定外だった」
「いいえ。全て私の落ち度です。弁解の余地もございません!」
レモリーの悔恨がエスカレートしていき、泣きながら地面を叩いている。
そのわきでは薬によって正体をなくしたリーザが悶絶している。
「総員! リーザ様の回復を急げ!」
決闘裁判に参加しなかった聖騎士たちが、駆けつけてくる。
彼らは先に場外に落ちた4人の隊員たちの治療を中断し、リーザの元に集まってきた。
「はぁ……んんっ……」
「な、なんとおいたわしいお姿だ。早急に解毒だ。精神力の続く限り、やるんだ!」
「おお!」
屈強な聖騎士たちは、若き隊長のために、ありったけの魔力を尽くして解毒と回復に努めていた。
頬を染めて震えていたリーザが、みるみる平常の顔色に戻っていく。
それにともない、屈辱と怒りの表情が浮かんできた。
「九重 直行とやら! この屈辱は忘れぬ!」
リーザは憎しみのこもった瞳で、俺に吐き捨てた。
相当に恨みを買ってしまったが、決闘裁判は継続中だ。
気持ちを切り替えて、いかなければ。
「……厳しい局面だけど、俺とエルマで何とかしよう」
もっとも、当のエルマは錬金術師アンナと何やら話し込んでいる最中だった。
複写スキルを用いて光学迷彩された白衣の裏ポケットから何かを取り出しては、見せている。
錬金術のアイテムが無造作に入っていたようだ。
「ひょっとして、これは触媒に使えるモノではありませんこと?」
エルマが取り出したのは、白金っぽい輝きを放つ、拳大の大きさの矢じり。
「それは『変質の触媒』だ。消費アイテムの効果が変質するッ」
「では、このアイテムで、媚薬と催涙剤と睡眠剤の効果を変質させたら、回復アイテムは作れますか?」
試験管に入った3種類の液体を見せるエルマ。
「そんなこと、素人が狙ってできるわけがないッ! 10年早いッ。いいかよく聞けッ……」
……。
アンナは専門的な用語を交えて説明している。
魔法用語と化学用語が乱れ飛び、何を言ってるのか俺にはまるで理解できなかった。
エルマも途中から聞き流しているようだ。
「マナポーション作れませんかね♪」
「何だとォ?」
「試験管なら、持ってきてますわ♪ それとあたくし『複製』スキルの所持者でもあります」
「研究所もなしに、触媒と『複製』スキルと試験管で錬金術の真似事か? 我々の道を甘く見るなッ!」
アンナの怒りを涼しげな表情で聞き流したエルマは、こちらを見て不敵に笑った。
そして俺に、吹き矢の矢筒と矢を手渡した。
「直行さん、少し時間を稼いでください。5分で良いです♪」
そう言い残すと、エルマは光学迷彩の白衣を頭からかぶった。
視界からエルマが消える。
彼女の擬態は映像投影型だ。
カメレオンのように周囲の景色を白衣に『複写』することで姿を見えにくくする。
なので、あくまでも視覚的にしか「消える」ことはできない。
薬品の臭いや、実験の際の音は、どうすることもできない。
もちろん戦闘に参加する余裕もないだろう。
闘技場に俺は1人残される形になった。
向こうでは4体の食人鬼が待機して、魚面の命令を待っている。
「おい、どうしちまった? 奴さん方、動きやしねぇ」
「残った連中で、揉めてるんだろう。よくあるこった」
「ドンパチが始まらねえうちに、便所にでも行ってこようぜ」
観客たちは相変わらず楽しそうだ。
俺は魚面を見た。
知里の話では、まだ迷っていると言っていたな。
まずは彼女の説得を試みよう。
だが、その前に俺は闘技場に落ちている武器を拾い集め、場外に落とした。
聖騎士たちが使っていた鎚鉾と、リーザの刺突剣、そして鎧。
最後に戦斧を拾い、すべて場外に捨てる。
魚面が持ち込み、食人鬼が使っていたものだ。
闘技場に備え付けの、刃を潰した武器だ。
とてもじゃないが俺の筋力では、こんなものは振り回せない。
「魚面に確認しておきたいんだが、これはもう必要ないな?」
「……」
彼女は一瞬、制止しかけた手を止める。
相変わらず何も答えようとしないのは、後ろめたい思いを隠しているからか。
俺は、急いで戦斧を2本とも場外に落とした。
万が一戦闘になったときに、こんなものを使われたら命にかかわる。
「そっちに行って話をしたい。知里さん経由で魚面の心変わりは知っている。勝者の権利について、改めて交渉しよう」
俺が歩み始めたその時、魚面は手を上げて食人鬼に命令を下した。
4体の魔物は、俺を取り囲むように、遠巻きに近づいてくる。
武器は捨てたものの、脅威なのは変わらない。
「これは……脅しのつもりか?」
「悪く思わないでくだサイね直行サン」
「どうして、俺たちが勝てばお前だって無罪だろ」
「ゴメンなさイ。ワタシを勝たせてくだサイ。〝魚面はワタシではない事〟にすれば、晴れて本当ノ顔を取り戻すことに専念デキル」
魚面が単独で無罪を勝ち取れば、その主張は通るだろう。
そして彼女は晴れて、裏社会から足を洗える。
暗殺で稼いだ貯金はどうせ、『銀時計』にでも預けてあるんだろう。
金を回収し、後は顔を変えて居場所を変えたら逃げ切れるとでも考えたのか。
「だけど、可愛い虎は俺たちが預かっているんだぞ。名前はトレバーって言ったっけ。そいつがどうなってもいいのか?」
念のために虎質を取っておいて良かったが、今の魚面には通じなかった。
「直行サンは決して動物の命を粗末にしたりしナイ。トレバーに会えないのは残念だけど、大切に育ててやってホシイ」
「こんな時ばっかり俺を信用して、無責任だぞ! 飼い主だったら責任持てよ」
説得交渉なのに、俺はつい声を荒げてしまった。
しかし魚面は、食人鬼をけしかけることはしなかった。
「……今、このチャンスをモノにできれば、過去を清算できる。ワタシが勝っても、直行サンたちには悪いようにしナイ。お願いしマス。この裁判から降りてくだサイ」
人を脅しておいて何とも奇妙な光景だが、魚面は土下座をする勢いで、俺に頼み込んできたのだ。