第56話 無理だ、マリア。きみにウェルキエルは倒せない
やっと三人が揃った——。
セイはホッとする思いだったが、喜んでいる余裕はなかった。あまりに時間がない。今ウェルキエルが腕を再生している、千載一遇のチャンスを生かさねば勝ち目がない。
だが、ウェルキエルの名を告げたのはただしかっただろうか……。
ハマリエルの名を口にしただけで血相を変えたふたりだ。この魔物の名前を知ればきっと萎縮して戦えなくなる。
だが、正体を知らずに戦えば、確実に餌食になる——。
「マリア、エヴァ。いったんスポルスのところに後退するよ」
セイが後退を促すと、ふたりは無言のままそれにしたがって、急ぎ足でウェルキエルから一番遠い壁際に移動した。ショックは隠せない様子だったが、セイはふたりにすぐさま命令を頼んだ。
「マリア、エヴァ。ウェルキエルを監視しててくれないか」
「セイ。き、きさまはなにをする……?」
「マリア。ぼくは『未練の力』を呼び覚ます」
セイはスポルスのほうに向き直ると、突然、頭上に手のひらをかざして言った。
「モニカ、モニカ……、ねぇ、出てきて!」
ふっとスポルスの頭上から少女の顔が浮き出た。日本からおよそ一万キロメートル、そして時代にして約二千年も離れた、21世紀のイタリアの施設で『昏睡病』に陥っている少女だった。
「お兄ちゃんなの?。あたしを呼んだの?」
「ああ。ぼくはセイ。君のママに頼まれて、きみを探しにきたんだ」
「ママに?」
セイは無言でこくりと頷いた。少女はその仕草にはっとしてあたりを見回した。
「ここは……、ここはどこ?」
「ここは、きみがいちゃいけない場所だよ」
「いけない場所……」
「そうさ。だから帰ろう。ママがきみが大好きな『ポルペットーネ』を作って待ってるって。きみのママの『ポルペットーネ』はおいしいんだろ?」
「うん。わたし、ママも、ママの『ポルペットーネ』も大好きなの?。ねぇ、どうやったら帰れるの?」
「簡単さ。モニカ。元の世界に戻りたいって、こころの底から願って」
モニカがこくりと頷いた。
「うん。いっぱい願うわ。わたし、ママのところに帰りたい!」
その瞬間、セイのからだのなかに、なにかが駆け抜けた。ぶるっとからだが震える。
すぐさまセイは手のひらを上にむける。手の中に浮かびあがる暗雲はいつもよりもドス黒く煤けていたが、そのなかから目がくらむような閃光が瞬いた。そして手の上で炎が燃えあがった。炎が一瞬にして勢いを増し、セイの手元から天井にまで届きそうなほど勢いづいた。
セイはその炎をもう一方の手でふたをするようにパーンと手をうった。その音を合図に、モニカの顔がふっとスポルスの顔のなかに吸い込まれて消えた。セイはスポルスの方に顔をむけた。
「モニカ。ありがとう。『未練の力』受け取ったよ」
その一連のやりとりを、呆気にとられて見ていたマリアとエヴァが我に返って、セイに詰め寄るような勢いで声をあげた。どうやらこの力は、マリアとエヴァにも宿ったらしかった。
「おい、セイ、どういうことだ。オレのからだの奥底から力が湧いてでてくるぞ」
「わたしもです、セイさん。なにが起きたか教えてください」
その興奮した声色にセイはすこし安堵を覚えた。すこしテンションが高目ではあったが、さっきまでの沈欝とした状態よりも数百倍マシだ。
「マリア、エヴァ。わかってるはずだ。きみたちは強くなった……。ぼくはそれを勝手に『未練の力』と呼んでる」
セイはマリアが厨二病的なネーミングを、またからかってくると思ったが、予想に反してマリアは真剣な目をむけて聞いてきた。
「それはどんな力だ!」
セイは噛んで含むようにして説明したい衝動に駆られたが、ウェルキエルの腕が完全に再生した姿を目にして言った。
「マリア。説明はあとだ」
マリアとエヴァが一斉にウェルキエルのほうへ目をむける。
「ふたりとも下がっていて。ぼくがやる」
セイがそう言って盾になるように三人の前に進み出たが、マリアはすぐさまそれに文句をつけた。
「おい、セイ。こいつはオレにやらせろ」
「マリア、きみには相性がよくない相手だ」
「バカ言え。これだけ満身に力がみなぎっているのに、うしろで見学なんかしてられねぇな。今の力のオレならどんな悪魔でも、互角に戦える自信がある」
マリアはにやりと不敵な笑みを浮かべると、大剣を軽々と振り回してみせた。
「無理だ、マリア。互角じゃ駄目なんだ!」




