103話・どの面下げて来やがったッ!
俺たちは不承不承、アジトを後にしてアンナ・ハイム研究所を目指す。
なお〝魚面〟の魚の仮面は目立ちすぎるので、素肌仮面を利用して変装してもらった。
「へえ、いつもはこんな顔なんだ」
変装した魚面は、20代前半くらいの若い女性の顔になった。
街中でよく見かけるような、黒髪×ゆるふわヘアーの女子。
表情は、やや硬いけれども、とても暗殺者には見えない。
「〝魚面〟さんの本当の顔も、こんな感じなの?」
「直行、アンタ女子に顔のこと聞くの失礼だよ」
知里の気づかいに、彼女は小さく笑った。
「……奪われた顔と一緒に〝こんな顔だった〟という記憶も失ってしまったカラ、自分の顔は分からナイ。どうしても、思い出せナイ」
つまり魚面は、二重の記憶喪失者ということか。
転生前の記憶を思い出せない上に、今生の顔を記憶ごとそっくり奪われたという……。
「そっか。だから素肌仮面でも自分の顔は再現できないのか……」
知里は少し悲しそうに言った。
素肌仮面は変装用の魔法道具だ。
人の顔限定で変身魔法が何回も使えるという。
もっとも、消費MP0だとしても集中していないと効果は保てない。
ゆえに、極度の集中力を必要とする召喚魔法との併用はできないのだそうだ。
あくまでも市井に紛れるための変装用ということか。
魚面も苦労しているんだな。
「さてワタシの準備は完了したゾ?」
「……分かった。ちょっと物騒なことするけど、悪く思わないで」
知里は魔法銃を取り出し、タオルで包みながら魚面の肩へ押し当てる。
「同情はしたけど、気は抜かない。足の拘束は解くけど、変な真似をしたら右手を吹き飛ばすからね」
「本当に用心深イな。相手が悪かっタよ」
俺たちは何ともいえない足取りで、夜の街を行った。
◇ ◆ ◇
旧王都の郊外にあるアンナ・ハイム研究所。
闇夜に殴り書きの看板が浮かび上がる。
どうやら夜光塗料で書かれたもののようだ。
俺たちは鉄製のオウムのくちばしを叩き、アンナを呼んだ。
「来客! 来客! 来客! シバーシ待て」
合成音声のオウムに言われるがまま、俺たちは待つ。
5分くらい待たされただろうか、アンナの第一声は怒号だった。
「いま何時だと思ってる? 研究は最高潮の深夜タイムに何の用だ」
「忙しいところすまない。先日お世話になった九重 直行だ……」
鉄製のドアが壊れんばかりに開いた。
鼻をつく薬品の匂いと魚のような生臭さが漂ってくる。
現れたアンナは、三角フラスコの液体を俺にぶちまけた。
「お前たち、どの面下げて来やがったァ!!」
アンナは近所迷惑も顧みないような大声で、怒鳴った。
……。
そんなことよりも、俺にかけられた液体の方が問題だ。
「うわ臭っせえ! 何だよこれ」
何の薬品かは知らないが、俺の一張羅が台無しになるほどの刺激臭だった。
顔をしかめて距離を置く知里。
呆気に取られて立ち尽くす〝魚面〟に、アンナは興味を引かれたようだ。
「あ、そっちの人は初対面かな。どうも初めまして! 錬金術師のアンナ・ハイムだッ」
「……」
俺たちに罵声を浴びせていたのとは打って変わって、魚面には気さくに話しかけた。
その豹変ぶりに、俺と知里は顔を見合わせて、呆れ笑いを浮かべるよりほかなかった。
「こんにちは! アンナと呼んでくれッ! 貴女は何者か?」
「……」
「もう一度問う! あなたは何者だ? わたしたち初対面だよなッ?」
そんなやりとりが何回か続いた後、魚面は根負けした。
アンナと魚面は、何事もなかったかのように握手を交わした。
「……ワタシは名乗る名をなくしてしまった召喚士ダ」
「ホウ。召喚士とは興味深いッ。ただものではない魔力を感じたから興味を唆られたが」
「……その筋では〝魚面〟と言われてイル」
「すまない。世事に疎くてな。その筋と言われても分からないが、よく来た召喚士ッ。歓迎するよアッハッハッハーッ!」
アンナの態度は俺たちに対する当てつけなのかは分からないけれど……。
知里も俺もドン引きだ。
そんな俺たちの心中などお構いなしで、女錬金術師はまじまじと魚面を見つめる。
「表情がぎこちないと思ったら、素肌仮面で変装しているのかッ。訳アリだなァ?」
「……『ヒルコ』と名乗る傷だらけの女に、顔を奪われてしまったんだ」
俺たちを完全無視して、アンナは〝魚面〟と盛り上がっている。
魚面も心なしか、打ち解けたような印象でもある。
このままでは何のためにここに来たのか意味不明だ。
俺は意を決して、アンナの前に進み出た。
「アンナ・ハイム先生、俺にはあなたの助けが必要なんです。一緒に法王庁まで付き添って下さい!」