第29話 イングランド軍司令官グラスデール
ある日、レ・トゥーレル要塞に立てこもっていたイングランド軍司令官・ウィリアム・グラスデールとその部下たちと対峙した。
グラスデールはふてぶてしさを絵に描いたような顔立ちの男で、ラ・イールとはまた違った種類の野蛮さを感じさせた。
「あなたがイングランドの指揮官ですか?」
「そうだ。牛飼い女がなんの用だ?」
「神はわれわれフランスに味方しております。イングランド軍は軍を引きなさい」
「はっ、血迷いごとを。神はわがイングランドに味方している。牛飼い女のうしろに隠れている罰当たりのヒモどもと一緒に、さっさと降伏してオルレアンを明け渡せ」
「なんと穢らわしいことばを! グラスデール、神の御名において撤収なさい。さもなくばわたしたちはあなたたちを力づくで追いだすことになります」
「ふざけるな。われわれが女になぞ降伏すると、本気で思っているのか?」
「なんと罰当たりな。わたしたちは神よりの啓示をうけたのですよ。あなたがたが敗走するのは決定したのです」
「ならばやってみるがいい。だが捕まえたら火あぶりにしてやるぞ」
ル・バタールが不在の五日間、いくつもの砦でジャンヌとイングランド兵たちとのあいだで、このような罵り合いが繰り返された。
ル・バタールが援軍を率いて戻ってくると、わるい情報がもたらされた。
「フォールスタッフが増援部隊を率いて、このオルレアンに向っているらしい」
ル・バタールの声はおどろくほど沈み込んでいた。
「ル・バタール。なにをおそれることがあるのです。わたしたちは神の声に導かれているのですよ。だれがこようと負けることはありません」
ジャンヌはル・バタールの様子を一切気づかうこともなく発破をかけた。
「フォールスタッフにはほんの二ヶ月前に大敗を喫したばかりだ。クレルモン伯のまずい攻撃のせいでね」
「ああ。オレ様たちはル・バタールとザントライユらと先発部隊を任されてたんだが、クレルモン伯からの待機命令のせいで、イングランド軍に陣地構築の時間を与えることになっちまった。こっちのほうが圧倒的に戦力がおおかったのに……」
ラ・イールが悔しさをにじませると、ル・バタールが自嘲気味に笑った。
「こっちが打撃を与えられたのは、イングランド軍がバリケードにしていた、ニシン樽だけだったよ。戦場をニシンまみれしただけさ」
「その敗北はわたしも知っています。神より預言としてお聞きしました」
ジャンヌはこともなげに言った。あまりに冷たく感じられる物言いだった。
あわててジャン・ド・メスがわってはいった。
「そ、そうなのだ。この敗戦をジャンヌはだれもはやく知っていたのだ。その予言を太守様に伝え、信じてもらえたことで、王太子様へのお目通りがかなった」
「そのニシンの戦いでの敗戦などもう忘れてください。神の次なる預言は、わたしたちフランス軍の勝利です。そのフォールスタッフなる者が率いる援軍がきても、わたしたちは絶対に勝つのです」




