第37話 いずこへ行かれるのですか?《クォ・ヴァディス?》
残りの兵士が剣を構えて、セイをじりじりと取り囲みはじめた。
仲間が瞬時に倒されて慎重になっているのは確かだった。だが、セイはそんな状況にはまったく目もくれず、自分の持っている剣の刃先を子細に確かめると肩をすくめた。
「あーぁ。刃こぼれしちゃってる。やっぱ、あんな太い剣をまともに受けちゃダメってことかぁ」
そう言うと剣を目の前に投げ捨て、右手を頭上に掲げた。その手のひらの上に、光の球が浮かびあがった。だれもがなにが起きるのかわからず、思わずその光に目をむけた。
光が膨れ上がり、真夏の太陽を直視しているほどの強烈な光を放ちはじめた。
セイはその光のなかに手を突っ込むと、なかに浮かびあがる長細い影をゆっくりと引き抜いた。
その光にペテロは目がくらんだ。あまりの眩しさに思わず、手のひらでひさしを作って目元をかばった。
だが、その光のなかになにかが揺らいで見えた。
突然、心臓が早鐘のように打ち始める。
それはなにか見逃してはならないもの。己の人生においてとても大切なものであると確信できるなにかであると、なにかが告げていた。
ペテロは焦る思いで、目を眇めてその光のなかにあるものを確かめようとした。揺らいだ光のなかに、ゆっくりと影が形作りはじめている。
自然現象のなせるものとは到底思えない、なにかの力が及んだような不自然な動き。だが、けっして見逃してはならないもの。
ペテロの額から汗がつたい落ちる。
その光のなかのメッセージを見逃すまいと、心を集中するあまり、からだが小刻みにふるえはじめる。
と、ふいにその光のなかにシルエットが浮かびあがった。
それはまさに、主イエス=キリストだった。
まばゆい光に目が眩みそうになりながら、ペトロは光のなかに主イエスの姿をみてとった。主イエスの姿は、あのときとおなじ半裸で、肩におおきな十字架を背負っているようにみえた。その光は暖かく、自分を包み込むような慈愛に満ちた光だった。
ペトロの顔はすでに涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。あまりに神々しい姿、最後の使徒である自分の前に主がふたたび降臨されたという奇跡……。
ペテロはことばが出なかった。このような奇跡の場面で、どのような問いかけをすればよいのか、主がなにをお望みなのか……。
ペテロは涙にむせびながらも、ようやく口をひらいた。
「|主よ、いずこへ行かれるのですか?《ドミネ、クォ・ヴァディス?》」
【|ローマへ行き、再び十字架にかかるのだ《エオ・ロマム・イテルム・クルキフィギ》】
「主よ、なぜです?」
【おまえがローマで信仰のための良い戦いをしているわたしの子たちを見捨てるのならば、、私が代わりに行かねばならぬ】
「おおぉぉぉぉ……」
ペトロは光のなかに見え隠れする主の前に進みでると、その足に接吻し、頭を地につけ顔を伏せて許しを乞うた。その姿を奇異に感じたのかナザリウスが、ペトロの背中に声をかけた。
「ペテロ様、どうなさいました?」
ペテロはゆっくりと起きあがって、ふるえる手で巡礼の杖を取りあげた。ペテロの気持ちはもう揺らぐことなかった。
最後の使徒として、主がお示しになった道をもう二度と違うわけにはいかなかった。
「ナザリウス、馬車を。急いでローマに戻る」