第50話 闘牛士みたいな真似するはめになったぞ
「ペテロ様、あんたは下がってろ」
マリアがペテロに伝えたのはたったそれだけだった。
マリアは左手の手の平を上にむけると、その手の上に黒い雲を呼びだした。すぐにそれが手を覆ったところで、マリアは右手をその暗闇の中につっこんだ。そして、おおよそその空間には収納できないであろうほど分厚い刃渡りの剣をゆっくりと引き抜いていく。
うしろでペテロが驚きの声をあげるのがわかったが、マリアはそれにはかまわず右腕だけでその大剣を目の前に掲げてみせた。さらにマリアは左手の暗闇を握りつぶすように、ぎゅっと閉じた。と同時にその手におおきな赤い布を握りしめていた。
マリアは右側から迫ってくるミノタウロスに目をくれた。その化物に追われるように、四人の兵士がこちら側へと逃げてきていた。おそらくここにくるまでに命はないほど迫られていたが、マリアは眼前で殺されてしまっては、こちらの攻撃の邪魔になると判断した。
マリアはドンと地面を蹴ると、地面のうえを滑るように突進した。
「おい、そこの兵隊、その場にしゃがめ」
走りながら声をかけたが、兵隊たちは無反応だった。恐怖のあまり顔面蒼白で、口から泡を吹きそうなほど正気をうしなっていた。
無理か——。
マリアは横向きに持っていた大剣を持ち直すと、腰の位置で柄をぐっと構えて剣先を前にむけた。反対側の手に持った布を大きく広げる。
赤い布を掲げたまま突っ込んでくるマリアの姿に、逃げてくる兵士も気づいて横に避けていく。
マリアが土を蹴っておおきくジャンプした。ちいさな体躯が宙を舞い、ミノタウロスの顔近くにまで到達する。
目の前に突然現れたマリアを叩き落とそうと、ミノタウロスが手をふりかざした。だが、マリアが目の前で赤い布をはためかせると、ミノタウロスはそちらに気を奪われた。ふわっとミノタウロスの眼前で布が広がる。
ミノタウロスがその『赤』に目を奪われた瞬間、マリアは布の向こう側から剣を一気に貫いた。
眉間に大剣が深々と突き刺さる。
ぐえっという断末魔の声が布の下から聞こえた。
「しょせん、牛だな」
マリアは剣を引き抜いてミノタウロスの頭から飛び降りると、からだをぐるりと回転させ、今度は元いた方向へ走り出した。
「ペテロ様。ふせろ!」
マリアが走りながら叫んだ。
ペテロの反応は老人とは思えぬほど早かった。その場にすぐさま倒れこむようにして腹ばいになった。
そのすぐ上をマリアの剣先が通り過ぎた。剣圧で巻き上がったペテロの髪の毛を、何本かなで斬るほどの低い位置からマリアの剣が真横に振り抜かれた。
ペテロのうしろから飛びかかってきたミノタウロスの足を狙った一撃。膝から下がスパッと切断され、その勢いのままその上の体躯が空中におどりでた。マリアはすかさず空中に浮いているミノタウロスのからだに剣を無尽にふるった。そのからだが地面に落ちたときには、すくなくとも四つ以上の肉片に切り刻まれていた。ベチャベチャという音をたてて肉片があたりに飛び散る。
マリアがうしろを振り向いた。最初に襲ってきたほうのミノタウロスは、頭に赤い布をかぶったまま、いまだに仁王立ちしていた。
アリアは軽くため息をつくと、大剣を地面にドンと突き刺した。
その振動でミノタウロスのおおきな体が、地響きをたてて地面に倒れた。
マリアは観客席にいるはずのエヴァの姿を探した。エヴァは別のミノタウロスにマシンガンをぶっぱなしているところだった。
「おい、エヴァ。——ったく。闘牛士みたいな真似するはめになったぞ」
エヴァが銃声に負けないほど大きな声で答えた。
「あら、ちょっと殺り足りないかと思ってたんですけど?」
「抜かせ。残りはきさまにくれてやる。ゆっくり楽しんでから、神殿のほうへ来い」