120話・声だけの邂逅と因縁の再会
宿に帰った俺たちは、決闘裁判へ参加する算段を話し合った。
ロンレア伯をどう引っ張り込むかを考えながら……。
一方、錬金術師アンナ・ハイムには下痢止め剤の製造を依頼した。
盗賊スライシャーが集めてきた材料を使って、アンナは宿屋の一角に設置した簡易的な作業場で錬成してくれた。
「できたぞッ! 1本8000ゼニル。現金だッ」
「えー、金取るのかよ。材料費は俺が払ったじゃん」
「高すぎ」
「製作費だッ!」
「……アンナちょっとぼり過ぎなんじゃない?」
「出張費込みの価格だッ。等価交換だッ!」
まあ、治るならいいや。
仕方なしに俺と知里は金を払い、試験管に入ったままの作りたての下痢止め剤を受け取る。
ショッキングピンクの色合いが毒々しく、すえた臭いはまるで牛乳をしみ込ませた雑巾のようだった。
「アンナの作る薬って、いつも酸っぱい臭いがする。くさい……」
「酸っぱいのが効くんだッ! 気になるなら鼻をつまんで一気に飲めばいいッ! 行けッ! 飲めッ!」
……。
俺たちは鼻をつまんで下痢止めを一気に飲み干した。
効いたのかどうかはまだ分からないが、口の中に酸っぱい臭いが残って気持ち悪い。
「うえええ」
「口の中に臭いのが残ってる……うう、気持ち悪い」
良薬は口に苦しと言う。
アンナのそれは酸っぱくて臭いが。
ところがその後2分もせずに、俺たちの体調は回復した。
スッキリした気分で、元気ハツラツだ。
「さて、ロンレア伯をおびき出す策だけど……」
俺はザックリと段取りを説明する。
みな特に異論はなかった。
今日のうちに聖騎士ジュントスに話を通したら、すぐにでもロンレア伯に使いを出そう。
◇ ◆ ◇
翌朝。
ロンレア伯を呼び出す役は、聖騎士ジュントスに担ってもらった。
「エルマの待遇について話し合いたい」と聖騎士が持ち掛ければ、伯爵は来ざるを得ない。
実際、ひとつも嘘はついていない。
──ロンレア伯にとって、もっとも意外な人物=魚面と俺との再会が待っているとは夢にも思わないだろう。
落ち合う場所として、聖騎士の詰め所内にある、ジュントスの執務室を借りることにした。
聖騎士として特に実績があるわけでもない彼だが、一応、公爵家の出ということで、特別待遇のようだ。
途中、因縁のある飛竜隊とバッタリ会わないように気をつけながら、俺たちは執務室に入った。
ここでロンレア伯を待ち受けるのは、俺と魚面と知里。
もちろん魚面には、暗殺稼業の魚仮面を被ってもらっている。
今回アンナは宿で留守番だ。
それともう一つ。
彼は貴族といえども、平気で俺に斬りつけてくるような人だから、入り口で剣を預からせてもらう。
外から見えないように執務室にはカーテンを引いて、窓の外にはスライシャーを見張りに立たせる。
待ち合わせの時刻になったが、生憎と、ここからではロンレア伯の姿が見えない。
だが、廊下に響く複数の足音から、誰かがこちらに近づいてくるのが分かった。
「奥の部屋になります。従者の方は、ここでお待ちください」
「はい。承知しました」
──!!──
懐かしい声に、俺の心は激しく揺さぶられた。
少し事務的で冷たい印象があるけど、透明感のあるキレイな声。
従者レモリー。
あの時、足の健を切られた俺を身を挺して助けてくれた。
ロンレア伯の目を盗んで、俺を逃がしてくれもした。
別れ際の言葉は、今も心に焼き付いている。
思い出さないようにしていたけれど、彼女の存在はずっと、心に引っかかっていた。
今もロンレア伯に仕えているということは、俺を逃がした責を受けなかったのか……?
罰やお咎めを免れたのか。
とにかく無事で良かった。
姿は見えないのが、もどかしい。
「込み入った用件だ。時間がかかるかもしれない。その間に買い出しを頼む」
「はい。かしこまりました」
遠ざかっていくひとつの足音。
俺は窓から出ていって、レモリーを追いたい気持ちに駆り立てられた。
彼女が本当に無事なのか、確認したい。
自身の危険を顧みず、逃がしてくれた礼を言いたい。
だが、今はこみ上げる感情を抑えながら、俺は対峙しなければならない。
ロンレア伯本人に!
扉が開いて、初老の男が部屋に入ってくる。
「……!!」
入ってくるなり、俺と目が合った。
「……その節はお世話になりました」
俺がそう言った時の、ロンレア伯の形相──通常から驚き、そして怒りへの変化はもの凄いものがあった。
まるでリアルな顔芸を目の当たりにしているようだ。
「……なぜ……ここにいるのだ?」
「ロンレア伯に提案があって参りました」
自分でもおかしいくらい、俺の心は平静だった。
ロンレア伯は、驚きと怒りの入り混じった表情で俺を見ていた。
握りしめた拳は、大げさなくらい震えている。
「異界人とは話したくないでしょうから、何も言わなくていいです」
「『なぜここにいる? どうやって入って来れた?』みたいなことを思ってるね」
知里が特殊スキル『他心通』で思考を読み取り、ロンレア伯の心の内を俺に通訳した。
「……貴様ぁ! ここが神聖な場所なのを分かっているのかぁ!」
声を荒げて俺の胸ぐらを掴もうとするロンレア伯の腕を、押さえつける。
スキル結晶・回避+3の応用だ。
「衛兵! 聖騎士殿、この者は異界人だ! 衛兵を呼んで投獄を! 早く! 早くしろ! 異物だ!」
ロンレア伯はその手を振りほどき、野獣のような形相で、大声でわめき散らした。
しかし、すぐさま金縛りにあったように動けなくなり、真っ赤な顔で震えた。
知里の呪縛魔法だ。
「こちらの方々は、錬金術師様の助手として正式に入庁なさっています。どうかお静かにお願いします」
扉の向こうから、お小姓さんの声が聞こえた。
これはロンレア伯に、と言うよりも周囲にいる騎士や使用人に対する釈明の意味もあるのだろう。
ともかく、騒ぎになる前に収まった。
「知里さん。呪縛魔法もう解いていいよ」
「でも直行、この人の異界人に対する憎悪はもの凄いけど……?」
俺は知里に右手を上げて制止するようなしぐさを見せた。
次いでロンレア伯を見る。
「あなたが何を思おうと、俺たちの目的はエルマの釈放で一致している。目的を同じくする対等な立場として話したいんですけど」
「…………!!」
「『何が対等だ異界人め』ですって」
「何を思うのかは自由ですが、エルマお嬢さまを助けたければ俺たちは協力するしかない。この椅子に掛けてください。時間がもったいない」
「……何様のつもりだ!」
「怒ってるけど、抵抗する気は失せたみたいね」
「それは良かった」
俺がOKサインを出すと、知里は呪縛魔法を解除する。
ロンレア伯は凄まじい形相で俺を睨みつけながら、執務室の椅子に腰かけた。