ある狛犬の憂鬱なる一日。
私の名前は小梅。神様からある娘の補佐を頼まれ早三年。
私の仕事はまず、寝起きの悪い主を起こす事から始まる。
「起きろって…っ言ってんでしょおぉぉぉっ!」
スパーンと回し蹴りが炸裂する。寝ている主の頭にクリーンヒットするも何故か起きない。
「むにゃ…今日の御飯は味噌カツで…」
「寝ぼけてんじゃないわよおぉぉっ!!立華!はーやーく起ーきーなーさーいーっ!!」
主の左頬をグイグイ引っ張りながら叫ぶ。
毎朝毎朝、この繰り返し。
「こ…うめ。昨日…寝るの遅かったし…もうちょっと寝かせて…」
主こと、立華が眠そうな声で私の名を呼ぶ。
確かに、昨日は夜遅くまで任務があり、帰ってきて報告やらなにやらで眠りについたのは深夜三時過ぎ頃だった。
現在、朝の七時。私は深い溜息を吐きながら、今日は仕方ないと諦めた。
鈴が鳴る音が聞こえる。神様からの呼び出しだ。
こんな朝早くの呼び出しは嫌な予感しかしない。再び深い眠りについた主を部屋に残し、神様の元へと向かう。おそらく新しい任務の話だろう。
私は正直気分が落ち込んでいた。任務の度に傷だらけになる立華。その一番傍にいる筈の私は彼女の傷を癒す事が出来ない。私に出来る事といえば神様からの指令を伝え、敵の情報を収集する事だけ。
「そんな事ない。小梅のおかげで助かってるよ。小梅は私の大事なパートナーだし!」
あれは、いつだっただろう。瀕死の状態になりながらそんな事を言っていた立華の言葉を思い出し、不覚にも泣きそうになった。短い前足で涙を拭って深呼吸する。少し心が落ち着いた。
「小梅です。神様、宜しいでしょうか?」
神様の部屋の扉の前に立ち。少し緊張しながら返答を待つ。
「うん。良いよ。入っておいで」
許しが出たので部屋の中へ入る。部屋の中には大きなモニターが有り。その前に神様が立っていた。今日は少年の姿をしていた。神様は毎日姿が変化する。大人だったり、動物だったり様々だ。
「ごめんね。朝早くに呼び出して。立華はまだ寝てるでしょ?」
「申し訳ありません。一応起こしたのですが、なかなか目が覚めなくて…」
「昨日の任務は少し難しかったからね。かなり疲れているだろうし、休ませてあげたいところなんだけど…これ見て?」
神様はモニターを指差した。モニターの指差した場所に赤い点がうつし出されていた。どんどん数が増殖している。
「敵…ですか?昨日の今日ですよ?!こんなに早く復活するなんて有り得ません!」
「そうなんだよねー。変なんだよねー?おかしいなー?」
変なところで能天気な神様に私は内心苛ついた。
「立華、起こしてきます。無理矢理叩き起こしてきます!」
「うん。悪いけど、急ぎで宜しくね」
私は急いで神様の部屋をあとにした。悪いとは微塵にも思っていないような顔をした神様の態度に腹が立っていた。
立華も私も神様の駒の一つでしかない。危ない橋を渡らされ続ける替えのきく使い捨ての駒。
この三年間、ほぼ毎日の任務の連続に立華も私も疲弊していた。
事の発端は三年前、地上に鬼と名乗る者達が現れた。鬼らは次々と人々を殺害していった。最初はただ無差別に狙っていたのかと思われたが違った。鬼達は狙いを定めて人を殺害していた。
殺害された人達の共通点は歴史に名が残る人物であること。
予想外な鬼の出現に事を重く見た神様は、鬼に対抗すべく、人間でも無く神でもない一人の少女を地上に遣わした。
それが立華。
三年前、立華に初めて出会った時の事を思い出す。
補佐となる私相手に緊張していた。こんな事で大丈夫かと不安に思った位に。実際、今より凄く弱かった。身体も中身も。
鬼達と戦い続け、立華は強くなっていった。ちょっとやそっとの傷で泣き言を言わなくなり、どんどん傷を負う事に無頓着になっていく立華に私は複雑な想いを抱いていた。
三年という月日の中で生まれた彼女への情なのだろうか、日を追う事に彼女の一挙一動が心配になる。
「……らしくないなあ。私」
立華の部屋の前まで戻ってきた私は独りごちた。
これでも鬼の補佐と呼ばれていた事もあった。
いや、鬼は良くないな。奴らと一緒にされたく無い。
さて、立華を早く起こさないと!
気合いを入れながら部屋の扉を開けた。
私は驚きで固まった。まだ眠っている筈の立華が起きてベッドに座っていたからだ。
「あれ?早かったね、小梅。もしかして新しい任務の話だった?」
「な…んで、起きてるの?あれからまだ三十分位しか経ってないわよ?」
「うん。なんかあの後、目が冴えちゃったみたいで…」
目の下にうっすらクマをつくりながら彼女は笑った。
きっと私が呼び出された事を知ったのだろう。眠いのを我慢して無理矢理起きたに違いない。
「……本当に勘だけは良いんだから。起きたのなら早く準備して!鬼達がまた現れたそうよ!」
「またぁ?昨日、いっぱい倒したじゃん!なんでまた湧いてんの?!」
「知らないわよ。とにかく準備よ、準備!早くしないと、朝御飯抜きで出発する事になるわよ?」
「う…っ、それだけは勘弁して」
お腹を押さえながら立華は素早く着替えを済ませた。出発時間ギリギリだったので朝御飯はまるで飲み物のように流し込み、食事を終えた。
「……食べた気がしない」
「早く任務が終われば、御飯たくさん食べられるでしょ」
「そんな事言って、早く終わったためしないじゃん!」
「もう、行くわよ?門が閉まるわよ!!」
ぶつぶつ文句を言う立華を地上への転移門へと誘導し、私と立華は終わりの見えないこの戦いに出発した。
「つ…っ疲れ…た…っ」
時間は夜の二十二時を過ぎた頃。朝の八時に出発した筈の私達は疲弊していた。
今日の任務はなんとか無事終了した。無事といっても無傷という訳では無い。
行きと同じく転移門の前に立つ立華は服の至る所が破れ、傷を負っている。
今回は敵の数こそ大量だったが、それ程強い奴はいなかったのが幸いだった。重傷は負わず軽傷で済んだ事に私は少しほっと安心していた。
「おかえり。よく頑張ったね」
帰還報告の為、立華と私は神様の元へと訪れた。
「ただいま戻りました。任務完了…したと思います」
「…何よそれ」
曖昧な報告に私は突っ込まずにはいられなかった。
立華は項垂れていた。
「だって…あんな数いたら取り逃がした奴がいるかもしれないじゃん!」
「大丈夫よ。ちゃんと倒した鬼の数、数えてたから!」
「…マジ?!小梅凄い!」
「褒めても何も出ないわよ?」
「うん。仲が良いのは良いことだね。そろそろ僕が話しても良いかな?」
うっかり神様をスルーして会話していた事に気付き私達は慌てた。
「…失礼しました。立華と小梅、両名共に無事帰還致しました。詳細はいつも通り、後程纏めて提出します。それで宜しいですか?」
「うん。無事に帰って来てくれて嬉しいよ。…けれど、君達だけに負荷をかけてしまって本当に申し訳ないと思っている」
あ、嫌な予感がすると私は悟った。
神様がこういう時は必ずと言っていいほど余計な事しか言わない。と私は経験から学んでいた。
そして立華はそういう事に関してすごく鈍い。
「そこでだ!小梅と隼竹の交代制にして君の補佐をするというのはどうだろうか?今更だけど、君と小梅だけに任務を負担させるのは大変だし、立華の代わりになる人物を探してはいるが少し時間がかかりそうなんだ。だからまずは補佐役だけでもと思って…」
あら、いつもの神様にしては珍しく良いこと言うじゃ無い。
隼竹は私と対になる狛犬。
彼はいつも神様の身の回りの補佐を担当している。彼と立華の世話を交代制にするという事は私が神様の世話をする事になるわけで……あ、よく考えたらそれはそれでちょっと嫌かも。
「嫌です。それ」
立華はハッキリそう言った。
「立華?何…言って?」
「私、嫌です!私……小梅じゃなきゃ嫌なんです!!」
まさかの立華の告白に私はフリーズした。顔が…頬が何故か熱い。立華は顔を真っ赤にしながら涙ぐんでいた。
突然の告白に神様も動揺していた。
「えぇ…と、そっか…解った。交代制は無しにしよう。うん」
良かれと思った提案をあっさり無に返すことになり、神様は少し落ち込んだ。
それ以上に立華がこんなに悲しむと思わなかったので私も動揺していた。
私達はなんとか事後報告を終え、部屋に帰ってきた。
「小梅はぁっ!私のパートナーなの!だからダメなの!」
「…あんた、酔ってる?」
「酔ってないよ!未成年だし!小梅じゃなきゃダメ!!」
私、ここまで立華に好かれるような事、何かしたっけ?
考えるも特に思い当たらない。…が別に悪い気はしない。
「小梅。小梅は私と離れても良いの?」
「離れてって…あんた本当に一体どうしたの?変な物拾い食いしたんじゃないでしょうね?」
「小梅ー…ぐぅ」
「…は?あんたこのタイミングで寝る?!ちょっと!起きなさい!やっぱりなんか変な物食べたんでしょ!立華!!」
時刻は深夜一時を過ぎていた。
深い眠りについた立華はちょっとやそっとの事じゃ起きない。
私は深い溜息を吐き、立華を起こす事を諦め眠りについた。朝から任務に出発し疲れていたせいで寝付くのが早かった。
だから気付かなかった。立華が目が覚ました事に。
意識の遠くで立華の声が聞こえた気がした。
小梅。小梅はきっと知らない。
私が貴女にどれだけ助けられてきたか。
悲しい時も嬉しい時も辛い時もずっと傍にいてくれた。
家族を亡くしたばかりの私の支えになってくれた。
私のせいでよく怒らせてばかりだけれども。
貴女がいてくれて本当に良かったと思っている。
でなければ、私はきっと壊れてしまっていたから。
もう少し、もう少しだけ傍にいて。
立華の手が私の頭を撫でている気がした。
今日も一日が終わる。
また明日の朝、立華を起こす事から私の一日が始まる。
普段と変わらない日常。代わり映えしない毎日。
それが永遠に続くと思っていた。
貴女を突然失ってしまうなんて考えたく無かった。
転移門の前に立つ大量の血に濡れた貴女を私は忘れる事は無い。
でもまたこれは別の話。
私は立華の手の温もりを心地良く感じていた。
「いつもありがとう。小梅」