113話・奇跡も、魔法もある世界で
「知里サン?」
「大丈夫だ! 命に別状はないッ」
アンナ、魚面、スライシャーも駆け寄ってきて、知里の応急処置を始めた。
意識は失っているものの、脈拍と呼吸に異常はないそうだ。
「ふむ。そこの女性たち、大丈夫ですか? 医務室に運ぶのを手伝いますぞ」
親切な聖騎士が声をかけてきたが、目立つのは困る。
俺たちはていねいに断って、ひとまず知里を仰向けに寝かせた。
この面子に回復役はいない。
しかし不幸中の幸いというか、アンナは生体の扱い(人体実験)にも長けた錬金術師だ。
知里のリボンタイをほどき、人込みを避けて木陰へと運ぶ。
上半身をアンナが抱えて、俺は足を持った。
演説の最中に、人が倒れるなんて本来ならば目立つアクシデントだ。
しかし、聴衆のほとんどは俺たちに気を留めるでもなく、演説に聞き入っていた。
「……ですから、新たな隣人と共存する我々を、聖龍様も見守っておられることでしょう」
法王の演説は、続いている。
それどころではない俺たちの耳にも、届いている。
群衆の耳にも届いている……はずなのだが。
「異界人は断固排除すべし!」
「法王猊下には勇者〝自治区〟奪還のご聖断を!」
「うおおおお! 聖戦を要求する!」
彼らの中には声を荒げて主張を述べる過激分子もいた。
さすがに前列の貴族たちは取り乱した様子を見せてはいないが、広場は異様な雰囲気だ。
「……暴力的な対応を良しとする信徒の一部に対して、法王の名において告げます。なりません」
法王は静かに演説を続けている。
大多数の熱狂は鎮まった。
「うおおおお! 法王さまァァ!! 何故に、ですかぁァァ」
その間、暴徒化した信者が騎士団に取り押さえられて連行されている姿も見えた。
「……私たちとは異なる存在を、いたずらに敵とみなせば自壊を招きます」
「……」
ロンレア夫妻とは、まるで違う考え方の法王だった。
彼らは法王のどこに惹かれたのだろう。
俺は、信徒たちの熱狂ぶりと、法王の冷静さとの温度差に正直、戸惑っている。
「んん……?」
そうこうするうちに、知里が意識を取り戻した。
「知里さん、平気か? 大丈夫?」
「ゴメン。こんなに大勢の心を感知したのは初めてだったから、疲れちゃって……」
法王の演説と、熱狂する聴衆にどっと疲れた知里。
人々の欲望と身勝手な信仰心を洪水のように浴びて、心底参っているようだ。
彼女はゆっくり立ち上がると、まっすぐに法王のいる壇上を見つめた。
「奇跡も、魔法もあるこの世界での信仰はシャレにならないほど切実だった……」
まだ顔は青ざめている。
俺には想像することしかできないけれども、この熱狂は普通ではない。
そして、その熱に対する法王の落ち着きにも。
「あの法王はそんな、シャレにならない切実な信仰をまっすぐに受け止めている。あたしよりも年下なのに……」
知里は意識が混濁しているのか、最後の方はしどろもどろだった。
それでもどうにか、アンナと魚面の肩を借りながら、広場の出口へ向かっている。
俺とスライシャーは人混みをかき分ける役だ。
「む? さっきの聖騎士さん、まだ付いてきてやすぜ?」
オカッパ頭の聖騎士が、心配そうに女性陣の様子を伺っている。
いかにも良家の子弟、といった感じの色白ふっくら体形。
人の良さそうな笑顔をこちらに向けている。
「あの。もう大丈夫なので」
俺は聖騎士の元に行って謝意を伝えると、彼は表情を雲らせた。
「いえ、心配です。ここは人が多くて少し蒸してますからね。医務室にお連れしましょう」
「……」
さて、どうしたものか……。
俺はアンナたちの方を見る。
フラフラの知里を抱えているアンナと魚面は、何やらヒソヒソ話している。
「直行、せっかくのご厚意だ! 世話になろうじゃないかッ」
俺はおかっぱ頭の聖騎士を見てみる。
彼の視線は3人の女性たちに向けられていた。
なるほど、改めて見ると性欲に満ち溢れていそうな顔をしている。