第100話 聖ちゃん、大丈夫?
聖がプールのなかで半身をおこしたあと、身じろぎもせずぼーっとしているのをみて、広瀬・花香里は僕とした不安にかられた。
やはり潜らせるべきではなかったのではないか、という後悔がからだを駆け巡る。
「聖ちゃん」
おそるおそる声をかけてみたが、聖はかけたゴーグルをはずそうともしない。
かがりがもう一度声をかけようとしたとき、マイクを通して父の輝雄の声が室内に響き渡った。
『聖、ご苦労様だった。患者のヤニス・デュランド氏が意識を取り戻したよ』
その報告に聖はほんのわずかに首を縦に動かした。
「聖ちゃん、大丈夫?」
かがりはその瞬間をのがしてなるものか、とばかりに声をかけた。が、聖は先ほどよりさらにかよわい首肯で返事してきた。かがりは自分がこんなにも心配しているのに、つれない反応しかしない聖に、すこし苛立ちを感じた。
「ちょっとぉ、聖ちゃん。任務完了したのよ。どうしたの?」
ちょっとだけ怒気を含ませたのに、聖の反応は鈍かった。いつもなら任務が終わるやいなや、装具をさっさと解いて『腹が減った』だの、『頭がくらくらする』だの言って、すぐにシャワーを浴びにいっているはずだった。
かがりはいてもたってもいられず、プールのほうへむかうと、聖が座り込んでいる水槽に近づいた。
「ねぇ、聖ちゃん、今度はヴァイタルデータ、問題なかったわ。任務も完了したから、もうプールからあがろうよ」
そう言いながら聖の顔に手を伸ばして、ゴーグルをひきあげた。
聖は泣いていた——
かがりにはそう見えた。
聖はすぐに目元を手の甲で拭って、いつものようににこりと笑ってみせたので、確信できなかったが、かがりはその様子にドキリとした。次のことばを発せない。
「ごめん、かがり。ちょっと……」
聖は濡れた頭をかきながら、気まずそうに言った。
「なに……なにがあったの?」
聖はすぐに返事をしようとしなかった。一点をぼうっと見つめたまま、なにか考え込んでいるようだった。
「救えなかった……んだ……」
しぼりだすように言った。
「救われたわよ。今、お父さんが患者さんは意識を取り戻したって」
「ジャンヌを……ジャンヌ・ダルクを救え……なかった……」
「ジャンヌ・ダルクを?」
「ぼくがかならず救うって、約束したのに……果たせなかった……んだ」
「え……で、でも……患者さんが救われたんだから」
「うん、わかってる。でもね……」
そこまで言って、聖は自分の目元を手のひらでおおうようにして押さえた。
「救いたかった……救ってあげたかった……」
聖はそれ以上なにも言わなかった。
ただ肩をふるわせて、声を殺して泣いていた。
かがりにはどう声をかけていいのか、まったくわからなかった。




