第86話 1431年5月 ふたたびジャンヌの世界へ
1431年5月——
ふたたびジャンヌ・ダルクの世界に戻ってきたセイは、自分が石造りの『城壁』の上に設けられた通路『歩廊』の上にいることに気づいた。
また城——?
あたりを見回すと、この城壁が1キロメートルちかくにわたって、円形状にぐるりと敷地を取り巻いていることがわかった。壁の高さや厚さは一定ではなかったが、一定間隔で狭い窓のある塔が設置されている上、城壁のまわりに水と満々と湛えた堀までそなえ、ここが強固な防御施設であることがわかる。
城壁の内側にはひろい中庭、中世の城砦の特徴的な外観の石造りの建物が数棟建っていた。
メス、どこにいる?
セイは精神を集中させると、ジャン・ド・メスの気配をさぐった。すると中央にある展望台を備えた建物内から、現世の魂の気配が感じられた。
くっ! 意識が薄い。すでに魂がこの世界に取り込まれかかっている。
セイは自分が意識をうしなっているあいだに、昏睡病患者の魂を救うチャンスが何度もうしなわれたことを、あらためて思い知らされた。
「ジャン! ジャン・ド・メス」
セイはメスの意識を感じた部屋のドアを開けながら叫んだ。
メスは部屋の片隅にある椅子に力なく腰掛けていたが、ゆっくりと顔をあげるとよわよわしくわらった。
「ああ……神の子……セイ」
「メス。ここはどこです?」
「ここは……ナントにあるジル・ド・レ元帥の居城、ティフォージュ城だ」
「ジル・ド・レの? 彼はどうして……」
「神の子、セイ。なぜ……なぜ……もうすこし早くに来られなかったか…」
「え?」
「間に合わなかった……」
「ど……どういうこと……」
「ジャンヌはイングランド軍の手におちたのだ」
セイは自分のひざがふるえるのを感じた。
「しょ……処刑されたのか?」
ジャン・ド・メスはちからなく首をふった。
「いいや……だが、おなじようなものだ」
「なぜ、助けにいかない」
「行けないのだよ。われらには兵がないのだ」
「みんなは? 神の軍隊はどうなったの?」
「解散させられたのだよ。国王シャルル七世の手によってね……」
メスはくやしそうに、顔をゆがめた。
「ジャンヌの力で王太子から国王になれたというのに、国王みずからが裏切ったのだ。あともうすこしでパリを取り戻せたというのに……」
ジャン・ド・メスは苦悩の表情をさらにつよめ、歯の隙間からことばを絞り出すように語った。
「オルレアンの解放をなしたあと、ジャンヌはかのリッシュモン大元帥を従えて、パテーの戦いでイングランド軍を撃破した。この勝利は百年戦争の大規模野戦での、フランス軍、初めての勝利だったのだよ。指揮官サー・ジョン・ファストルフは、からくも逃げおちたが、ガーター勲章を剥奪されたそうだ。
この奇蹟とも言える勝利によってジェンヌの名声はさらに高まったが、その勢いに勝てないとみたイングランド軍は、大金をちらつかせて休戦を申し出てきた。もちろん、ジャンヌは反対した。フランスのすべての領土からイングランド軍を追い払って本当の勝利だと主張してね」




