138話・ハイスコアボーイ
俺は秘薬を打たれて妙な気分になっていたが、解毒薬が効いてきたようだ。
ピンク色の霧に包まれていたような脳内が、一気に晴れ渡った感じだ。
「レモリー、具合はどうだ?」
「……いいえ、直行さま。2人きりの時は『おい』と呼んでください」
「はあ?」
しかし、レモリーにはまだ秘薬が効いている。
俺の足にすがりつくようにもたれかかり、とろけるような上目遣いでこちらを見ていた。
2人きりどころか、大観衆の前だが……。
「何がどうなってる? あの兄ちゃん、何やったんだい?」
観客の中には、当然何が起こったか分からない者が多そうだ。
「妙な薬で、あの別嬪の精霊使いを洗脳したようだぜ」
「ほんの数分でかい? 若いのに大した色事師だなオイ」
「薬を打ったのは、あっちのおチビちゃんだったぞ?」
「そこんとこが、よく分かんねえんだけどよ」
「でもよう、兄ちゃんが、ブチューって接吻したら、あの精霊使い、コロッとなびきやがった」
「決闘裁判で接吻で女を落とすなんて、おれぁ初めて見たぜ、なぁオイ」
「世の中には、あんな化け物みてえな助平がいるもんだな。気を付けねえと、女房もこまされちまうぜ」
「いいぞー、兄ちゃん! もっとやれー」
「いよッ! この女こまし!」
幸か不幸か、罵声一色だった観客席からの声に、少し変化が見られたようだ。
レモリーは観客の目線に、恥ずかしそうにモジモジしている。
俺は、睡眠剤付きの矢と、解毒薬を持ってレモリーに差し出した。
「おい。まだ俺を殺すとかいう務めを、お前は果たすつもりか?」
「いいえ。申し訳ありませんでした。いかようにも罰を受けます。獣のように躾けてください」
(エルマが)秘薬を注入して、ロンレア伯の「再教育」が吹き飛ぶような刺激を与えた。
現在もレモリーは思考と判断を放棄したままだが、洗脳はどうだろう。
解けないなら解けないままで、俺の命令で上書きできたらそれはそれで良いのかどうかだが……。
「今後はお前の主人は俺だ。いいか?」
「はい。今後は直行さまに絶対服従いたします」
彼女はひざまずいて、両手の平を俺に差し出した。
レモリーにとっての人間関係とは、服従が基本なのだろう。
他人と対等の関係を築くというのは、理解できないことなのかもしれなかった。
俺はエルマの方を見た。
レモリーが俺に仕えるということは、ロンレア伯爵家から、レモリーを引き抜いてしまうということだ。
彼女は少し離れた位置で吹き筒に新しい矢を装填している。
紫色の矢は、睡眠剤だ。
「あたくしに気遣いなど無用ですわ。中年同士の色恋や奴隷ごっこに口を差しはさむほど野暮ではありませんことよ♪」
「ありがとうエルマ。恩に着る」
「まずは裁判で勝利して、あたくしにかけられた嫌疑をキレイさっぱり拭い去ることが先決ですから。細かい話はその後でゆっくりしましょうね♪」
「了解だ」
俺はエルマに深く礼をした。
そして今度はレモリーの手を取り、解毒剤を差し出す。
「何がどうあれ、俺たちの目的は決闘裁判に勝ち残ること。それにはレモリーの力が不可欠だ。一緒に戦ってくれ。聖騎士たちを倒して、エルマの無罪を勝ち取るんだ」
「はい。直行さまの仰せのままに」
しかし……。
ふと、俺の頭に不安がよぎった。
理性が戻った途端、また洗脳の効果が表れて、再び襲われるかもしれない。
ロンレア伯による、呪いのような俺への殺害命令が燻ったままだ。
俺はリングサイドの知里を見る。
彼女に聞けば特殊スキル『他心通』で、レモリーの現在の心の様子が分かるはずだ。
……。
たが、ここは俺自身が判断すべきだ。
ここで知里に頼ったら、ご主人様失格だ。
レモリーを信じる。
彼女がまだ、ロンレア伯の命令を実行するならそれでも良い。
俺は、覚悟する。
遠くに見える知里が笑ったような気がした。
レモリーの手を取り、解毒薬を渡す。
彼女は頬を赤らめながら、俺の手にキスをし、静かにそれを飲み干した。
解毒薬は即効性だ。
みるみる火照っていた顔色は戻り、いつものクール&ビューティーな表情に戻った。
彼女は再び、ひざまずいて礼をする。
「……はい、直行さま。ご心配をおかけしました。これより私は貴方様の従者としてお仕えいたします。何なりとお申し付けください」
「分かった。レモリー、一緒に戦ってくれ」
「はい! 直行さまの仰せのままに!」
彼女は晴れやかな顔で礼をしたけれど、俺は複雑な気分だった。
現代社会で育った俺には、どうしても「服従」や「隷属」という人間関係が健全なものとは思えない。
しかし彼女にとっては、それ以外の価値観を理解できないのだ。
この戦いに勝つためにも、当面は「ご主人様」を演じるしかない。
「レモリーはもう大丈夫ですわね♪ 直行さんはお人好しですから、万が一に備えた憎まれ役はあたくしが買って出ておきませんとね♪」
背後から吹き矢を構えてレモリーを狙っていたエルマが、吹き矢を下ろした。
もしレモリーが敵対行動をとったら、吹き矢で眠らせるつもりだったのだろう。
「レモリー、エルマと共に魚面の援護に向かうぞ。MPは大丈夫か?」
「はい! 威力を抑えていましたので、まだ半分程度です」
俺とエルマとレモリーは、互いに手を触れ合わせ信頼を確かめ合った。
残された敵である聖騎士リーザとその一行は、『魚面』が召喚した魔物食人鬼に対して、やや押し気味で戦局を有利に進めている。
これで、ようやくこちら側の戦力の足並みがそろった。




