110話・法王猊下のお成り
翌朝。
俺たちは思い思いの格好で宿を後にした。
「すごい人だなッ! うじゃうじゃいるぞ!」
法王庁の広場周辺はおびただしい人々でごった返している。
第67代法王ラー・スノール猊下の定例演説があるためだ。
「スキル結晶何万個分だろうッ!」
アンナは群衆を、まるで自身の実験動物か何かのように見立てて興奮していた。
白衣の下は法王庁には似つかわしくない、セクシーなドレスに身を包んでいる。
髪も整えられて薄化粧した彼女は、誰もが振り返るような色気のある美女に豹変していた。
「アンナ女史はまるで別人のようでさね」
「昨夜あたしと魚ちゃんで魔改造したのよ」
「改造っていうか、お風呂に入れて髪を整えタだけ……。でも知里サン魚ちゃんて呼び方」
変身魔法でゆるふわ黒髪の、身近な美人に化けた魚面は苦笑いだ。
渦巻模様のボディスーツは目立つので、白いローブを上に羽織った。
「この人混みの中から、話の分かる司祭を探さないと」
俺たちの目的は20歳のカリスマ法王の演説を聞くことではない。
エルマの安否を確認すること、そして秘密裏にロンレア伯に接近すること。
しかし、そのためには法王庁内部に味方をつくる必要があった。
「知里姐さん、生臭坊主ってのは、いやしませんかねえ?」
「うーん。司祭だけあって、どの人もガチで信仰心すごいね。みんなピリピリしている」
俺たちは誘惑に弱そうな司祭を探していた。
ハニー・トラップ(色仕掛け)で、協力してもらうためだ。
法王庁のど真ん中で、そんな罠に引っかかる奴がいるのか分からないけれど。
どんな厳粛な世界にもエロいヤツはいる。
知里のレアスキル『他心通』で、そういう司祭を見繕うのだ。
◇ ◆ ◇
法王の演説を待つ広場の空には、聖龍さまが舞っている。
快晴の、エメラルド色の空を覆いつくす巨大な姿。
広場周辺は大きな影の中にあった。
「野外なのに、まるで室内のようだなッ」
広場は人という人で埋め尽くされていた。
老若男女を問わず、信者たちでひしめき合っている。
いわゆる「三密」どころの話ではない。
数千人くらい収容できる広場に、1万人以上は詰め掛けているだろうか。
それにしては、静かだった。
誰も私語をする者はいない。
時折マントが風になびいた音や、金属鎧がこすれる音くらいしか聞こえない。
広場のそこかしこに香が焚かれている。
「何だっけ、このにおい」
「確かマグノリアか」
春の香マグノリア(モクレン)のような、優雅な香りが人々の体臭に混ざって、異世界情緒を醸し出している。
広場の外は資格を満たせず、入りきれなかった信者たちでひしめき合っていた。
「やっぱり警備は厳しいねえ」
要所では武装した神聖騎士団が警護に当たっていた。
オベリスクのような柱や建物の上には、神聖騎士団の飛竜部隊と思しき姿が見える。
「大将! あの紅い髪の女騎士、リーザですぜ!」
「やべーな。俺たち顔割れてるし」
紅い髪の隊長リーザも含め、一悶着あった連中だ。
気づかれてないといいけれど……。
◇ ◆ ◇
俺たちは錬金術師付きということで、正面の後列に通された。
「さっきの騎士団は知り合いかッ?」
「この場所に、あたしたちがいること自体があり得ないことだから、大丈夫だと思う」
「ソレにしても、錚々たる面子。新法王は王家の出身・王弟だったカ、新王都から宰相の代理や公爵家も参列してイル。ただの定例演説ナノに」
「どっちにしても、わたしには興味もない連中だッ」
最前列は教会関係者や貴族の参列者と思われる衣装の人たち。
ひょっとしたら、この中にロンレア夫妻もいるような気がするが、後ろ姿だけでは判別できない。
その正面には法王がお出ましになる台座がそびえている。
こちらの周囲には警備の騎士以外に人の姿は見られない。
印象的なのは天を衝くほどに高く伸びた純白の円柱だ。
左右等間隔で並んでいる。
その上空を、聖龍が低く飛んでいた。
「法王猊下の御成り!」
突然、金属製の打楽器の音が、そこかしこで鳴り響いた。
1万人以上いる人たちが一斉に歓声を上げた。
「キャーーーー! 法王猊下ーーーー!」
真っ先に黄色い声を上げたのは女たちだ。
「法王猊下! われらに聖龍さまのご加護を!」
「忌まわしき異界人に鉄槌を!」
「異世界から来たおかしな連中を、一人残らず追い払ってください」
「商売繁盛お願いします」
「ラー・スノール法王猊下! どうか我ら信徒をお導き下さい!」
「息子が騎士になれますように!」
群衆たちは口々に思いを絶叫している。
白い僧服の信徒たちは、聖龍さまを讃える祝詞を諳んじている。
若い女たちは、まるで推しのアイドルのように黄色い声を上げていたり。
異界人への憎悪を、絶叫と共に吐き出す者もいる。
それぞれが、思い思いの感情を、法王に託している。
「人々の欲が渦巻いている」
……。
知里は少し顔色が悪い。
それら人々の心をどれくらい感知しているのだろうか。
楽隊の太鼓の音が鳴り響き、音楽に合わせて、聖歌隊がこう謳い上げた。
「正龍教会・第67代法王――
ラー・スノール猊下より――
御法話を賜ります――」
周囲は一瞬だけ静まり返った。
この緊張感はある意味異常ともいえる。
静かなる熱狂、といってもいいかもしれない。
「お出ましになられたぞ!」
「おおお!」
「キャアアアーーーー」
それが一斉に解かれたのは、遠くに見える祭壇の中央に人影が現れた時だ。
白銀の法衣をまとった、細身の少年のようなシルエット。
薄紫がかった銀髪が、陽の光を受けて輝いていた。
「あれが……法王ね」
知里は目を見開いて、壇上の法王を見た。




