最近、レオナルド・ダ・ヴィンチを知りたいと思う自分に振り回されてる。
『万能の人』
『モナ・リザの作者』
『最後の晩餐の作者』
レオナルド・ダ・ヴィンチは歴史好きの私にとって、気になる人である。
通常の姓として思われているヴィンチは、『ダ・ヴィンチ』で『ヴィンチ村出身』という意味で、正式名はレオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ……レオナルドと呼ぶ方が良いらしい。
セル・ピエーロと言うのは、実父の名前で、母のカテリーナとは正式に結婚していない非嫡出子だった。
私生児として生まれた彼は貧しい暮らしだった為、幼い頃から本格的な勉強はできなかったという。
その理由として、彼は左利きで一生鏡文字を書き続けた。
鏡文字は上下はそのままで左右を反転させた文字で、文章を綴る際には文字の進行方向も言語本来の進行方向に対して左右逆になる。
彼の書き記した文字は普通に読むのが難しい。
鏡を右側に立てて、鏡の中に映すと正常な文字・文章が現れる。
その為、鏡像文字ともいうらしい。
実は鏡文字は特段、珍しいことはない。
私の妹が小学校まで書いていたからである。
左利きの人は、右利きの人と一緒に文字などを描く練習をすると、その動きを真似しようとして、鏡文字を書いてしまうことがある。
それを指摘する時、怒ったりすると子供は萎縮する。
その時は書いた文字を見せて、左手で書く時はこう書くと良いと手を添えて書いてあげると良い。
しかし、レオナルドはそれは直されることなく成長した。
それから、しばらくの彼の功績はない。
ただのヴィンチ村の少年として成長していったのだろう。
そして、彼の才能が開花の為に動き出したのは14歳から。
その後、亡くなるまでに遺した資料は細かく丁寧で、人体解剖図や筋肉の動きなども細かい筆致で描かれていて、当時としては問題にあったのかもしれない。
それに完璧主義者だったせいか、注文を受けた作品を納品するまでかなりの時間がかかり、注文した作品を待ちきれなかった貴族を怒らせたと聞く。
絵を描くにも、高級なラピスラズリやマラカイトなどの鉱物をたっぷりの油に混ぜ込み、十数層にも重ね塗りしたのだと言う。
その為、下絵からの鑑定が難しい。
しかも重ね塗りの回数は多いが、一層の厚みは薄く、描かれているのだと言う。
他の画家はすぐに注文した貴族に渡さなくてはという事で、二、三回重ね塗りをしたり、一度失敗した作品の上に別の作品を描いたと言うことも赤外線などの調査で分かっている。
それだけ道具は高額で、再利用も必要だったからである。
しかし、彼は、あれだけ美しい『モナ・リザ』などを描きながら、はっきり彼の作品だと断定できるものは10数点しかない。
そういった部分も私は惹かれる。
ミケランジェロなどの絵画も美しいと思うが、彼の絵は色気に物憂げな印象、清楚、微笑みと観る人ごとに見え方や捉え方が違う。
『モナ・リザの微笑み』と言うが、私はその眼差しに虚無感を感じる。
私の心が虚しさを抱えているせいかもしれない。
眼差しは筆者である彼を見ているようで、見ていないのもその理由かもしれない。
彼はその時代の最先端を行く……先駆者だったのだろう。
そして、彼は左利きではなくあえて鏡文字を書いたとも、高位の貴族に雇われた諜報員だったとも、レオナルドは個人ではなく、集団だったと言う説などもあるのだが、その説を解明していく人たちのその研究を私は死ぬまで見ていきたいと思う。
そして死ぬまでに一度、『最後の晩餐』を見にいきたいと思っている。