第226話 コナン・ドイル、日本武術「バリツ」で救われる
「いやぁ、ゾーイさん、驚きました。さっきまであんなに怯えてたあたしが、まったくのまぬけに感じますよ」
コナン・ドイルが目の前に重なって倒れている獣人の群れを見ながら言った。
「まったくもって降参です。ゾーイさん、あなたがこれほどの手練れだとは、いやはや……」
リンタロウもおのれの驚嘆を隠そうとしない。
ゾーイはこみあげる充実感を噛みしめながらも、さらに奥から進軍してくる獣人を睨みつけた。
「ありがとうよ。だけど、お礼はここを通り抜けてからにしておくれ」
そのとき、背後で低い唸り声とともに、なにかが壊れる音が聞こえた。
「うわぁぁぁ」
コナン・ドイルの叫び声。
自分たちが背にしていた貸間長屋の扉をつきやぶって、背後から数体の獣人が飛びかかってきた。マリアが即座に反応して数体を叩き切る。が、豹男がすりぬけてコナン。ドイルに襲いかかった。
「ひぃぃぃぃぃ」
コナン・ドイルは頭をおおって、からだを縮こまらせている。豹男が鋭い爪でコナン・ドイルを引き裂こうと手を伸ばした。
「せいやぁぁぁぁ」
その瞬間、豹男の腕をつかんで、モリ・リンタロウがそのからだを投げ飛ばした。豹男はキレイな弧を描いて、地面に叩きつけられた。すぐさまマリアがとどめを刺す。
「いまのは危なかった。よくやったぞ、リンタロウ」
マリアがリンタロウを褒めると、頭を抱えたままのコナン・ドイルが呆然とした様子で言った。
「リンタロウさん、ありがとうございます。あなた、あたしの命の恩人です」
「いや、アーサー、当然のことなのだよ」
「で、でも、いま、どうやったんです? そこの獣人、空を舞ってましたよ」
リンタロウが笑いながら言った。
「柔道です。まぁ、小生が身につけた日本古来の『武術』のひとつですよ」
「ジュードー? ブジュツ?」
コナン・ドイルはあわてて帳面を取り出すと、ペンを走らせた。
「もう一度言ってもらえますぅ?」
「はい。『武術(Bujutsu)』です」
コナン・ドイルはそれを書き留めようとするが、手が震えてうまく書けない。
「アーサー、手が震えているが大丈夫か?」
マリアがからかうと、コナン・ドイルはそんなこと気にもせず「手なんか震えてませんよ」と語気をあらげた。マリアはコナン・ドイルの手元を覗き込むと、今度は大笑いしながら言った。
「おい、アーサー、それじゃあ『武術(Bujutsu)』じゃなくて『バリツ(Baritsu)』としか読めないぞ」
「大丈夫、読めます。それに、こいつはただの覚書です。創作活動には役に立ちゃしませんからいいんです」
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バリツ (baritsu) は、イギリスの小説家、アーサー・コナン・ドイルの推理小説「空き家の冒険」(1903年)で「シャーロック・ホームズシリーズ」に初めて登場する架空の日本武術。
1894年の『最後の事件』で、「シャーロック・ホームズは、宿敵のジェームズ・モリアーティ教授とスイスのライヘンバッハの滝で揉み合いになった末、2人とも滝壺に落ちた」ということになった。しかし、ドイルはファンの要望に応えて続篇を書くことになり、「ホームズは死んでいなかった」ということにする必要が生じた。そこで、「自分には「バリツ」という日本式の格闘技の心得があって、それでモリアーティ教授を投げ飛ばしたのだ」、と『空き家の冒険』の中でワトソンに説明している。




