第32話 オーギュスタン要塞の夜
まわりでは兵士たちがひざをついて祈りを捧げたり、聴聞僧たちに告解をしている姿ばかりで、とても勝利に沸き立つという風には見えない。
「いや……セイ殿。ふつうなら飲めや歌えやの大宴会になるのじゃが……」
「ラ・イール。しかたがありませんよ。ジャンヌの意志なのですから」
ジル・ド・レがわらいながら言った。
「ぼくもこんなのは初めてでとまどってますけどね」
「ひさしぶりの大勝利だというのに、なんとももどかしくていけねぇ」
セイは兵士たちひとりひとりに、ねぎらいのことばをかけてまわっているジェンヌを目で追った。そこへ立派な身なりの武将が近づいていき、ジャンヌになにかを伝えた。
「なんですって!」
ジャンヌがあたりの兵士たちがビクリとからだを震わせるような大声をあげた。
「明日の出撃は控えろとは、どういうことなのですか!」
「ジャンヌ殿、隊長たちの評定できまったことだ……」
「なんで明日、攻込まねぇんだ」
ラ・イールが野太い声を荒げた。
「ラ・イール殿。みな今回の戦いで、神の御恵みにより充分満足すべき戦果が得られたと考えておる。それに……町には食糧の備蓄は充分で、国王の援軍を待ちながら立派に町を守っていけるから急ぐことはないと」
「なんと志のひくいこと。この新しい勝利は決定的な勝利への一段階にしかすぎないというのに……」
ジャンヌが悔しそうにくちびるをゆがめた。が、覚悟をきめた目をラ・イールのほうへむけると、あたりの兵士に聞こえるように言った。
「明日、レ・トゥーレル要塞に攻撃しかけます! そして橋を奪取し、その橋から、オルレアンへ凱旋します」
兵士たちは王太子軍の首脳たちの決定を、まったく歯牙にもかけてないジャンヌのことばに一瞬とまどった。だが、ジル・ド・レが雄叫びをあげると、それに促されるようにいたるところで鬨の声があがった。
夜のオーギュスタン要塞から鳴り響く勢いにみちた声があたりの空気を震わせた。
兵士たちの雄叫びに包まれながら、ジャンヌはひとびとへ指示をとばしていった。隊長、兵士、聴聞僧など身分や役職を問わず、てきぱきと指示を与えていった。
やがてセイの元へくると、満足そうな笑みを浮かべた。
「神の子、セイ。明日は今日よりもずっと早く起床して最善をつくしてください。たえず私の側を離れない でくださいね。明日は今までになかったほどたいへんな日になります。それに……」
ジャンヌは手を伸ばせば届きそうなほど近くにみえる、レ・トゥーレル要塞のほうに目をむけて言った。
「明日、わたしは乳房の上のあたりから血を流すことになるでしょうから」




