第90話 時を操る悪魔 アガレス
ルーアンへ渡るセーヌ川にかかる橋は、やけにせわしなかった。
馬車が頻繁に行き交い、警備のイングランド兵たちも、その対応に手を焼いてる様子が遠くからも見てとれた。街中から喊声とも怒声ともつかない声が聞こえる。
「まるで祭でもあるかのようだな」
ジャン・ド・メスが呟いた。
「メス。やばい。たぶん、ジャンヌ・ダルクの刑が執行されるんだ。急ぐよ」
そう言うなりセイは橋の袂の検問所へすたすたと歩いていった。
「とまれ!」
真正面から歩いてきた2人をみて、数人のイングランド兵が道をふさぐように立ちふさがった。
「いやだ」
セイは警備隊長らしき男を睨みつけて言うなり、すばやく腹にむかってパンチをうちこんだ。ボコンという金属が凹む音がして、その男がその場に崩れ落ちる。部下たちがあわてて剣を引き抜いて、セイのほうへ振りかざそうとするが、それよりもはやくセイが腹にパンチを食らわせた。
さきほどより軽いボコっという音がして、兵たちが倒れていく。
「行こう、メス」
セイはうしろにむかって声をかけてから、そのまま橋をわたっていこうとした。
が、正面に渦巻くような邪気を感じて、歩をとめた。
橋の対岸に修道服をきた男が立っていた。
『人間じゃない……』
男が顔をあげた。
その男には顔がなかった。
セイはその男に見覚えがあった。はじめて前世の記憶に送り込まされたとき、妹、サエを奪っていった男だった。
「きさまぁ!」
セイは瞬時に日本刀を中空から呼びだし、それを構えていた。
「サエを……サエをどこへやったぁぁぁ!」
「はて、どこかで……」
その男の声は、動物の断末魔の悲鳴、機械めいた音、世の中に存在するあらゆる不快な雑音を混ぜ合わせたような響きがあった。
「そうですか。あなた様はあのタイタニックの……」
「サエを返せぇぇぇぇ!」
セイは中空へジャンプすると、男に斬りつけた。が、男はぎりぎりのところでうしろへ跳ね跳び、その刃を避けた。セイの剣先が橋のレンガをえぐりとる。
「ほうほう、これは強いお方だ。今の一太刀、よけるのが精いっぱいでしたよ。とてもわたくしめではお相手できそうにない」
「はん、ぼくを邪魔しに現われたんじゃないのか?」
「いえいえ。わたくしめにはそんな力はございません」
「じゃあ、なにしに来た!」
男がふいに上空を見あげた。
そこに直径2メートルほどの、どす黒い光の玉が浮いていた。
「我が名はアガレス。ハマリエル様を復活させるために、罷り越した次第でございます」
その瞬間、黒い光の玉が空中で四散し、なかからハマリエルが姿を現わした。邪悪そのものを体現したような姿。




